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魂を、震わす。
①生きる意味
ある本で読んだ。
人間として生まれた以上、生きていく上で必要不可欠なもの。
それは
『畏敬』の念
【畏敬】
・・・[名]崇高なものや偉大な人をおそれ敬うこと。
動植物と違って、子孫を繁栄する以外の機能を与えられた人類。
あらゆる感情、判断、想いを持つことを許された代わりに
その生き方の選択によっては
時に人は、自らの命を自分から危険に晒すこともある。
私も以前、
自分の身体なんか価値が無いと、
自身を痛め付けることで心を保っていた時期があった。
「魂の声と現実のギャップ」
「今現在と未来の距離」
が広ければ広いほどに
そのモヤモヤは確実に蓄積されていき
何かしらの身体のサインを通して
「魂」は必ず私に訴えかける。
②心の声
「素直」と「わがまま」「身勝手」は紙一重だ。
私はこれまで「素直」に生きてきたが、
それは客観的にはわがままに生きてきたとも言える。
まさに「我が」ままに。
「直感」って、魂を震わすことだと思う。
魂が震えた方に、足を進めてきた。
![](https://assets.st-note.com/img/1674168902163-OqgSBg3bPy.jpg?width=800)
進路・就職・結婚・引っ越し・転職…
生きていれば幾度となく、選択を迫られる。
「親の期待に応えるため」
「金銭的な問題」
「子供のため」
「体裁」
「将来のため」
動物と違ってあらゆる感情、判断、想いを持つことを許された代わりに
何かの決断をする時人は、
「魂の声」の上から、たいてい他の感情をトッピングする。
そしてそれは時に、「魂」を封じ込める。
「仕方ない」
「こうするしかない」
「周りから何て思われるか」
これらの文句は思いの外、意図してないところまで心にまとわりついて離れないし、
何かを決める時の、
優先的な判断基準になったりしてしまう。
③「畏敬」と「魂」
![](https://assets.st-note.com/img/1674203612392-FNZ35BhcLq.jpg?width=800)
広い大聖堂の中で声が響き渡る時。
歴史のある神社仏閣を訪れた時。
こぼれそうな満天の星を目の当たりにした時。
動物の脅威を感じた時。
焼き付くような太陽の力を感じた時。
コントロール出来ない壮大さを目の当たりにした時
人は自然の一部である自分を、魂で感じとる。
それこそが【畏敬】。
「目」「耳」「鼻」「感覚」は、魂に働きかけるツールのようなもの。
心と身体が離れないように、思い出させてくれるもの。
心と身体が一体の時は、
自然と【畏敬】が日常に溢れかえる。
自然に触れあいたくなる。
![](https://assets.st-note.com/img/1674203729727-eW1BdH9mfQ.jpg?width=800)
私は今、自信を持って
「魂を震わせて生きている」
そう思う。
でも、これは単にそのタイミングが来ただけのこと。
のちに読み返すと、
「あんな時もあったなぁ」と
全く違う世界線で生活していることだってあり得る。
心も身体も
物質は全て流動的なもの。
だからこそ、今この時を大切に、
そして「魂」を突き動かす何かを感じとりながら
生きていく。
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