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【古文解説】鷹を放つ〈蜻蛉日記〉内容意訳|万葉授業

こんにちは!
ばーちゃる古典オタクのよろづ萩葉です。

今回は蜻蛉日記より、「鷹を放つ」の内容を解説をします。


原文

 つくづくと思ひ続くることは、なほいかで心と疾く死にもしにしがなと思ふよりほかのこともなきを、ただこのひとりある人を思ふにぞ、いと悲しき。人となして、うしろやすからむ妻などにあづけてこそ、死にも心やすからむとは思ひしか、いかなる心地してさすらへむずらむと思ふに、なほいと死にがたし。
 「いかがはせむ。かたちを変へて、世を思ひ離るやと試みむ。」と語らへば、まだ深くもあらぬなれど、いみじうさくりもよよと泣きて、「さなり給はば、まろも法師になりてこそあらめ。何せむにかは、世にもまじろはむ。」とて、いみじくよよと泣けば、我もえせきあへねど、いみじさに、戯れに言ひなさむとて、「さて、鷹飼はでは、いかがし給はむずる。」と言ひたれば、やをら立ち走りて、し据ゑたる鷹を握り放ちつ。見る人も涙せきあへず、まして、日暮らし悲し。心地におぼゆるやう、
 あらそへば思ひにわぶるあまぐもにまづそる鷹ぞ悲しかりける
とぞ。
 日暮るるほどに、文見えたり。天下虚言ならむと思へば、「ただ今、心地悪しくて、え今は。」とて、遣りつ。

人物

藤原道綱母

蜻蛉日記の作者であり主人公。
平安中期を代表する歌人の1人。

藤原道綱

道綱母の息子。
この時、満14歳。

藤原兼家

道綱母の夫であり道綱の父。
道綱母は夫の浮気に悩まされていた。

和歌

あらそへば思ひにわぶるあまぐもに
まづそる鷹ぞ悲しかりける


(藤原道綱母)

夫婦で争うことが嫌で尼になろうかと思ったが、
天雲に道綱が鷹を放って法師になろうとするのは悲しいことです。

「あま」…「天雲」と「尼」の掛詞
「そる」…飛び去るという意味の「逸る」と「剃る」の掛詞

意訳

しみじみと思い続けているのは、やはりどうにかして自ら命を断ちたいということだが、
ただこの一人息子である道綱のことを思うと、とても悲しい。

この子を一人前にして、この先安心できるような妻に預ければ私も安心して死ぬことができるとも思ったけれど、
私が死んだあと、この子はどんな気持ちでさまようことになるんだろうと思うと、やはり死にきれない。

「どうしましょう。出家して、夫婦仲から心離れることができるか試してみましょうか」
と話すと、道綱はまだ深い事情もわからないような年頃なのに、
ひどくしゃっくりをしながら泣く。

「母上が出家されるなら、私も法師になりましょう。何のためにこの世で生きていきましょうか」と言って大泣きするので、私も我慢ができなくなる。

道綱の真剣さに、冗談でも言って紛らわそうと思って、
「ところで、あなたが法師になってしまったら、飼っている鷹はどうなさるの?」と聞くと、
道綱は静かに立ち上がって走っていき、止まり木に止まらせておいた鷹を掴んで放してしまった。

その様子を見ていた女房たちも涙がこらえきれず、言うまでもなく私は一日中悲しかった。

心に浮かんだことは、
「夫婦で争うことが嫌で尼になろうかと思ったが、天雲に道綱が鷹を放って法師になろうとするのは悲しいことです」
という和歌だ。

日が暮れる頃に、夫から手紙が届いた。

手紙に書かれていることは全部嘘だと思ったので、
「今は気分が悪いので返事ができません」と遣いを行かせた。


まだ子どもながら、好きだった鷹を手放した道綱。

母親がいなくなるなら自分も一緒に、という強い覚悟を示した息子に、
道綱母はとても悲しい気持ちになってしまいました。

最後に夫からの手紙に「どうせ全部嘘だわ」と言ってしまう道綱母は、
すでに夫のことを信用できなくなっていたんですね。

すべて終わりにしたいけど、
息子のことが心配で仕方がない。

とても辛い状況ですね。

動画


ご覧いただきありがとうございました🖌️


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