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【選択的シングルマザー】批判したいわけではなく、寂しいだけ。

(⚠この記事は、一人親家庭や選択的シングルマザーという選択を批判しているわけではありません。私の個人的な気持ちをつらつらと書いただけのものになります。)

最近よく、「選択的シングルマザー」というワードをニュースで目にする。元キャバ嬢で会社経営をしている愛沢えみりさんや、youtuberであるてんちむさん等が相次いで選択的シングルマザーの公表をしたからだろうと思う。

興味本位で、2人がなぜ選択的シングルマザーという道を選んだのかをyoutubeで見させてもらった。納得したわけではないけれど、「まぁ人それぞれの事情があるし、人それぞれの選択だしな。」というあっさりした感想で終わったのだけれど。

私が気になったのは、そのコメント欄やX(旧Twitter)での反応だった。

「自立した女性だからこそ選択できた道!かっこいい!!」
「ここまで女性が経済的に自立できる社会になると、もはや経済力ない男性はいらない時代」
「貧乏な両親に育てられるより、ここまで経済力のをもったシングルマザーに育てられたほうがマシ」


こんなコメントに、なんだか、胸がざわざわとするのだ。

もちろん冒頭でもお伝えした通り、一人親世帯を批判したいわけではない。色々な事情があって、子供や自分を守るためにその選択をせざるしかなかったという状況だった家庭もあるだろう。身体的暴力や言葉の暴力を振るったり、働くどころか借金だけを膨らましていくような父親や、子供になんの愛情も注がない利己的な母親に育てられるくらいなら、たった1人、どちらかの両親を一心に受けたほうが、子の成長にいいだろうとも思う。母親、もしくは父親のどちらか一方が一生懸命に子供を育てたおかげで、「本当に幸せ」と笑う子供たちが大勢いるのもわかっている。みんなそれぞれの事情があって、そのときの自分のベストな判断に基づいて今があるのだから、それを批判をする気は全くない。


だけれども、なんだか私は怖いのだ。

一昔はマッチングアプリでの出会いが恥ずかしいもの・気の引けるものだった。けれど今じゃ多くのカップルの出会いがマッチングアプリになっている。このように、選択的シングルマザーという選択が「普通」になることが私は怖い。

批判する気はないといいながら、結局は私も選択的シングルマザーをどこか軽蔑しているのか?蔑んでいるのか??と、何度も何度も考えてみた。

今は精子バンクから自分の望む精子を買い取って子を産める時代。これから先技術が発達すれば、「人工子宮」たるものが開発され、我が子さえ最先端技術で誕生させることができる時代になるとのニュースもみた。(詳しくは忘れたけど、羊(だったかな?)の人工子宮での誕生に成功したとのことで、今後人間に応用できるか研究中とのこと)

そうなると、今よりもっと、多くの子を望む人たちがその願いを叶えられるようになる。卵子と精子さえあれば、自分の子を持つことができる時代になる。もしかしたら、自分の卵子を採卵して、精子バンクで精子を購入して、人工子宮で我が子を育てる。そんな時代が、くるのかもしれない。そうなるとより、選択的シングルマザーという選択を選びやすくなるのではないかとも思う。


綺麗事かもしれないけど、いや、綺麗事なんだけど。


私はたぶん、「愛」を重要視しているんだと思う。


「はぁ?!?!片親だと愛が足りないってこと?!?!?!」とかそういうことでではなく。


なんというんだろう、「原則」というのかな。


人は「身体的に」という点でみると、お金や愛で育つのではない。極端に言えば、成長に必要な最低限の衣食住が整って危険から避けることができれば、成長できる。飢餓や汚染環境に苦しむ海外の小さな子供たちだって、私達とは比較にならないほど劣悪な環境で育って入るけど、「身体的」には確実に成長している。

けれど、高度な知能を持ちすぎた私達人間という哺乳類は、身体的成長と同じくらい、「内面の成長」を重要視する。優しさ、強さ、柔軟さ、頭の良さ、などなど。内面の成長を持ち合わせてこそ、人間の成長で。


その内面の成長に、必ず愛が必要なんだと私は思っている。


命の誕生には、必ず精子と卵子が必要で。必ず、身体的な「男」と「女」の2人が必要。その二人の間に生まれる、小さな命。

なぜ神様は女性1人で産めるような構造にしなかったんだろう。なぜ「性欲」というのを人間に与えてまで男と女の「2人」から子供が産まれるよう設定したんだろう。なんだかもうよくわからんところまで考え出している。

2つの命がないと産まれてくることのできない命を、あえて一人で育てるという選択をするのって、哺乳類の中でどれくらいいるんだろう。知能が高いとされるイルカ、クジラ、シャチとかも、そんな選択したりするのかな?え、いやなんの話?(しっかり)


話がすごくそれてしまったけれど、何が言いたいかと言うと、

「父親、そして母親。そして、子供。これが家族の形。」
という、多くの人が憧れたり理想とする綺麗事であり原則であるこの形が崩れていくのが私は怖いのだと思う。

この原則があるからこそ、母子手帳にも子の保護者の欄に父と母の名前をそれぞれ書く欄があるのだと思う。これはシングルマザーはありえません!!と批判しているのではなく、現代の原則だから。

この原則が、「パートナーと一緒にいる未来が想像できない」「結婚生活は自己犠牲を伴うものだから結婚は嫌だ」「私に結婚は向いていない」という理由で安易に壊されてしまうのが私は嫌なのだ。

後々壊れてしまうのは仕方ない。冒頭に書いたように、結婚した後にパートナーが恐ろしい人間で、とうてい自分や子の心や身体を守れない状況であるのであれば、それは離れても仕方ないし、むしろ離れる必要がある。


だけど、個人の理由で最初から諦めてしまうのはどうなのかと私は思ってしまうのである。


多分私は、周りの知人に「なんて幸せな、運のいい人間なんだ」と思われているのだと思う(自分で言うのもなんだけれど)。父と母、2人の愛を受け、両親だけではなく、祖母や親戚にもえらいかわいがってもらった。家庭の金銭状況は裕福な方で、お金で不安に思ったり問題が起きたことは一度もない。大きな壁にぶつかることもなく薬剤師になって、そこそこ稼いで。しまいには最高すぎるパートナーである夫と出会い、結婚生活が始まって約1年、たった一度の喧嘩もすることなく穏やかに笑顔で過ごしている。加えてお互いの両親のお陰で、私は今無職ではあるけれど金銭的不安はほとんどない。「本当に幸せ!!!」と心からいえる環境にいる。義理の両親にも愛され、今回の私の妊娠も、両家がもうそれはそれは大手をふって喜んでいる。


「そんな幸せで親ガチャ・夫ガチャに成功したような人間だからこそ愛だの原則だの言えるんだろう」と言われるかもしれない。


そうだ。


そうなのだ。


もうこれには反論できない。間違いなく、こんなにも愛で溢れ、自由な世界を生きてきたからこそ、こんな呑気なことを言えている。そこは否定できない。

けれどどうしても私は、これからの未来に愛を諦めきれない。

子供が笑う。その子をみて、父が笑う。その姿を見て、母も笑う。絵に描いたように美しい夕日の帰り道を、3人で手を繋ぎながら歩く。

そんな美しい未来・愛がこの世界に残り続けてほしいと思う。

残り続けるよう、私達人間は努力しなければいけないと思う。

結婚に向いてないとか、自己犠牲を伴うとか。そんな「共に育てない理由」を考えるのではなく、「共に育てる理由」を真っ先に考える世の中であってほしいと願う。

経済力のない男性はいらない時代だなんて思わないでほしい。男性の愛も変わらず必要な時代なんだと思ってほしい。

女性は一人で子供を育てるために社会的地位を確立したわけではない。人一人の人権のために、確立してきただけ。なんらかのトラブルで一人で育てないといけないとなったとき、どれだけ女性が社会進出を遂げているかでその親子の未来が変わるだけ。


私がこうして平和的で夢を見過ぎたような理想をもっているのはあなたが恵まれた環境にいるからだ、と思われるのであれば、私は私なりに精一杯子のために恵まれた環境を用意したい。


お金は心身の余裕を生む。余裕から生まれる愛は人を育てる。


お金も愛も、どっちも大事。


でも、お金だけで「人らしい人」は育つことができない。


これから私達夫婦が、どれだけ困難に陥ったとしても、私達はきっと、愛を忘れない。


どうか。


どうかどうか。


美しい未来を諦めないでほしい。



綺麗事だと、敬遠しないでほしい。



美しいものがまだまだ残るこの世界で、


そんな寂しいことを言わないでほしい。



まにょ。


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