大切な人との時間は取り戻せない。
2024年8月31日。
あたなには大切にしたい人がいますか?
私には、大切な存在がいます。それは「家族」だ。
家族が私の一番の応援者で、どんなに辛い時も、どんなに悲しい時も寄り添い自分を支えてくれた。
私が今、22歳になるまで何も不自由なく生活できているのは、間違いなく家族のおかげだ。本当に感謝しないといけない。
15歳でサッカー選手で飯を食べていくために田舎を飛び出し、例年プロサッカー選手を輩出するような全国屈指のサッカー強豪校に入学した。
幼い頃から家族と離れ離れで暮らしているから、家族と一緒に過ごしている人よりもより家族の大切さが身に染みて分かる。
サッカーが忙しくて年に一回でも家に帰っただろうか?
数えて見えると片手に収まるほどしか、記憶がない。
特に高校時代はほとんど家に帰った記憶がない。
帰省し両親や祖父母と会うたびに、どんどん彼らの老いを肌で感じている自分がいた。
少し悲しい。
そんな気持ちになった。
私はずっと小さい頃から、祖父と祖母にはたくさんお世話になった。
両親が共働きだったため、祖父母の家に行くと、たくさんご飯を作ってくれた。いつもお小遣いをくれ、これでアイスでも買いなと言ってくれた。
しかし、15歳で家を出て祖父母にも会えるのも年に一回くらい。私が実家に帰ってきた時は、「よく帰ってきたね~ッ!」って泣いて喜んでくれた。
そして、その度に祖父が刺身をたくさん食べさせてくれた。
しかし、私が大学1年生の時に最愛の祖父が亡くなってしまった。その訃報を聞いたのは、練習が終わったあとだった。
横浜で一人暮らしをしている自分は、すぐさま、荷物をまとめて羽田から熊本まで飛んだ。
実家に着くと、お通夜の準備が始めれておりそこで、初めて祖父の亡くなったという実感がじわじわと沸いてきた。
葬式では沢山泣いたな。
祖母が棺桶の横で「じいちゃん、じいちゃん」泣きながら、肩をさすっていたのが今でもすごく印象に残っている。
こうやって大切な人との時間は失われていく。
今年ば祖母が祖父が亡くなった歳の年齢になった。
今年のお盆実家に帰った時、ばあちゃんと久しぶりに会った。
最初にあった時は「あんた誰かい?」って言われ、「まんさい(本名)」で答えると「まんちゃんか~!!」って涙を流しながら喜んでくれた。
私もばあちゃんの元気な姿を見れて嬉しかった。
しかし、認知症が進んでいる祖母はその三分後に母に向かって「あん子誰ね?」って言っていた(笑)
それを聞いて面白くもあったが、それと同時に少し悲しくもあった。
大切な人との時間は戻せない。
大切な人が元気なうちに、健康なうちに、後悔しないように感謝の思いを伝えていこう。
2024年8月31日。
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