不思議夜話 22
昼食後転寝をしていたようだ。
薄ぼんやりとした頭で周りを見回すと、玄関先の三畳間との襖が開け放たれ、客人でもあれば、随分はしたない姿を曝すことになるなぁと慌てて身体を起こした。
その時、突然赤いスポーツカーが玄関先に飛び込んできた。
ドーンという振動が起き抜けの身体に響いた。
車はオープンカーで、白髪交じりの男がハンドルを握っている。運転席側のボンネットが玄関の柱に食い込み、左右の壁が崩れてもうもうと埃を立てていた。一瞬事態が呑み込めなかったが、よく見ると男は狼狽の余りか表情も変えずアクセルを踏み込んでいるようで、空回りするタイヤ音と悲鳴のようなエンジン音が腹にまで響く。”く”の字に曲がった柱がその勢いでグラグラと揺さぶられていた。
身の危険を感じて慌てて次の間へ飛び込む。
「く、車が! 車が飛び込んできたぁ!!」
と大声で叫んだ。
が、声がすーっと抜けていくようで反応はない。家人は留守にしているのだろうか。こんな時にという気持ちと、居なくてよかったという安堵が綯交ぜになって、一瞬思考が止まった。
振り返ると、男が平然と車から降りてきた。しかし、こちらを一顧だにせず踵を返して離れていく。小太りで古めかしいレーサー風の装束だ。
「まっ、待て! どこへ行く!!」
と喚いたが、聞こえてないのか、無視をしているのか、落ち着き払ってゆっくりと表通りへ消えていった。
急いで男を追いかける。 が、どこをどう進んだのか、玄関先に飛び出た私の視界にはすでに男の姿はなかった。
頭の中で出来事を整理していると、遠くから賑やかな楽曲が流れてきた。
家の前を通っている道の先に広場があり、そこに仮ごしらえのステージが作られていた。虹色のライトに照らされてサーカスの一団が、ジャグリングや組体操を披露している。誘われるようにそのステージ近くまで行くと、さっきの車の男がセンターマイクで何やら喚いていた。
「こいつだ! 車を家に突っ込ませたのは!」
周りの観客を見回しながら、指さして大声で叫んだ。
しかし、観客はその男の話に聞き入り、大きな口を開けて笑ったり、両手で拍手をしたりするだけで、こっちの話に耳を傾ける様子がない。
「どういうつもりで、人の家に、」
と叫んだところで、その男が私を見た。
にっこり笑ってステージを降り、こちらに近づいてくると、私の肩を抱いて穏やかな顔で話しかけてくるのだが、一向に何を言っているのかわからない。観客は、男が私に話しかけ、それから観客のほうに向きなおる度に大声で笑っている。だんだん腹が立ってきた。
ふと横を見ると、赤いスポーツカーが止まっている。あの車に間違いはないのだが、玄関に突っ込んだはずのボンネットには傷一つない。
私は男の胸倉を捕まえ、車のそばまで連れてくると、証拠写真をと考えて、ナンバープレートが見えるようにスマートフォンで男と私と車の写真を撮った。しかしながら、男は悪びれもせず、カメラにおさまっていた。何枚かの写真には、ピースサインまでしているものがある。
馬鹿馬鹿しくなってきたので、掴んでいた胸倉を放して、
「この証拠写真を警察に届けるからな!」
と言い放って家まで戻った。
玄関に入る。
先ほど車に追突された酷い有様は、そんなことが全く起こらなかったように元に戻っていた。首をかしげて家人を呼んでみる。すると、エプロンで手をふきながら、どうしたのとでも言いたそうな妻が台所から顔を出した。
「おとうさん、お届け物があったわよ」
何事もないように話す。
「いや」
と言いかけて、邪魔くさくなって止めた。下駄箱の上を見ると、大きな花束が置かれていた。
「それ、花束。あと一つは机の上にあるわ」
そう言いながら妻は奥へ引っ込んだ。
花束は、先のほうに薔薇らしい花が見えるが、黒い包装紙で巻かれていて内側がよく判らない。手に取ってみると、薔薇の色はどす黒い赤色でかすかに鉄の匂いが漂う。嫌な予感がし気味は悪いが、黒いリボンを解いて中を見て驚いた。血の気が失せた細い女性らしい手が薔薇の枝を数本握っており、それが花束になっている。赤黒染められた花弁は吸い上げた血の色で、鉄臭いと思ったのは、手首で切断されているため、辺りに流れ落ちた血の匂いだ。
「ぎゃ!」
と叫んで、花束を放り投げた。こちらの血の気が引き、汗が流れる。脈が速くなり呼吸が乱れる。
恐怖にかられながらも、もう一つとは何かと思って、書斎へ通じるドアを勢いよく開けた。
白熱灯が一つポツンとと持っており、下のマホガニー調の机の上に首から上、もっと言えば肩口から上の女性の頭が向こう側を向いて置かれてあった。色白でブルネットの髪、首筋が立ち細い。柔らかくとがった顎が若い女性を示していた。
何だこれは。女性の手首の花束と、女性の頭部。何が何だか判らなくなり、恐怖を紛らすために叫ぼうとするのだが、喉の奥から壊れた笛のような風切り音がするのみで、声にならない。逃げ出そうにも腰が砕けて動けない。
そうするうちに、ギギギと音を立てるようにして、ゆっくりとその頭部がこちらのほうへ向きを変えた。目がパチリと開いており、眉間に苦悩の縦皺が寄って私をじっと見つめている。唇がかすかに開いて何か訴えるように動く。恐怖に気が狂いそうだ。瞳孔が大きく開き、声を出そうにも顎がガクガクして声が出ない。
何とか玄関側に振り返って引き戸を開けたら、タオルケットに包まって、身動きの取れなくなっている自分に気づいた。
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