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不思議夜話 12

どこかの地方都市にある駅のベンチに腰かけて煙草を吸っていた。
横にいた連れらしき男が聞く。
「今日はどこに泊まるんだい。」
ざっと周りを見渡すと、向かいのビル越しに手書き風文字で「財宝温泉」と読める屋上看板が、3つばかりの強いライトで照らされていた。目立つものはそれ以外になく、多少面倒臭くも感じたのでそれを指さして答えた。
「さぁ、あの旅館じゃないか。」
すると向かいに腰かけていた別の男が頭を振った。
「いや、こっちのホテルだと聞いたが。」
振り返ると、ぼんやりとした景色の中に、なるほど年代物だがこじんまりしたホテル様の建物が建っている。吹き板ガラスを嵌めた窓は、夕景色の明かりの中、ロビーを行き交う人々の”虚栄”や”欲望”を不規則に歪んだ姿として映し出している。隣にはやけに赤色が目立つカフェがあり、石畳様の道路に雑然と並べられた白いテーブルを挟んで、数人の客が談笑していた。

見覚えがある、と思った。
一昔前、仕事でパリに10日ほど留まることになったのだが、宿泊先はリヨン駅近くにあり、毎日地下鉄に乗って中心部へ通った。リヨン駅前の広場真向かいにあったホテルがこんな感じだったと思う。そして、確かに隣りはカフェで、2度ほど夕食を食べた。初夏だったせいか、いつまでも夜の帳は下りず、8時を過ぎてもなお明るかった。自ずと同僚と二人で食べる夕食は遅くなり、日付が変わる頃に宿泊先へ辿り付く毎日だった。
そんなことを思い出しながらぼんやりとホテルの窓を見つめていた。

不意に後ろから女性の声が聞こえた。
「いい湯加減でしたよ。」
振り返ると、十畳ほどの畳部屋で浴衣を着て寛ぐ家内と、まだ小さかった頃の子供たちがテレビを見ている。ああそうか、今日は家族旅行で温泉に来たのだったと気づいた。ベンチだと思って座っていたのは、籐で作られた椅子で、前の丸卓の上には、大きめの白い灰皿があり、紙マッチが添えられていた。その横に、オレンジ色で少し透けている細長い角棒に10センチばかりのチェーンで繋がれた鍵が置いてある。窓際に置かれた定番の「蚊遣りぶた」から夏の香りが立ち上っていた。
「じゃ、風呂へ行ってくる。」
煙草を消して立ち上がり、タオルを肩に掛けると、いつの間にかに浴衣姿になっている。不思議とは思ったが、考えるのが面倒になりそのままスリッパを引っ掛けて廊下に出た。鈍色の安物の絨毯が続く薄暗い廊下を行くと、右から光が漏れている。どうやらエレベーターホールに続く曲がり角のようだ。特に思うところがあったわけではないが、その角を曲がった。

強い光に少し幻惑されて周りが見えない。
暫くすると、慣れたせいかぼんやりと辺りが見えてきた。
リオンの地下鉄駅を上がってきたところだった。仕事のプレゼンテーションを終え、遅い夕食を済ませて帰るところだった。同僚と二人並んで歩く。靴音だけが乾いたリズムを刻んでいた。緯度が高く昼が長いとはいうものの、流石に夜中近くになると人通りも少なくなる。宿泊先はここから10分程度なのだが、薄暗い通りを幾つか越えていくので少し緊張感が走る。ましてや同僚は女性だ。格好をつけるわけではないが、しっかりせねばと気合を入れた。
そうだあの時、と思い出した。
向かいから来た3人の若者が通りすがりに、
「Chinese?」
と聞いてきた。
「Japanese!」
眼力を込めて応じると、
「Good Night.」
と笑いながら通り過ぎた。
そうだったよな、実は内心びくびくしていたんだよ、と思い出話を語ろうと同僚の方を向いた。

そこには、浴衣を着た家内が幼い娘の手を引いて、夕景に染まる堀端を歩いていた。温泉街かところどころに湯けむりが立ち上る。
「うわぁ、きれい!」
娘が声を上げたので、顔を上げると花火が夜空を染めている。
ヒュー、パン。ぱっ、ぱっ、ぱら、ぱら、と後から音が追いかけてくる。なるほど見事な花火だ。「どうれ、」と言って娘を肩車した。胸元に下がる可愛い足を両腕で抱える。また花火が上がった。間を置いて音が続く。
そう言えば、子供の夏休みにこうした家族旅行に出かけたものだ。歳の離れた息子が生まれた時も、一家四人で軽四を駆って由布院まで出かけた。家内が大病を患って手術をしその回復療養の時も、子供がかわいそうだからと子供と三人で福井まで走った。それもこれも若いから出来たのだろう。親孝行だとは言わないが、元気なころの父親や母親も同行させたこともあった。
が、時は流れ、いつの間にかみんなで旅行に出かける事もなくなってしまった。花火の音を遠くに聞きながら、久しぶりの家族旅行も悪く無いなぁと思った。
「おい、次は何処へ行こうか。」
と言って振り返った。

すると、いるはずの家内はおらず、体育館ほどの倉庫みたいな建物の端で一人ぽつねんと立っていた。相変わらず花火の音が遠くで聞こえるような気がする。大きな鉄製の扉を押して屋外に出た。そこは建物の陸屋根の上だった。周りに灯はなく、仕方なしにズボンのポケットに手を入れると、クシャクシャになった煙草の箱と紙マッチが出てきた。
そうだ、暫く辞めていた煙草も何の因果か復活したのだと思った。意志薄弱にも程があるなぁと苦笑いし、壁にもたれてマッチを擦る。立ち上がる炎をしわくちゃの煙草に寄せる。紫の煙が立ち上って、蛍火のような灯りが周辺を僅かばかり照らす。身体には良くないとは思うが至福の時だ。どこかで見た映画のシーンのようだと思った。
すると花火の音だと思っていた音が、「ブーン、ジーン」という感じの地虫の鳴き声のように思えてきた。横を見ると、暗闇の向こうから随分古い飛行機がプロペラ音を立てて通り過ぎる。それも一機ではなく、大小取り混ぜて何機も何機も。胴体には昔映画で見たアメリカ空軍の印がペイントされている。驚いて立ち尽くすと、どうやらサイレンまで聞こえだした。空襲という言葉が頭に浮かんで心臓が脈打つ。

目覚めたのはビジネスホテルの一室だった。時計を見ると夜明け前。窓の向こうには林立するビル群の中で、不気味な赤の航空灯が点滅している。脇の道路を救急車が通り過ぎてゆくようだ。
この半年余り、ステイホームで出歩くことがほとんどなかったが、久しぶりに仕事で上京してきた。抑圧されていた漂泊の思いが一気に噴き出したのだろう。ため息をついてテーブルを見ると、そこには煙草もマッチもなかった。


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