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料理本

料理が好きでも得意でもないのに、なぜか手に取っては買ってしまう料理本。隅から隅まで作ってみるわけでもないし、お気に入りの料理家さんのものを集めているわけでもない。ふらっと本屋に入ったらまずは料理本コーナーに向かってしまうし、平積みしてあるその時期にオススメの本をパラパラとめくっては料理家さんとタイトルをメモして後日ポチる。

結婚して子どもができて、日々のご飯のことを考えない日はない。というかご飯のことばかり考えている。息子の食べたいもの、食べられるもの、栄養のこと、昨日の残り物、冷蔵庫の中身、財布事情。様々な要素を考慮して、それぞれの円のわずかな重なりに適う献立を考える。はっきりいってもはや重労働である。休日なんて、お昼ご飯を食べているときに晩ご飯の相談を持ちかける。そういえば、母もそうしていたっけ。あの頃は、なんでお昼を食べている時に晩ご飯の話をするのか不思議でならなかったが、今は痛いほど母の気持ちがわかる。

料理本は、献立作成という日々の労働を軽くしてくれるような、そして同時に別次元へ連れて行ってくれるような、そんな存在である。掲載されている料理を作って食卓に出すこともあれば、美味しそうだなとうっとりしながらそれでもきっと一生作ることはないだろうと眺めるだけのものもある。私にとってレシピ本は、写真集のようなものだ。もちろん、こんな料理を作ってみたい!という気持ちがあるからこそ興味を惹かれて手に取るのだし、購入すればいくつかは作ってみる。けれども、ふと時間ができた時に手に取るのは雑誌や小説ではなく料理本で、美味しそうにスタイリングされた自分の食卓とは程遠いオシャレな写真に現実を忘れ、こんな料理が食べられたら、と夢想する。そう、私はきっと、自分が作った料理ではなく、誰かが作ってくれた料理を食べたいのだ。家族の食べたいものや栄養、冷蔵庫の中身を考え、味見を重ねて作った自分の料理ではなく、そのような一切から解き放たれ、食卓に出されて初めて体験する料理を。

なんてことを思いながら今も、晩ご飯のことを考えている。

(写真は長谷川あかりさんの『いたわりごはん』から作った「薬味たっぷりだしカレー」です。)

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