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小説(SS) 「あやしいタイムスリップコップ」@毎週ショートショートnote

お題// タイムスリップコップ


「ほう、このコップをシェイクするだけでいいのか」
「ああ。だが途中で止めたら、カウントはそこまでだ」

 繁華街のある駅の高架下を歩いていたら、路上に机と椅子を出している露天商に呼び止められた。

 いつもなら無視して通り過ぎるとこだが、妙に小綺麗な印象のある、サテン地のブルーシャツを着たガンジー似のおじいさんだったからか、促されるまま椅子に座ってしまった。

 まあどうせ占いの類だろう、と高をくくって話を聞くと、タイムスリップ体験ができるという……ので、おれはからかい半分で金を出した。

「一チャレンジ千円だ。この不思議なタイムスリップコップを振ると、シェイク五〇回につき、一秒だけ意識を過去や未来に飛ばすことができる」

「本当に? というか、五〇回につき一秒って、コスパ悪くないか?」

「タイムスリップができるんだ。文句は言うもんじゃない。まあ、試せばわかるってもんさ」

 ガンジー風の露天商は、おもむろにポットを手に取ると、ステンレス製のコップの中にエナジードリンク色の液体を注ぎ込み、コップに蓋をして差し出してきた。

「ほれ、振ってみい。意識を飛ばしたい場所、時間については、頭の中でしっかり念じるだけでいい」

「よし、んじゃあ試しに百回シェイクを目指してみるか」

 椅子から立ち上がり、シェーカーを持つように両手でコップを掴む。大きく息を吐き、最近運動していないなと思いながら、首をこきこき鳴らす。

 おれは昨日、仕事帰りに行ったスーパー銭湯で、大事な結婚指輪を失くしてしまった。風呂に入っている間はついていた気がするのだが、いざ着替えて店を出てみたら、指にはまっていなかったのだ。
 そのせいで妻と喧嘩もしてしまい、今日は一日中、気持ちが沈んでいた。店に電話をかけても、その手の忘れ物はないと言われ、尽くす手もない。

 正直、サウナに入りすぎて頭がぼうっとしていたのは事実だった。風呂上がりに扇風機の前にある椅子にもたれかけ、うとうとしながら涼んだりもした。 
 もしかすると、あの場所あの時間に戻れさえすれば、なにか手がかりが掴めるんじゃないかと、おれは思っていた。

 高架下をたくさんの人が行き交う中、気合いを入れ直す。叫び声を上げながら、おれは全力でシェーカーを振り続ける。

 まだ四〇回。まだ五六回。やっと七〇回。
 ようやく七三回。うがああああっ、ハ〇回。
 ふんぬぉぉぉっっ、ハ四回。んぐがあああっ。

 結局、九〇回で限界に達したおれは、一秒だけタイムスリップできる権利を得た。

「ハァ、ハァ……それで、こいつをどうすればタイムスリップできるんだ?」

「飲め」

「うえっ、あの緑がかった液体を!?」

「さっさと飲み干せ。でないと、千円がムダになるぞ」

「そんな! ちきしょう、聞いてねえぞ!」

 おれは息を止めて、一気に呷った。こんな露天商のなにが入ってるかわからない怪しい液体を飲むことになるなんて。だが喉はすっかり渇いていた。

 飲める、飲めるぞ、案外まんまエナジードリンクみたいな美味しさだ! 完飲!

「さっさと座った方がいい。まもなく飛ぶぞ」

 言われてすぐに椅子に座る。直後に急なめまいに襲われた。
 気づくとおれは、スーパー銭湯浴室の上空から全体を見下ろしていた。裸体の男たちが、湯気の切れ間を歩いている。おっさんが頭にタオルを乗せて湯船に浸かっていたり、走り回る子どもを親が止めようとしていたりする。
 このときのおれは、どこにいるんだ。
 えっと、えっと……えっと……。


 タイムスリップ、終了!


「うわあっ!」

 目を覚ましたとき、目の前にあったのはガンジーフェイスだった。露天商がにこやかに笑う。

「どうだった?」

「はい、確かにタイムスリップしました。信じられません。ですが……とにかく短すぎます!」

「そりゃあ君が、九〇回で音を上げたんだから仕方ないだろ。どうする、もっかいやるかい?」

「うっ……じゃ、じゃあ、あと一回だけ」

「ふふふ、いいだろう。ほれ千円」


 おれが黙って金を渡すと、露天商は先ほどと同じ手つきでコップを渡してきた。

 今回は、五〇回ぴったしでやめよう。そして、一回目より明確に場面をイメージするんだ。風呂上がりに椅子でゆったりしていたとき辺りが怪しい。あのときだけにフォーカスを当てる。
 ふと、露天商が咳払いをした。

「楽しんでるようでなによりだ。このコップは意識を飛ばして、その場面を見ることしかできないのにねぇ。君には、よっぽど確認したいものがあるようだ。未来でも飛んだのかい?」

「いや、そんなたいそうなことでは……昨日、スーパー銭湯で指輪を失くして、妻にこっ酷く怒られちゃいまして」

「そうか、それはしんどいな。奥さんもさぞかし、悲しんでいることだろう」

「はい……そのためにも、どこで落としたのかを知りたいんです」

 露天商が首を小さく縦に何度か頷く中、おれは渾身の力をふるい、五〇回ちょうどになるまでシェイクし続けた。なんとか、強い意志でやり遂げる。そのままおれはコップの液体を飲み干し、椅子に座った。

 目を開く。スーパー銭湯の脱衣所の天井から見下ろしていた。視界の端に、マッサージチェアに身を委ね、扇風機の風に涼むおれの姿があった。
 そこに近づく、腰にタオルを巻いたよぼよぼの人物がいる。そいつは、稼働中のマッサージチェアの横まできて腰を下ろすと、目を閉じているおれの様子をじっとうかがっていた。瞬時に手を伸ばす。おれの左手薬指。結婚指輪が引き抜かれる。まさかとは思ったが、盗まれていた。
 老体が突如、振り返った。視線はなぜか、こちらを向いている。ふと、目が合う――


 生ぬるい感覚。
 おれは意識を取り戻すと、吐血していた。至近距離でこちらを見る露天商が、返り血を顔に浴びながらにこりと笑った。

「まさか、あんたがあの指輪の持ち主だったとはな」

 腹部には、包丁が刺さっていた。どす黒い血が、おれの着る白シャツを染め上げている。
 気付けば、高架下の通りに人や車はおらず、静かな時間だけが、そこに流れていた。

「あの指輪はすでに売り飛ばした。いい金になったよ。だがおれもあんたも運がなかったようだ。わずか一秒じゃあ、逃げることもできねえ。互いにな」


 おれは、薄れゆく感覚の中、狂気に浮かぶガンジー風の顔がにやりと笑うのを見た。
 こんな男ひとりに、すべてを奪われるのか。
 視界が暗くなり、ふと力が抜けていく。おれは、机に頭を突っ伏した衝撃で意識を失った。
 ああ、こんなうさん臭いものに手を出すんじゃなかった。


〈了〉約2,600字




読んでくださり、ありがとうございます。

千円をもう一度出すあたりで、ふっと笑える哀れなオチで調整してもよかったのですが…欲を出してつらつら書いたら、ダークな終わり方になってしまいました笑

タイムスリップという王道ネタだったので、
「あんまりタイムスリップできない」というしょうもないアプローチに、コップっぽいギミックを足す感じでやってみました。

今回は、よきフリー素材がなかったので、Midjourney君にサムネイル絵を作ってもらってます。

ではでは、また来週お会いしましょう~。




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