何事も自分の判断で
7月8月は仕事場を開けるつもりでいましたが、日本一感染者数が爆上がりしている汚染中心地区新宿に大事なお客様を呼ぶわけにはいかないでしょう、というごく普通の判断をした結果、再びリモート中心の生活に戻ることにしました。
残念ですという声をいただきうれしいです、3月以来すっかりナマケモノが板についたわたしとしては開いてほしいという外からの要望がなければ仕事場はいまだに開けてなかったと思うので、自分の存在が世間からニーズがあったことを確認できただけでじゅうぶんです。
予約してくださったのにいろいろ二転三転してしまい申し訳ありません。でもリモートも良いですからね。開始30分前に起きても間に合うなんて最高じゃないですか。画面オフにしとけば5分前起床でもいけますね。
有限の時間である人生、なるべく有意義に使いたいものです。
金と時間と忍耐力を動員して満員電車に乗るより、その時間を質の良い睡眠にあて、5分前に起きて指一本でバーチャル空間で仕事開始できるリモートのほうが、人生ははるかに有意義といえます。
とはいえわたしは自分の仕事場が好きです。
鉱物水耕のおかげで見た目的にも空間に清浄感があり訪れる人にも好評で、この部屋は気持ちがいいですねと言ってもらえるたびに内心「そうでしょうそうでしょうちなみにこの装置はわたしが作りました」とドヤっています。
眺めもいいです。
余談ですが、去年すぐ隣にビルが建ってしまったのですが、工事期間中ずっと我が最大の霊力をフル発動して「この眺めを阻害する高さになるのだけは絶対にいやだ」と全身全霊で念じ続けた結果、ギリうちの窓の下の高さで工事完了したのでよかったです。やっぱりダメ元でも願ってみるもんですね。まあ霊力とかは関係ないですねたまたまです。そもそも霊力とかねえよそんなもんは。
とにかく相変わらず、仕事場はいい感じです。
我が国の政府は意味不明の政策ばかりしてますが、そんなもんは無視していくべきです。
さっさと緊急事態宣言を出せばいいのにいつまでたってもやらないので、このままどんどんひどいことになっていくでしょうが、別に政府の判断なんか待つ必要なくて自分で状況考えて、自分から引きこもれば問題ないわけです。
これからはますます、自分の判断が問われる時代になっていくと思います。
人類は何度も大きな伝染病にさらされてきました。
ところで陰陽五行論を生み出した古代東洋人の意識をよく観察してみると「自然には逆らわない」が基本中の基本です。
自然とは神の意志の代名詞の役割を果たしてるのだから、自然現象の奥にある神の意志=宇宙法則を自然現象を通して推し量る。
なので自然が猛威を奮っているときは、それが神の意志なわけで、宇宙法則である神の意志に人間ごときが逆らったところで、ひたすら翻弄され苦しむだけです。
わたしは伝染病というのは数百年サイクルで人類全体に襲いかかる全地球型台風みたいなものと思ってるので、なんでそんなときにわざわざ外に出なきゃいけないんだろうと思います。
自然には逆らわない、起こる出来事にはただ臨機応変に対処する、それが古代の賢人の智恵です。
応用力とは、人間にしかない才能です。
外に出られないなら出られないなりに工夫する。
それだけのことです。
リモートでも楽しくやれます、画面越しでも人はつながることができる。
そうやって部屋にこもって仕事をしてから、よし散歩だ!!と外に飛び出したとたん目の前にこんな空が広がっていると、すごい幸せな気持ちになります。
古代東洋人はとにかく分類思考に長けていたので、自然の静物を五行に分けたあと、自然の動物のこともちゃんと分類しました。
彼らはそのなかで、地上の動物と同じノリで天界の動物もしっかり分類しました。
現代感覚からするとそれらは古代人が空想した動物と考えられていますが、古代人は別に空想したわけじゃなくて、ごくあたりまえに天界にも動物がいると思っていました、大真面目にそう考えていたのです、天界(正確には地上と天をつなぐ軸上)にも動物がいるにきまってると、自然を観察してその先に神がいると考える彼らはナチュラルにそういうメンタルの持ち主だったわけです。
だから東洋の龍は、西洋の龍とはその意識の発生の根本からして異なるものです。
そういう思考とゴビ砂漠あたりに転がっていた恐竜化石は不思議に連結し、東洋の龍を意識の中で現実化していったんじゃないかと思います。
十二支の辰は、そういう下地がすでにあるところにずっとあとから来たトーテムアニマルで、逆にいえば十二支の到達以前に天界まで分類していた思考があったからこそ五行とスンナリ合流したものとも言えるわけです。
めっちゃ話し逸れた。
いずれにしても龍と人の歴史はそれくらいに長い。
さて東洋における古代皇帝とは、地上にいながらにして天の神とつながり、天の意思を受け、神からあずかった大地を治めることがそもそもの役割でした。
中国皇帝の玉座の上にある龍の像には、ふさわしくない者が座したときに咥えている玉を落とすという伝説があるようですが、地上と天をつなぐ軸上に生きる龍に、古代の人が審判をゆだねたのは自然な感覚だと思います。
しかしわたしはそういう思想も結局は、個人に帰結するものと考えます、なぜなら自然観から生まれた五行論が帝王学に限定されること自体がおかしな話しであり、あくまでも帝王学は五行の自然観から発達した理論であるわけで、原点にかえれば、五行則自然つまり個人の宇宙にあてはめられてあたりまえです。
「我は神(自然)」という博士の言葉は、皇帝でなくとも人はただ個人として生まれこの地に降り立ったというだけで、どこにいても自分にとってはそこが地上の五方向の中央であり、そこで天軸とつながり、いつだって自然の直感という神の啓示を受けることができる、という意味と同じと思っています。
だから自分の判断が重要です。
どんなことも、自分で考える。
皇帝というものは人類の進化の過程で個人を拡大させた人間社会の政治における必要な立ち位置として、便宜上リーダーが必要だから設置しただけで、別に皇帝だから偉いわけじゃない。
役目なんてただのポジションです。
だから役目以外のとき、ポジショニングしてないときは、みんな対等でなければならないと、わたしは思います。
人間小宇宙ってそういうことだと思うんですよね。
自分より偉そうというだけの誰かに盲目的に従うなんてバカげてます。
自分に従って生きていきましょう。
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