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#7 「ア・ライブ・イング」

「読書が趣味の根暗なヤツ」のレッテルを貼られ、
その名の通りに、中学・高校と、休み時間になっても、友達と校庭に飛び出す事などはなく、

教室の自分の席か、図書室でも周りに人が少ない席を探し出し、時間一杯読書に勤しんだ。

大学になってもそれは変わらず、学食や大学敷地内にあるベンチに腰掛け、一人だけの時間を多く過ごした。

今思えば、小学生時分には擦り傷切り傷を作りながら、友達と呼べる同級生達と走り回っていた日々が懐かしい。

決してそれが羨ましいと言う事ではなく、元来、読書が一番の趣味であり、どんな時にでも、筆者が描く空想の世界の登場人物の一人となり、喜怒哀楽を感じるあの感じが好きだった。

さらにいえば、勉強も運動も、突出したものはなくとも、人並みには出来たので、誰からもいとまれることも、卑下される事もなく、この一人の時間を邪魔する者も介入する者もいなかった。

幸いととるか、不幸ととるか。

そんな学生時代と共に、三十余年を生きてきた今、平日は食品工場の製造ラインの一端となり、
昼休憩時には、食堂の隅、誰も寄り付かない定位置で食事を済まし、終業時間を迎え、タイムカードを切った後の夜には、同僚と夜の街に繰り出しすなどもなく、ただ真っ直ぐに、朝来た道を、同じ歩幅で帰る。

自分の社交性のなさを呪う時期もあったのだが、
誰から嫌がられる事も、嫌がらせを受ける事もなく、そして、自分自身について何かを問われる事もなく、

空気と一体化している様に、周囲にとって自身は、”ただ当たり前にそこに存在するもの”という認識なのだろうと自己分析した。

自分自身も、そんな環境に慣れてしまったというより、もしかしたら、気持ちの良さすら覚えてしまったのかもしれない。

違和感も感じぬまま、気付けば15年という時が経過していた。

休日には、目的もなく街に出ては、本屋や図書館に立ち寄り、まだ目にした事のない本を手に取る。帰宅後、取り憑かれた様に読書に勤しむ。

読者を通じて、時には笑い、涙する。怒りを覚える事もあれば、悲しみを感じる時もある。心が揺さぶられる事はあっても、自身が変わる事は一度もなかった。

昨日も先週も、去年も、いや、来年もきっと同じ日々だ。

「それでいい、それが十分だ。」
これ以上の幸せも不幸せも望まない、いつからか、そんな感情が、身体の奥底、深く深く張り付いている。

今日もまた、先日、立ち寄った本屋で買った、話題となっている有名作家の数年振りの書き下ろしの新作を読み切った。

この作品に対しての、様々な品評を目にしたが、一読者として、ただただ、面白かったという感想に尽きる。他人には他人の視点がある、自身の視点がそんなちっぽけなものでは揺るがない自信はあった。

読み終えた本は、余程のことがない限り、古本屋に持ち込み売ってしまう。
以前までは、「いつか思い出した様に読むのだ」と思い、全てを保管していたが、いつしかその量は、自宅の生活環境を支配していき、

その圧迫感と、読み返すことはほぼ無いと気付いた時、処分を決意した。損失感どころか、爽快感すら感じてからは、一冊も残さない事としている。

今回読破したこの本も、迷うことなく、手放すつもりだった。また、新たな人の手に渡る事の方が本望だ。

いつもの古本屋に向かおうと身支度を済ましたところで、なんの前触れもなく過った、一つの疑問。

「オレはこのままで良いのか?」

初めてに近い感情だったかもしれない。
ただ、その解決策や、正解・不正解も知らないし、知るよしもない。

履きかけた靴を脱ぐと、ボールペンを握り、机に向かう。

出掛けようと支度をしたのは、まだ太陽が登って幾時間しか経過してなかったが、気付けば窓の外は青黒さが漂い始めていた。

改めて、自宅を出て古本屋へ向かう。
ただ、今回はリュックサックに幾らかの荷物を詰めた。

古本屋では、いつも通りの事務的な手続きで、本を売却。話題の最新作という事もあり、定価に限りなく近い買取金額が設定されていたが、返ってきたのは定価の1/10程度の金額であった。店員は残念そうに、

「こちら古本で購入されました?中にチェックの様な落書きがありまして、こちらがなければ、高額で買い取れたんですが...。」

「あぁ、点とか丸ですよね?そうなんです、買った時から書いてありまして。ただ、読めれば一緒ですし、読んだらすぐに売ってしまおうと思っていたので、気になりませんでした。実際、僕が買った時も、話題の新作にしては大分安い値段でしたので。」

嘘だった。それは自分の仕業なのだと素直には言い出せなかった。ただ、それで良かった。思惑通り、

「それでも、この本話題なので、すぐに売れると思うので。」

店員のその一言で、安堵すら覚える。処分をされてしまっては元も子もない。

店を出ると、目の前の国道を海の方向へと歩く。
もう空は黒々とし、星屑が点々と散らばっている。

国道に沿って走る鉄道の高架を抜けると、聳え立つビルやマンションを抜け、海沿いにある海浜公園に辿り着く。

周囲には、犬を連れた周辺住民と思われる高齢の女性だけで、この時間には流石に人の姿は見えない。

川の水が海に注ぐそのすぐ傍にある大きな木の下に腰を下ろした。

木の根元を掘り返し、ノートが入った袋を地中に入れると、掘り起こした土を戻す。
罪悪感を感じたが、スコップの先で、木の根元にキズをつける。

掘った場所を足で慣らして、すぐにその場を離れる。
自宅からは少し離れた所まで来てしまった。
お腹の虫が何かを伝える様に、ぐーぅっと鳴る。
そう言えば、今日は作業に夢中になり、食事を取っていなかった。

「さぁ、帰ろう。」

億劫な気持ちは微塵もなかった、寧ろ、今感情を支配しているのは、充実感とか満足感に似たものかも知れない。

※※※

「人の作品を知り、作品の構成や、感情や表現方法を学び、そして、流行りや時代を感じなさい。」

これは、学生時分に講師が良く口にしていた言葉だ。

その言葉に従順に従っているつもりはないが、時間を見つけては古本屋に立ち寄り、少しでも話題になっているもの、いや、正確には、話題になっていた本を手に取る様にしている。

本当は発売のその日に手に取りたいと感じている作品でも、

「あと数ヶ月まてばきっと半額に...!」

自身に言い聞かせ、その時をじっと待つ。いつからか貧乏性が染み付いてしまった。

専門学校を出てから早五年、何度も作品を寄稿するも、一度も受賞、採用を受けた事はなく、今や、日々バイトで食い繋ぎ、他人から見れば、趣味でやっている執筆と言われても反論が出来ない状況。

それでも、いつか自分の名前が記載された本が出版される事を夢見て、毎日ペンを握る。
諦めるという選択も過った事はない。
いつか、そう、いつか。

今日もまた店内に入ると、慣れた足取りで、安価コーナー・新作・新入荷棚に向かう。

「あっ!」

発売されて1ヶ月にも満たない、話題の新作が、定価の半額以下の値付けで収まっていた。

高揚感とともに、何故?という疑念を感じ、手に取った本を入念に見渡す。

酷い汚れや折れ、破損状況はなさそうだ。では何故?より一層増した疑念は、ページを捲るとすぐに分かった。

全てのページではなく、不規則に点や丸などが文字の横や、文字自体に記されている。
ただ、落書きや、添削・追記が行われているわけでははないので、

「もしかしたら、前の所有者も作家志望で、表現や接続詞の使い方などをマークしていたのでは?」

と思うと、親近感すら覚え、先程までの疑念はすぐに立ち消え、はじめに感じた高揚感が倍増して訪れ、迷う事なくその本を抱え、レジに向かった。

自宅に戻ると、すぐに本を開いた。

昔からこの先生の作品は読んで来た。作品自体の設定や人物の設定、人間性など、多種多様、時に理解に苦しむ作品があったりもするのだが、流石の人気作家、その奥行きや懐の深さの様なものは、作家志望の私にとっては、参考書の様な物かも知れない。

今日は自身の作品執筆はせず、夢中で読書に勤しみ、一日で読破した。

「あー!やっぱりすごいなぁ、伏線の張り方と回収の方法、タイミング共に絶妙過ぎる...。この発想、何から生まれるんだろう...?朝起きたら、頭の中、入れ替わらないかな?」

自分との実力差を痛感し、心が折れそうになり、今夜はペンを握る事はやめた。
今執筆を始めたら、コピー作品の様になってしまう気がしたからだ。

ただ、夢中になっていたから気にも留めて居なかったが、前所有者が書いたと思われる、様々な印が今更気になった。

もう一度、読み切ったばかりの本を開き、印を追いかけてみる。

「も」など、一文字の場合も有れば、
「まれ」など、二文字以上の意図の分からない組み合わせも有れば、
「太陽」や「自分自身」などの単語の場合もある。

ただ、作品中の重要な局面だけでなく、関係のない箇所、さらに言えば不規則な印であることに、

「これはメッセージかも?」
と、すぐに感じ、この印を全て紙に写すと、それぞれを繋ぎ合わせる。すると、予想通り、ある文章が浮かび上がってきた。


「もしも生まれ変われるならば、太陽になりたい。
自分自身も輝いて、人々を明るく照らす、そんな存在に。
僕は今、大きな木の下にいる。真っ暗な中、蝉やカブトムシの幼虫の様に。
外に出た時にはその明るさにびっくりするかもしれない。
けれど、その日が来る事を心待ちにしている。
その時には、誰かの心に明かりを灯す、太陽みたいになりたいな。
海に注ぐ、ビルに囲まれた川の一角、ただ一本、風景と同化する様に自生する大きな木の下。
いつか外の世界に出れる日を待っている。」

明らかなメッセージであり、少し影を感じる文章に、事件の臭いすら想像し、不気味かつ、少し恐怖を覚える。

ただ、この文章を書いた本人の主観となる内容で、文末の、

「いつか外の世界に出れる日を待っている。」

この言葉に、救いを求める願いの様な感情を感じ、いてもたっても居られない感情が湧き起こる。

「明日、探しにいってみようか。」

見つかる保証もない、ただの悪戯かもしれない、もしかしたら本当に事件に巻き込まれてしまうかも知れない。それでも、本当に誰かの救いを求めるメッセージだとしたら、見つけ出したい。何か分からないそれを。

明日、バイトを休む旨のメールを店長に送る。学校をズル休みした時以来の、嘘での休みかも知れない。

眠るまで、そのメッセージを見つめて、場所の特定を試みる。

何処か遠く遠くの場所を示しているとするなら、それはお手上げだ。ただ、あの古本屋に持ち込んだとするなら、前の所有者は、少なからず、近い生活圏内におり、メッセージの内容を見るに、

わざわざ見つかりにくい場所にはしないだろう。と推測する。ミステリー小説も今まで沢山読んで来ている。犯人の心情を読み取る術が自然に備わっているのかも知れない。我ながら、筋の良い推理と感じた。

文章に示された場所のヒントを、周辺に当てはめてみる。

“海に注ぐ、ビルに囲まれた川の一角”

みなとみらいの光景がすぐに浮かぶ。

“僕は今、大きな木の下にいる。真っ暗な中、蝉やカブトムシの幼虫の様に”

木の下に埋まっているのであろう。

“外に出た時にはその明るさにびっくりするかもしれない”

周りに太陽を遮るものが少ないのかもしれない。

最初に感じたみなとみらいの光景から、スマートフォンの地図アプリを開き、周辺の川が海に注ぐ地点を探す。

本牧埠頭、大桟橋付近に木のイメージが湧かない。

「臨港パーク...?」

翌日、普段ならまだ、夢の中であろう時刻に目が覚める。

遠足の日の朝に感じたワクワク感に似た感覚だ。
早々に身支度を済ませて、トーストした食パンにイチゴジャムを塗ったものを口に放り込む。

新品の靴を履いた一歩目の様に、いつもより少し前つんのめる形で、玄関を飛び出した。

雲一つない青空に春の訪れが近い事を感じる。
そんな気持ちの良い空気ににつかわしく無い、スーツを身にまとい、月曜日の朝にもかかわらず、三歩先の自分自身の足元を探す様に、こうべを下げた人々とすれ違う。

ため息の温度が伝わってくる様で、現実を感じる。
足取りは、昔見たヒーロー物の映画に出てくる怪獣の様だ。

それでも、自分の足取りは軽く、30分程で臨港パークまで辿り着いた。

周囲を見渡すと、小さな子供を連れたお母さん達や、ランニングに勤しむ人、ペットを連れて散歩に興じる人々。
朝から賑わってる様にすら思える。

久しぶりに来たなと気づく。自分の僅かな記憶と、実際に視界に見えている景色を照らしあわせる。
そして、一息入れる様に、決意表明の様に、

「さぁ。」と発し、芝生に足を踏み出す。
海に近い方へ、川の水が海に入水する河口の方へと歩を進める。

それまでの間、周囲の木々の根元を見やるも、特段違和感を感じない。
敷地内の端まで辿り着くと、改めて周囲を見渡す。

すると、何も目的もなければなんとも思わないであろう、周囲の木々同士の間隔より開けて、一際その存在感を放つ、一本の木を見つけた。

ゆっくりとその木に近づく。あと、五歩、あと、四歩、視線を木の根元に向けるも、今のところ異変は感じない。

そして、木の下、しゃがんでみると、故意に、人為的に付けられたと分かる、傷の様な物を発見した。
レ点の様な、チェックマークの様な、片側のかけた矢印の様な。

地面をみやると、これまた、人為的に慣らされた様な箇所を見つける。周りの土の色と比べると、急にグラデーションの具合に違和感を感じる。

恐る恐る、土を掘り起こすと、程なくして、ビニール袋に当たる。
ここで、このまま進むべきか、気付かぬふりをして引くべきか、大いに悩むこととなる。

事件には巻き込まれたくない、怖い。ただ、ホントに事件の類だとしたら、ここまで知ってしまったのに、これから知らんぷりをして生きていけるのか...?

自問自答に数分を要するも、意を決して、袋を取り出す様に、土を掘り返す。

袋を引っ張り上げると、そこには一冊のノートが入っていた。

表紙を捲ると、そこには綺麗に整列され、改行も無く、びっしりと文字が並んでいる。
少しその文章に目を通す。

どうやら、風景や心情の類が記されており、日記の様で、何処か客観的な描写でもあり、それが、小説だと気付くのに時間は掛からなかった。

裏表紙を捲ってみても、最後の最後まで文字が詰まっており、ノート丸々一冊分の話だと分かると、ノートをバックに入れ、土を戻し、自宅に帰る事とした。

自宅に着くと、改めてそのノートを開き、読み始める事に。

ある日常の中の男女の生活の話。設定は全くもって斬新さを感じなかったが、季節や登場人物の心情の移り変わり、風の強さまで感じる様な風景の描写。

若い男女の体温や、髪の毛一本の匂いすら漂う様な繊細な表現、別れゆく切なさに、読み終える頃には、涙が自然に頬を伝う。

「素晴らしいお話だった。」

吐息の様に漏れた。

これは誰が書いたのだ?と感じるも、何処をみても、筆者の名前や人物像を見て取れるものが何も記されてないだけでなく、この物語のタイトルすらない。

ただ、この物語は多くの人々に届いて欲しい。

一途なその気持ちが、心を掻き立て、気づけば原稿用紙に向かい、ペンを走らせていた。

僅かばかりの添削と脚色を加え、文末には話の筋から外れぬ様に、自分自身から筆者へのメッセージの意味を含めて、

「あなたは今何処にいるの?会いたいよ。いつまでも連絡を待ってます。」

そう書き加えた。

人様の作品であるため、躊躇をしたが、一度、”ナモナキウタ”と題し、自身の名前を記載した。

数ヶ月後、この作品が、誰もが知る有名な作家の名前を冠とした賞や、新人賞と名のつく幾つかの賞を受賞する事となり、作品の出版が決まった。

担当となった出版社の担当者にも、授賞式の際にも、メディアの取材に、雑誌や新聞での寄稿にも、実際に発売された本のあとがきや帯にも、

「これは私の作品ではありません。神様が私に、この作品を皆様に届けるという使命を与えて下さっただけなのです。今でも、この素敵な物語を書いたご本人が名乗り出てくれるのを待っているのです。」

この異質なデビューと受賞に、世の中は大いに沸いた。
盗作ではないかと言った非難もあれば、純粋に物語の素晴らしさを称賛する声、はたまた、自分が書いたのだと名乗りでる大勢の者たち。

ただ、本人では無い事位、容易に分かった。
誰もあの本に書かれた印や、臨港パークでの出来事を知らない。

きっかけとなる本を購入した古本屋にも出向き、本を売却した人について尋ねてみたが、個人情報を何の確証もなく開示は出来ないの一点張りだった。

また、古本屋の店員が、
「あの本を売りに来た事は良く覚えてますよ。なんてったって、話題の本を発売して間もない時期に売りに来たことや、本の中に印が一杯あった事も。ただ、本人も古本屋で買ったら、既に印が付いていたと言っていたから、その人じゃないと思いますよ?」

そう教えてくれた。待つ事しかできないのか。

「あなたは今何処にいるの?」

※※※

今日もまた、何の目的も持たず、本屋に立ち寄った。

新作のコーナーに、店員の創意工夫を感じるポップが目につき、平積み数列ものスペースを割いて、
最近、軒並み賞を受賞しているという作品である。

“ナモナキウタ”と題されたその本は、真っ白な中に大きな木が描かれた表紙で、真っ赤な帯には、作者の言葉で、

「これは私の物語ではありません。」と書いてある。

一冊を手に取り、レジに向かう。
帰宅後、いつもの様に、買ってきたその本を読み始める。

一行程読んだだけで、それが自分の書いた作品だという事に気付く。

いつも以上に早いペースでページを捲る。幾らかは改変がされているが、無駄を削ぎ落とした様で、自身が書いた物から比べると、

より一層洗練された印象であったし、自分が昔に書いたものと思うと、ほとんどプレーンな状態である事に恥ずかしさすら覚える。

そして、最後の一文には全く覚えがなかった。

「あなたは今何処にいるの?会いたいよ。いつまでも連絡を待ってます。」

すぐに、これが作者から自分へのメッセージだと言うことに気づいた。

すると、自然にペンを握り、以前と同様に本に幾つかの印を付ける。そしてまた、同じ古本屋へと向かった。

店員から、以前自分を探していると言うある女の人が尋ねてきたと聞いたが、

「きっと人違いでしょうね。」と答え、いつも通り売却の手続きを事務的に済ます。

「今回も何か色々書いてあるみたいですが...」

「あぁ、そうですよね。前の本と同じお店で買ったので、もしかしたら同じ人から自分の手に渡っているのかも知れませんね。」

そう答えると、僅かばかりの小銭を受け取り、店を後にした。

「同じ人から同じ人の手に渡る事が実際に起きるのならば、きっと届くかな。」

自宅に向かう筈の足は、気付けばまた、海の方向へ向かっていた。

「素晴らしい、これは疑いも無く、あなたの作品だ」

拾った枝で、空に書いたそのすぐ後に、飛行機が雲を作りながら横切り、描いた文字を連れ去る様に、瞬く間に視界から消える様に、遥か彼方へ飛んで行った。



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