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失って得ること

 目が覚めると、外はもう日が暮れようとしていた。息を深く吸い込み、少し気合を入れて床に足をつける。体を起こしてもふらつきや倦怠感を感じなかった。今日は四日ぶりの健康な体だ。

 パンク修理をした後の自転車のように足が前に進む。健康ってこんなに違うんだと驚いた。こうなれば時間を無駄にするわけにはいかない。二日ぶりの風呂で凝り固まった身体をほぐし、サッカー日本代表の試合をテレビで観戦しながら火照った身体を冷やした。

 外に出て自転車にまたがり、イヤホンを外音取り込みモードに設定して0時まで空いている蔦屋書店の方へ向かった。湿気のあるぬるい空気の中を突き抜ける。途中、左折しようとしている車に道を譲ろうとブレーキをかけたが、オジサンが頑なに曲がろうとしなかったので手で一礼だけして道を渡った。

 本屋では特にこれを買おうと決めていたものはなかったので、ぶらぶらと物色。目にとまったのが群ようこさんの『しない。』という本。今まではなにかをしようしようとして、逆にできない自分に不甲斐なさを感じることが多かった。だから「しない」ことをタイトルにしているこの本にとても興味をひかれたのだ。

 ずっと何かを達成しようと藻掻いてきた。実際かなり頑張ったと自分でも思う。でもどうしようもないことの方が多かった。ついひと月前に脳に黒い影が見つかり、手術が必要だと言われた。以前から偏頭痛はあったのだが、近頃は立ちあがるとめまいが酷く、よろけることや立てないことも多くありソファやベッドの上で過ごす時間が増えた。できることが少ないからただ携帯をいじったり、パソコンの画面を見ながら眠くなることを待つだけの毎日。ついつい弱音を吐きそうになる。

 ただ、失ったことで得たことも多い。これで関係を失った人もいる。けれど、逆にそれで心配事が減った。将来の予定が狂った。でもそれで新しいアイデアを自分の中に取り入れる余裕ができた。外に出れる日数が減った。だから散歩をするだけでも喜びを感じることができる。人間、ついつい失ったものに執着してそれを悔んだり、保守的になってしまうことも多いと思う。

 でも見方を変えてみれば、失ったからこそキャパシティーが増えたとも言えるのだ。俺の考えが少しだけ変わったと思う。リスクを考えることがなくなったから、これからいろんなことに挑戦できると思う。余裕ができるんだと思う。携帯の写真や動画のフォルダーがいっぱいなら、何かを消さなければいけない。そんな日がいつか来るんだ。たとえどれだけ自分にとって大切だったとしても。

 一週間後にまた入院する。一か月後にもまた。ぜんぶ終わったら東南アジアの方を旅してみようと思う。またヨーロッパにも。自分が幸せに感じることをしよう。楽しいと思うことをしよう。前に進み続けよう。

 将来の道を失ったと感じるとこがまたきっとどこかである。そんな自分に伝えたい。新しい道の始まりだよって。
弱音だけは吐きたくない。だってまだまだカッコつけたいお年頃だから。

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