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自己から社会へ目を向けてはじめてSFを読む

近ごろ、SF小説が面白い。

現実であり得ないような設定でもその成り方について一応の筋は通してあり、その仮想世界で人がどういう感情を抱き行動するのかわたしの想像を超えた展開がくりひろげられるのが面白い。


小さい頃から本を読むのは好きだった。

ネットが発達しておらず書評を読む機会がなかったので図書館では気に入った表紙のものを次から次へと借りジャンルを問わず読んでいたけれど、高校生くらいの頃からはいわゆる純文学と呼ばれる小説ばかり読むようになった。

それも、主人公が10代や20代のものばかり。

自分の少し上の年齢の主人公が現実社会で経験することが近い将来自分に降りかかるのではないかと期待できるから面白かったのだ、と今ならわかる。

ではなぜいま自分にとってSF小説が面白いのだろうかとふと考えたときに、自分が社会の大きな変化に巻き込まれ、社会の成り立ちや仕組みに否が応でも意識を向けざるを得なくなったからではないかと思った。


大学生のとき、わたしは地域活性を目的としたサークルに所属し他学部の友人たちと仲良くしていた。

美術専攻のわたしは自分のことしか考えていなかったし、毎日を面白おかしく過ごすことが一番だったのだが、社会学専攻の同級生はどうやら常に本気で社会のことを考えているようだった。

飲み会の席でときおり真面目な話になると同級生は「自分の夢は、全世界の人々が幸せになることだ」と口に出して言ったのだった。

わたしは口に出しはしなかったが「何をただのいち大学生がそんな大それたことを」と半ば呆れながら聞いていた。


昨今、大学は必要か不要かという論争がしばしば沸き起こるけれど、わたし個人としては大学に行けてよかったと思っている。

自分よりずっと頭のいい人間がたくさんいて、平等に話をして、友達になってくれる世界、それがわたしにとっての大学だった。

頭の良い悪いは子供の頃にどれだけ本を読んだかで決まる、と言ったのは夫のとても頭の良い仕事仲間だが、結構当たっているのではないかと思う。

これまでに会った賢い人たちはみな子供の頃から読書をしている。

わたしは本を読むのは好きだけれど早く読むことができず、週にせいぜい2冊ほど図書館で借りる程度だった。

こんなことはただの当てずっぽうだけれど、世界を幸せにしたい同級生は、高校生の頃すでにSF小説をたくさん読んでいたのではないだろうか。

わたしが自分の現状と将来とそれを取り巻く感情を見つめることでいっぱいいっぱいの高校生だったときに、「世界のみんなを幸せにしたい」と語った同級生はわたしよりも多くの本を読み、早々に個人的問題から抜け出してたくさんの本から社会の仕組みや成り立ちを知り、そしてSF小説から社会を変える希望を抱くに至ったのではないだろうか。


以前、25歳で自殺した女性の日記を読んだ。

女性の自殺後に残っていたブログを書籍化したものだが、その女性も多読家でSF小説をよく読んでいた。

凄まじい量の本を読んでいたその女性は、自殺する直前の日記で生きていることをひどく恐れていた。

生きていく意味を見出せないことに苦しんでいるようにも見えた。

平均寿命までまだ長い時間が残されていた若い女性が超人的な読書量から膨大な知識を早くに得てしまい、世界が見えすぎてしまったのだろうか。

そして世界の複雑さに押しつぶされたのか、改善の余地がない理不尽さに絶望したのか、先の長い人生を生きる希望を見出せなくなってしまったのだろうか。

いずれにせよ、彼女が世界のあり方に関心があったためにSF小説にハマっていたことには違いない。

ちなみにわたしは大学で多くの賢い人たちに出会い、彼らが世界を幸せにしたいと口にするのを聞くにつけ、こんなにたくさんの頭の良い人たちが真剣に社会を良くしようと考えているのだから、わたしが社会の役に立たない自分の好きなことをしていても大丈夫だ、と彼らとは真逆の思考に突き進んだのだった。

しかし今度の世界の変わりようにはさすがのわたしも関心せずにはいられない。

生まれてすぐにバブル崩壊しずっと平和だけれどパッとしない日本で成長してきた社会変化に免疫のないわたしにとって、この大変化は現実世界に起きたSFなのだ。

このように人の生活様式も価値観も国同士のパワーバランスも変わってしまうことが現実に起こり得るのであれば、これまで気に留めなかったSF小説たちの世界もフィクションではなくなる可能性はゼロではないということなのである。

この先起こり得る何通りもの世界のあり方と人間の価値観の変化を知りたくて、SF小説にハマっているのかもしれない。






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