捨てた街に帰ってきた男
マキシマリストの妻とする引越しも2回目になった
どこにこんな荷物があったんだよ、これ使ってないじゃんみたいなグチグチが決まって止まらんくなってしまう
妻とは結婚4年目、出会って1週間でお付き合いをすっ飛ばして結婚した
「第3章って感じだね」
ふと妻から出たドラマチックな言葉を、引越し前日で疲れ切っていた僕は適当に聞き流したのだけど、こういう言葉をじんわりと噛み締められるようになりたいなぁと思った
13年前
18歳の時に僕は真庭を捨てた
物足りなさ、閉塞感、怒り、いろんなものを抱えながら東京に出た
好きこそものの上手なれって言葉があるけど、物事はそんなシンプルで甘いものじゃないよなぁと思う
好きでやりたいことをやりに出たはずなのに、嫌いになりかけたり、サボったり、全力を投じれない自分に嫌悪したり
やれないと思っていたことがめちゃめちゃ楽しくて思わず没頭してしまったり、社会の理不尽とぶつかってやりきれなくなったり
そんな失敗や苦悩を目一杯経験したあとで、たまたま仕事で帰ってきた2022年3月、僕の知らない真庭と出会って見事に撃ち抜かれてしまって
それがUターンのきっかけになったのだけど
このnoteはちょっとだけの自己紹介と、なんで真庭に帰ってきたかを綴るnoteです
はじめまして
森 貴充 31歳 月田出身の男です
モリゾーっていうニックネームがあるので、初めましてでも気軽に呼んでもらえると小躍りしながら喜びます
僕は現在、MANIWA BAUMの運営メンバーとして活動しています
昔、地元にいた頃の僕のままだったら絶対に参加しなかったであろう街づくりの活動に、楽しさと希望と難しさを感じながら日進月歩しています!
18歳で上京してから25~6歳までずっとバンドをやっていました
デビューしたりテレビやラジオなどメディアに出演できるくらいには頑張ってたんです実は
でも終わりは突然で、ちいちゃい異常で7年間積み重ねたものが一瞬で崩れる出来事がありました
それからは廃人生活で「なんで東京にいるんだろ」みたいなことをを考えながら生きていて、本気で死んでしまおうかと思った夜も少なくありません
そんな時、居酒屋の文化に心救われて
『明日を生きる糧になるような場所を生み出せる人になる』
というコンセプトを持って飲食業界に就職しました
飲食業界のはなし
飲食業界は楽しい事ばかりで、
ひとつの店舗を任された時はスタッフを含め自分の店が愛しくて愛しくて
"本気で取り組むことの楽しさ"を共有しながら全員で頑張って、全国300店舗ほどあった会社で営業成績1位を獲得しました
心から天職だなと
特に嬉しかったことが2つあって
スタッフが就活をする際に、エントリーシートの『尊敬する人』の欄に僕を書いてくれたことがひとつ
もうひとつはスタッフからこんな言葉をかけてもらった事です
「自分の人生を変えてくれる人って3人現れるっていうじゃないですか。私にとってモリゾーさんはその1人です。」
「え〜〜マジ?サンキュー!」とか言ってその時はあっけらかんとした反応で返したけど、泣きそうなくらい嬉しかったなんてこともあったり
でもそんな時、辞めるきっかけになった出来事が2つありました
ひとつは"自分のキャリアやライフステージが見えなかったこと"です
今は楽しいけど、いつかこの仕事が続けられなくなったとき、簡単に詰んでしまうなぁと
飲食業界の人材は、転職市場では一般的に価値が低いとされています
それに加えて学歴もない僕はなおさら選択肢は少ないだろうと思ったんです
ふたつめは"スタッフ達の進路相談にうまく答えられなかったこと"です
大学受験も就職活動も経験したことがなかったので構造をそもそも知らず、頼ってくれたスタッフ達にアドバイスになるような言葉を返せなかったんです
そのきっかけから、もっといろいろ知らなきゃいけない、経験しなきゃいけないという課題感が生まれ、退職してフリーランスとなりました
フリーランスになってから
フリーになってからは映像系の事業と並行して、自分の原体験からキャリアに関する事業に携わります
『日本のどんな場所、どんな人でも自分に合ったキャリアを選択できる社会』をビジョンに掲げる"株式会社ワークキャリア"が運営する合宿型キャリアスクールに運営・メンターとして関わったことが、さらに自分の人生を考えるきっかけになったことは間違いないです
どんな内容の事業なのかは割愛しますが、ざっくり言うと最高です(アホ)
(会った時に話させてくださいまし…!)
そこからメンターという立場ながらも、自分や社会にとってより良い働き方を模索し始めました(もちろん今でも)
またそこでも問いを立てるきっかけと遭遇します
キャリアスクールに関わる中で、ネクストキャリアに挑戦する方々の中には飲食業界出身の方も多く、その大半が「楽しかったし好きだったんだけど、ハードワークで心or身体が壊れてしまって…」という退職理由でした
「あ、自分も同じだ…わかる」
と思いながら、
「心から好きな仕事をするのに誰かが犠牲にならなきゃいけないなんておかしい」
という想いから、2023年4月に”誰ひとり諦めなくていい飲食店のカタチ”をコンセプトにして、東京は高円寺に"串カツ玩具-GANG-"という立ち飲み屋をオープンして、Webと飲食のパラレルワーカーをしていました
Uターンのきっかけ
Uターンのきっかけとなったのは、お店をオープンする少し前、真庭市久世にある黒田酒店の黒田さんからのご紹介で、真庭市の仕事をさせてもらえるようになった頃の話です
真庭での滞在期間中、仕事ができる場所(コワーキング)を探していたところ、久世駅前に『エキマエノマエ』なる場所を知って直接伺いました
そこで河野さんご夫妻と出会い、中で仕事をさせてもらっていた際、めちゃめちゃ面白い出会いがあったんです
いろいろな方が出入りして街づくりの打ち合わせがされていて、「こんなにプレイヤーがいるんだ〜〜」とそわそわしていたら、「今日、新年会があるんだけど来なよ!」と誘っていただいて
「いきます〜!」と二つ返事をして向かうと、実は50人くらいの新年会で…
数人のやつかと思っていたのでめっちゃびっくりしたのを覚えています
そこに集まっていたのは『まにワッショイ』という任意団体の方々で、真庭の街づくりをしている方々でした
飛び入りにも関わらず、快く迎え入れてくれて話をしていると、ほとんど全員が複業家であり個人事業主であったり、いろんな働き方をされていて
田舎のはずなのに、東京やどの地方にも負けない新しさと、官民問わずそれを受け入れる風土ができていることに奮い立つような気持ちになったんです
母校の勝山高校の先生と「あの頃は全然真面目じゃなかったんです」って当時抱えていた想いの話しをしたり
高校の時、唯一僕らのやりたいことを受け入れて叶えてくれた『きよとうカフェ』のモッツさんにも再開したり
それはもうアドレナリンが出まくる夜でした
「もう嫌いだった真庭じゃないな、誇れるふるさとだわ」と思えました
その後も何度か仕事で帰ってきたんですが、初めて会った池田将さんと数時間話し込んだり
小柳さんって方がやってる『Spice Bar 升』って最高の行きつけができたり
真庭に帰省するたびに楽しいことがどんどん起こって奇跡みたいだなぁと思っていた今年の3月
住んでいた千葉で地震が活発化しました
地震と水害
その前年9月ごろにも水害で街が冠水してしまって避難したりなど、土地の不安定さを感じていたので、福島出身で大地震を身近に感じていた妻はかなり不安なようでした
2024年中に関東圏のどこかに引っ越ししようみたいな話はしていたんですが、関東もちょっと怖いよねと話をしていた時に
「もう真庭に行っちゃおうよ、できるだけ早く」
と妻から言葉がありました
妻もフリーランスで、デザインや映像の仕事をしていたので、仕事に関しては多少の不安はありつつも大丈夫そうで、最優先すべきは2歳の息子との安全な生活だよねと
「じゃひと肌脱いじゃうか〜」っちゅうことで、3月15日~3月19日の帰省期間中に、家や保育園や、その他移住にまつわる諸々を全部クリアして、高円寺の店も引き継ぎ、5月3日に真庭にUターンしてきました(爆走)
長くなりましたが、これがUターンの全貌です
真庭でのこれから
実は私、7月1日から地域おこし協力隊に着任することとなりました!
地域おこし協力隊としてこの街でやりたいのは、
『どんな場所、どんな人でも自分に合ったキャリアを選択できる環境』を
真庭に作り、醸成させたいと思っています
(この言葉は以前携わっていたキャリアスクールのビジョンをお借りしています)
世界はすごい速さで変わっていて、絶対に止まってはくれません
もちろん自然災害も起こるので、"生活"をするためにあらゆる選択と行動が必須になってるんじゃないかなぁと思っています
もちろん僕も当事者です
当事者として、Uターンに踏み切れるのも、
働き方の模索ができるのも、全ては
”キャリアの選択肢を持てているからこそ”だと思っています
逆にキャリアの選択肢を持てていないと、
やりたいことができた時に飛び込めない
心や身体が壊れそうな時に逃げられない
結果、人生に思い悩んだり、自分の人生のはずなのに決定権を他人に任せざるをえなくなってしまって、虚無になってしまったりしてしまう
また、地元の子どもたちや若い世代が
真庭にいるから特定のキャリアしか選べない
なんてあまりにももったいなくないですか?
楽しい大人たち、いろんな働きかたをしている大人たちはたくさんいるのに、ほとんどの人がそれを知らないまま大人に足を踏み入れてしまう
そんな中で「やりたいことを見つけよう・夢を持とう」なんて無理すぎます
そんな人がひとりでも少なくなったらいいな
誰もが多種多様な選択肢を持てる街になったらいいな
そんな状態を作るために同世代と本気で取り組めたら、それはもう仕事なんて枠からはみ出しちゃって、生活の一部になっちゃうんだろうな
そんな”なったらいいな・できたらいいな”を実現させられるように、年代・業種・性別の垣根を飛び越えて対話をします
ときには、今までの活動の中で出会った全国にいる仲間を「力貸して〜〜」って真庭に呼びながら活動していきたいなって思っています
僕らのふるさとをもっといいふるさとにするのは、他の誰でもない僕らです
そして「誇れるふるさとだ」って思いながら子ども達にはいろんな世界を見てきて欲しい
振り返った時に「やっぱり真庭は最高だ」ってなって欲しい
その時は一緒に街づくりがしたい
そんな想いを持って、真庭に帰ってきました
繰り返しになりますが、僕を見かけたらいつでも「モリゾー!」って呼んでください
それが僕がこの街にいる意味になるので!
ではまた!
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