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京散歩-東巡り

本日は大晦日。左京区は聖護院・吉田・浄土寺・黒谷・岡崎・鹿ヶ谷・南禅寺を巡る。

スタートは聖護院、〈須賀神社・交通神社〉から。聖護院一帯の産土神とされ、厄除け・縁結び・交通安全の神として信仰を集める。平安時代には岡崎神社の東天王に対する形で西天王と称された、由緒ある神社。

現在は近くの岡崎神社とは対照的に観光客が足を運ぶことは少ない。聖護院門跡の向かい、住宅地の中にひっそりと佇んでいた。

吉田東通りを上り、裏の参道より〈吉田神社〉へ。程なくして左手に包丁の神・料理飲食の神とされる藤原山蔭を祀った〈山陰神社〉が。

飲食店、特に料理界隈からの信仰が篤く、周囲の玉垣には多数の料亭が名を連ねる。

こちらは〈菓祖神社〉。こちらの玉垣に名を連ねるのはお菓子屋さんや製菓会社。由緒は以下の通り。

果物の祖と言われる橘を日本に持ち帰ったとされる田道間守命と、日本で初めて饅頭をつくったとされる林浄因命の2神を菓子の祖神として祀る社です。

吉田神社公式HPより

それにしてもピンポイントな神様が多いこと。

舗装されていない山道の参道を登ると〈斎場所 大元宮〉が。

八百万の神々、つまり全国の神々を祀るこの社。吉田神道の中心地である。かつてはあの伊勢神宮より神社としての格は上であるとも。この日は中門からの参拝になったが、三賀日並びに毎月1日は本殿への参拝も可能だ。

やっとこさで本宮辿り着きました。ここ吉田神社の吉田流神道、元々は神官の卜部家から輩出されている。卜部家は吉田流だけでない。古くは『日本書紀』の家として名を馳せた平野流があった。

その平野流の名をみるみる霞ませていったのが室町時代の吉田兼俱である。神儒仏三教混合の唯一神道、即ち吉田神道を大成した人物であり、当時の神道界の支配者でもある。

本宮には建御賀豆智命・伊波比主命・天之子八根命・比売神の四柱が祀られており、内部にも四つの社が鎮座する。なんだかんだで初めてのお参り。

拝殿近くから山の上へと続く階段が。吉田兼俱を祀る〈神龍社〉である。

物々しくも神聖な空気。さらに山を登ってゆく。

10本前後の鳥居が立ち並ぶ参道を進んだ先には〈竹中稲荷社〉。吉田神社よりも歴史は長いのではないだろうか。

古伝には「天保年間に京師幾萬の子女郡参し昼夜の別なく満山に踊躍す是を蝶々踊と云い其の後数千の鳥居参道に樹立し雨雪為に傘を要せず」などとあり、当時の旺盛を極めていた様子がわかります。

吉田神社公式HPより

現在は稲荷信仰最盛期の面影はないにしても、境内の摂末社含め管理が行き届いていた印象。

ただ、その境内の裏が物凄い。夥しい数の塚が乱立する。手入れはされていない様子。それぞれに『〜大明神』等の刻印がなされている。

塚群の最奥に鳥居を構えるのは〈竹劒稲荷神社〉。どう読めばいいものか。神前に供えられたものの多くは倒れている。

左右のキツネ様、それぞれ悪しきは寄せつけんと威圧的な表情。玉と巻物を咥え、足下には小ギツネの姿も。かわいい...

境内の小路から住宅街へ抜ける。大正時代の街並みを残すこの地域は〈谷川住宅群〉と呼ばれる。

白川通方面へ下る坂道。おあつらえ向きの東山。京都らしさもありつつ、どこか田舎感漂う懐かしい風景。

神楽岡通を南へ下る。住宅街の中にも歴史ある寺院がちらほら。

表参道より〈真如堂〉へ。開創は10世紀にまで遡る天台宗のお寺。正式名称は〈真正極楽寺〉である。向かって正面に総門。吉田神社の神々を迎えるため敷居はない。

総門向かって左手には塔頭の〈法伝寺・咤枳尼天〉が。鳥居があるのも面白い。

総門と反対方向、真っ直ぐに続く道の先。鳥居を構えるのは〈宗忠神社〉。黒住教教祖を祀る。

総門を潜り境内へ。立派な佇まいの三重塔は江戸時代に再建されたもの。

続いて本堂。重要文化財に指定されている。金箔で彩られた内陣はまこと豪華。

掲げられた木版、デザイン性が高く面白い。

境内の墓地には斎藤利三・海北友松らのお墓も。見つけられなかった...

墓地横の小径を抜け、裏から〈金戒光明寺〉の境内へ。

境内のいちばん高いところに聳える文殊塔は寛永の世に建立され、現在は重要文化財。市内の平地からもその姿を拝むことが出来る。

長い階段を下ると御影堂が。堂内には本朝三文殊の一つとも云われた渡海文殊形式の文殊菩薩、吉備真備が中国より自ら持ち帰った栴檀を彫った吉備観音、源信が最後の作である本尊は阿弥陀如来、と見応え抜群。

万延元年完成の山門、威風堂々という言葉がピッタリ。この寺院のもう一つの顔がチラつく。

會津藩松平容保は家臣一千名を率い文久二年十二月二十四日午前九時頃京都三条大橋に到着、京都所司代・京都町奉行所の出迎えを受け、本陣となった黒谷金戒光明寺に至るまでの間、威風堂々とした會津正規兵の行軍が一里余りも続いた。
この間、京の町衆も両側に人垣を作り大歓迎するのであった。

金戒光明寺公式HPより

そう、ここには京都守護職の本陣がひかれた場所でもある。なるほど、確かに細い路地や天然要塞、見渡しのよさなど城郭的性格を持ち合わせている。

南門を抜け丸太町通を東山方面へ。途中で〈岡崎神社〉に寄った。境内はこの日一番の混雑具合。

白川を超え鹿ヶ谷へ。細い路地をさらに東へ進むと〈大豊神社〉一の鳥居が見えてくる。

哲学の道を横切って境内へ。東山を背後に、神聖な空気を周囲の静寂に溶かす。御祭神は応神天皇・菅原道真公・少彦名命である。ここ、大豊神社は末社の存在感が強いことが特徴として挙げられるだろう。

日吉社、愛宕社、大国社に加えて稲荷社。本殿も含め、それぞれに象徴とも言える動物の姿が。ブレーメンの音楽隊も作れそうだ。

大豊神社を後にし、〈哲学の道〉を南下する。外国人観光客の姿が目立つ。やはりいいところですな。

道中には猫様の群生地も。

かなり人間慣れをされているご様子。

哲学の道の終着点に座するのは、京都三熊野のひとつである〈熊野若王子神社〉。

熊野ということで修験道とも関わり深い。境内から山へ伸びる道を登ると、小さな滝もあるそう。

境内には不思議なエピソードが伝わる恵比寿様の像も。お姿はハッキリと目にすることが出来ます。

鹿ヶ谷通まで戻り、〈南禅寺〉まで。道中には永観堂の名で知られる〈禅林寺〉も。先の熊野若王子神社は、ここ永観堂の守護神としての神社でもあった。

扇ダムの放水路、いつも目がいってしまうんだよな... 野村美術館よこの沿道は桜の隠れスポットだったりする。

鹿ヶ谷をさらに進むと南禅寺の大寂門が。一度は車で潜ってみたい。

南禅寺境内まで歩みを進める。こちらも人が多い。法堂・三門ともにいつみてもご立派だこと。

東山界隈はお水が綺麗ですね。

中門から抜けて南禅寺に属する〈金地院〉へ。周辺は歴史が残る街並み。かつては10万石の寺大名とも称された。

江戸時代初期に黒衣の宰相として実験を握った、金地院崇伝こと以心崇伝の住まいでもあった。この日初めての拝観料を。500円と良心的な価格設定。

参道を進むと明智門がお出迎え。明智と言えば北野天満宮竈社の明智鳥居が記憶に新しい。元々は大徳寺にあったとのこと。

明智門は東照宮へと続く。社は洛内では珍しい権現造も、煌びやかさはなく質素な出で立ち。天井の狩野探幽筆『鳴龍』も見ることが出来る。

開山堂を過ぎると本堂・鶴亀庭園が。本堂は豊臣秀吉が築城した伏見城の遺構、重要文化財にも指定されている。狩野尚信筆の襖絵、長谷川等伯筆の『猿猴捉月図』も楽しめる(後者は特別拝観でのみ鑑賞可能)。

鶴亀庭園を手掛けたのは小堀遠州。彼が作庭したという記録が残る唯一の庭とのこと。鶴島側から斜めに見ると、借景の東山が重なりダイナミックに映る。

境内入ってすぐにあるこちらの松の躍動感が印象に残った。

金地院を後にし岡崎方面へ。南禅寺参道、西日を受け耀く木々が美しい。

少し行くと〈南禅寺船溜〉が。向かいにあるのは京都市動物園。無鄰菴を背に撮影。

水路横には青鷺さんが。

岡崎通の橋を渡る。東山はもうすっかり緑一色に。少し前までは紅葉が残っていたが。

〈京セラ美術館〉を横切らせてもらう。本館は何度観てもカッコイイ。創建は1933年で現存する国内の公立美術館の中ではもっとも古い建築であるとされる。

和洋折衷の帝冠様式を代表する建築でもある。最上部や扉部は「和」といったところか。

京セラ美術館、近代美術館、府立図書館と近現代建築に囲まれる形で聳えるは〈平安神宮〉の大鳥居。

参道にもあたるプロムナードは初詣の準備か。屋台の準備が忙しなく進む。

神宮境内へ。平安遷都1100年を記念し、明治28年に創建された平安神宮。歴史は長くないものの、京都のシンボルの一角として市内外からの人々で賑わう。

左右に白虎楼・蒼龍楼を持つ大極殿。左右対称な造りが荘厳さを演出する。桜の季節には神苑にお邪魔したい。

最後は〈聖護院〉前の駐車場まで戻っておしまい。この日は約10キロ歩きました。時間にしたら5時間足らずだが。疲れた...

それでは、良いお年を。


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