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とりとめなき57

きのうのこと。昨夏に鳴子で出会ったお二人が、今度は京都に泊まるということでお声が掛かった。普段は行くことのない、職場近くの居酒屋で合流。前回は二時前まで、それも温泉宿の一室で呑んでいたものだから、当然ながら会話の殆どを覚えておらん。ゆえに話し出して最初の三○分ほどは、会話の断片∕﹨が記憶を掠めるような、妙な愉しさがあった。あの夜、灰皿に盛り上がった小山が物凄かったのはいい思い出だ。 親父さんのほうの娘さんは私と同じ歳で、芸大の大学院に通っているらしい。個展がどうの仰っていた

    • とりとめなき56

      宍粟にいた。暑い。春の失踪だ。真上から照り炙られて死相が出ている。こんな事では師匠の失笑を買うてしまうが、それはそれで宜しい。さてこの天道、方位に当て嵌めるならば夏春夏が適当だろうが、如何せん春は何処にも見当たらぬ。北極星は頼りにならんから、これには天文博士も困ったものである。ほれ、藤も枯れておる。結局、ここ数ヶ月探し求めた春昼は見付からなかった。現れぬものに後刻もなにもない。云わく、春の夢の如し─ だ。春は酒呑も、やうやう瞼おちゆく今際... RGのWorld Tour

      • とりとめなき55

        吉田酒造、白龍の生貯蔵酒が頗る美味い。先週末に買うて帰り、すぐさま呑み、身震いしたものである。一昨日、月曜日に所用で福井に寄ることがあったから、これは堪らずもう一度、というわけだ。フルウテイな─ 甘美な舌触りで先制したかと思えば、電光石火は微発砲で中押し、最後は辛口でキュッと締める。手も足も出ない、隙のない試合運び。これは強いぞ... 終盤までペナント争いに加わることは疑う余地なし。吉田をよしなに世に...

        • とりとめなき54

          サタデイは堂本印象美術館、等持院なぞいく。サンデイは『Dune: Part Two』を再鑑賞。何を隠そう、初回は三分の一ほど寝てしもうたのである。ほら、IMAXだったから。この手の大作映画は娯楽を通り過ぎて快楽ですわな、ええ。Hans Zimmerのサントラで鼓膜叩き、砂漠歩きでひょいひょい帰宅するのである。快楽ね。最近は眠りに堕ちる間際の、有無を言わせず引き摺り込まれるような感覚に骨抜きにされておるのだよ(砂虫を想像してもらうといい!)。ソファの重力と健在な炬燵。リビングは

        とりとめなき57

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          備忘

          例に漏れずこの頃はキメラ都市構想に興じている。全国から通りや城やら地形やら摘んできて、地図なぞ描いてみたい。海外にて留学生同士が群れるか否かは知ったこっちゃあないのだけれど、旅先で関西人は群れる、これは真理なのじゃ。なんだってずちねえ。あの辺り、吝嗇の才の下に基礎付けられた世界であるから(それも出鱈目な)、ぎんぎらとした類の快活さは互いに牽制し合うの。「愉しい」と断じるのは難しい、ある種の強度があって。それが所謂「オモロい」なんでしょうが。そのコミュニケエションに効能があるか

          昂揚の毒と、沈滞の毒の中間で

          とりとめなくやらせてもらうよ、ええ。なんだって、ここワンウイク、「書くのだ!」が頗る滾っていたのだけれど、いまこの刻まで斯くなる意志は指に届くことさえなく、毎晩のように夢見てたっちゃ。今宵こそと意気込んでは勇み足。身体に染み付いた資本の穢れを祓うことが第一。マチへ飛び出し、呑み、喋り、呑み、喫み、歌い、語り、呑み、呑み、唄い、聞き、聴き、呑み、呑み── 部屋に戻る頃には刃毀れ凄まじく、死なば諸共と手にしたグレネイド幾本虚しくも不発。アルコホル、所詮は舌の撥条にしかならん代物。

          昂揚の毒と、沈滞の毒の中間で

          春宵にて

          久しぶりであったが、相も変わらず昔話が止まらぬ店主。何度聞いたことか、口にしたことか、やんわり「ああ、前も言ってましたね」と。こんなことを書くのもなんだけれど、料理も格別旨いわけではない。懐かしい味、心からの愉しい時間。夕暮の公園、葉桜が綺麗だと呟いたのは─ 春宵の一刻/\が値千金である筈はなく、ある必要がない。通りを吹き抜けた風が花弁を攫ってゆく。三日月の下では街灯も柔らかい。阪急の終点で降りると、嵐山のちょうど真上にオリオン座のRigelが。どうやらThe Bandの

          春宵にて

          週報

          ここ最近は居なかったものだから、急に学生が湧いて出たような印象がある。昼の溜まり場が喫茶とは、学び舎が山中であった身からすると実際羨ましい。一昨日の男連中に「魚の顔を受け付けられない」という者があった。聞き慣れない話題であるから展開に耳を立てると、刺身などの類は食えるというのだから、視覚イメージに依拠した、その理に適った嫌悪に心中喝采である。昨日の女学生らはというとワイドショウ的話題、「大谷さんの通訳さん、めっちゃ悪いことしてたみたいだね」と。通訳"さん"とするのは好ましい。

          桜花爛漫

          桜花爛漫

          とりとめなき53

          桜が咲いている。ちょうど六年ほど前、大学進学に際してこのまちを訪れた際にも、至る所で、それは綺麗に花開いていた。自転車に跨って、上賀茂の辺りの川沿いを、小路を、ひとり走っていたものだ。平野の桜に包まれたのは、あれはその一年後のこと。きょう、昼前に西大路からチラリと境内を覗いたが、その淡いピンクの塊に埋め尽くされた空間は、イルミネエションのごとく人工的に見えた。久しぶりに鳥居を潜って、根元に座り込みたいだとか何だとか。もう一年進めると、これは就活の時期で、今度は賀茂の河原で酔い

          とりとめなき53

          とりとめなき52

          新卒だった頃の話でもしようか?あんまり下らなくて、純平日 ─チウズデイは一番に純度が高いのである、覚えておくといい─ の夜中からするものでもないけれど。来月二十八になると、また歳をとってしまうと、私たち新入りを前にして、自身の入社した頃をひとり懐かしんでいたあの人。そう、責任者だった。どこか嫌いになれない不器用さで。彼もまた二つ歳を重ねて、今年は三十になるのかしら。お先に失礼します、皆さん、ありがとうございました。それからは、階下に忍び煙を吸ったり、吐いたり、缶珈琲呑んで、ま

          とりとめなき52

          ウオーキング

          酒を体に入れることなく、そして風呂にも入らず、リビングで眠り込んでいた。全身に行き渡った疲労、そう、金曜日の龍野からはじまって、ここ三日間は歩き過ぎたのである。一度歩き出してしまえば、どうしても来た道を引き返せないのが私の悪癖である。そうやってなんの気ない散歩が、いつの間にかハイクになっているのだから大変だ。靴を買わねばならぬ。

          ウオーキング

          龍野は容姿がいいねえ!

          金曜日、播州は龍野にぶらりと足を運ぶ。乾いた風が路地を吹き抜け、陽の光は地面にくっきりと陰影を刻む。水のざわめきに誘われ、それから町の情緒の源泉を探るように、当てもなく歩く。この日はだしぬけの暖かさで、二〇分もするとシャツの中、肌着の下で汗が滲むのを感じた。 二年前、梅の蕾が開きだした頃合に、祖父母と共にこの辺りを歩いたことがある。そんなわけであるから、夕焼小焼けの赤とんぼ誕生の地、童謡の里であることは知っていた。今となってみれば、童謡というより『男はつらいよ─寅次郎夕焼け

          龍野は容姿がいいねえ!

          とりとめなき51

          年度が変わろうとしているが、仕事は落ち着いている。先週あたりから職場に居る時間は増えたもので、それがどうだということでもないけれど、そうだな─ 間抜けな季節に路駐しているとでも。雨の気配はというと相変わらずそこらに居座っているから、天気予報に目を通すことも屡々。パーキングは何処に。 美しい物語。美しいと言っても、それは多々ある類を内包した、詳しくは勁草書房『分析美学入門』を参照されたいところであって、詰まるところ非常にぼんやりとした表現で。そうやって、ある視点から味覚云々の

          とりとめなき51

          イッタラ展へ

          サタデイのこと。駅での所用を済ませてから、美術館「えき」KYOTOの〈イッタラ展 ─フィンランドガラスのきらめき─〉を鑑賞す。プロダクトデザインという性格もあってか、ほう、なるほど、といった類いの、「美的な〜」というより好奇心を刺激される愉しさがあった。一転、後半に展示されている、フィンランドの風土を表現した作品には、時間を忘れて見入ってしもうた。イッタラのデザイナーも務めたアルヴァ・アアルトのドキュメンタリー映画『アアルト』は京都シネマで公開中。時間が合えば...

          イッタラ展へ

          サタデイ

          立ち篭める陰雨を傘で拭いながら、水溜まりを避ける、避ける。ふらふらと歩くものだから、肩口から袖口にかけて、水滴の爆ぜた痕が余計に連なる。休日の朝は、迫った予定の無い限りは煙草を吸いに出掛けるのだ。皆、濡れるのが億劫なのか、店内の客は少ない。 大江健三郎の作品集、既読の『不意の唖』を除く五品を読了す。何れもこのあいだ読んだ『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』とはまた異なる、無骨な鋭さ ─打製石斧でドスンとやられるような─ がある。読感は愉快なものとは程遠いが、この胸糞の悪さ

          サタデイ