須磨

己卯

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最近の記事

とりとめなき88

土曜に北陸から京へ戻り─ 月曜に休みをとって、一泊と二日で出掛ける。室津あたりで一泊し備前へ。伝統産業会館にて〈備前・現代陶芸ビエンナーレ作品展〉を観てから、いくつか窯元を巡る。運転していた車のタイアのバアストしたのは、そのあとであった。レッカア、タイア交換等々... 備前のギャラリイにて熟考のうえ泣く泣く見送った馬場隆志氏作の酒器 ─面取りの具合が素晴らしかった─ の価格、これの倍くらいお金が飛んでいった。我が人生、斯くも上手くゆかぬものなのか。 久しぶりに小説といふもの

    • 兎に峠、それから蜆

      絵に書いたような外面の戦闘機が、轟音とともに物凄い勢いで頭上を横切っていく。石川は小松である。自衛隊小松基地に数多く配備されているのはF-15だそうだが、今後はF-35Aなる最新型が配備される予定だそうな。後者も稀に上空を飛ぶことがあるそうで、曰く「キーンという金属音のような、高い音がする」とのこと。そんな小松にまで熊が出没するというのは吃驚である。最近は熊の話題が多い。そのぶん私の「クマなく探す─」も発動するのであるが、笑ってもろうた試しはない。 市内某所にて拳ほどの大き

      • 芒に片山津のこと

        ──ススキが見たいな 見たいのである。秋は紅葉というのが相場であろうが、銀色に波打つススキの海原の方を個人的に好んでいる。野道や川沿いを進む途中、目に入るのは背を伸ばしきったススキらの面々ばかりで、ことに密集している処なぞあれば前方不注意にならぬ塩梅で眺めてしまう。 ──近くにあるだろうか あったのである。"近く"の意味する距離、或いは時間を考えてみたことはないが、信号なき道を車で三〇分というのは近いのか否か、これは迷いどころだ。幸い時間だけはある─昼刻に限るということ

        • 松尾梅宮記

        とりとめなき88

          happy we'll be beyond the sea

          今月の〈観る会〉のことも書いておかねばならん。作品は五十嵐耕平が監督を務める日仏合作映画の『SUPER HAPPY FOREVER(2024)』である。上映の一時間ほど前、会話の中で「SUPER─」を初めて口にし、なんとも乾燥無味なその題名を意識した。上映後はこの横文字の月並み具合がなんとも言えぬ後味となって、頭の中で反芻されるのであるから面白い。 偶然の連なりを淡々と描くのは、物語の解体ないし日常即ち"いま"への回帰ではなかろうか。映し出される映像は力感なく、劇より情調の

          happy we'll be beyond the sea

          とりとめなき87

          冬眠をせぬ熊がいちばん危ないと聞いたことがある。職場の業務についても似たようなことが言える。春先から夏場に大半が片付いて、この時期は秋眠していて然るべきなのだが、秋眠をし損ねた案件も一定数ある。この数日その対応でてんてこ舞いだ。忙しないだけであればなんてこともないが、熊と同じで頗る危ない。凶暴極まりないのである。師走に入るとそれこそ手が付けられないから、この時節にパトロールをするであるが、矢張り遭遇したくはない。そんなことを言っていても、一週間に二、三匹は目撃情報が出るものだ

          とりとめなき87

          私はすべて山の中である

          覚え方は簡単である。ツマゴメを両端から解体すればよろしい。ツマゴにマゴメ、どちらもマゴつく三文字である。ナカセンドウも覚えておくがよろしい。チュウザンなぞナカヤマなぞ口走ると、何かと格好が悪いからね。覚えたのならあとは歩くのみである。妻籠に馬籠は宿場町、歩くは木曾路、山の中。そんなところだ。 とは言えど馴染みのない地方に出向いて、ひとつの目的を果たすのみ、というのも面白くない。行きがけに岩村の城下町へ寄った。江戸期には東美濃の経済、文化の中心として栄えた歴史を持つ。町屋の並

          私はすべて山の中である

          とりとめなき86

          旅の夜、珍しく起きている。起きていると言えば聞こえはよかろうが、風呂に入って飯を食って酒を飲んで、八時前には眠っていた。起きたのが一時頃。なんだか勿体なくて、翌日に残らぬくらいは呑んでから寝ようと思ふ。 こうして知らぬ道を新鮮な心のままに歩むと、記すことによって"日常"に意味を賦与することの功罪を、否応なしに考えさせられる。そんなことは置いておいても、旅することはイイことである。なんだってイイのだ、場所でも、物でも文字でも映像でも。 "離脱"の作用のみが意味を持つ──

          とりとめなき86

          とりとめなき85

          一. 会社でも家でも、先行きの不安云々のお話が飛び交っている。大変ツマラナイ。 二. こういうときにつげ義春は効く。善し悪しは別として旅に出たくなる。 三. 果たして自身が純粋な意味 ─世間からの離脱という文脈─ で旅に出たことがあっただうか。 四. "未来"なるものは常の連続した、即ち日常の先でしかない。転じて、日常の外側にある"旅"においては、過去はあれど未来は無いというワケである。 五. 純粋なる旅といふものは場所をはじめとする彼是を-することを指すのではなく、

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          嵯峨八景

          嵯峨八景

          きのうのこと

          昼過ぎ、この日は大佛次郎『砂の上に(光風社)』を手に出掛ける。読書の秋は濫読甚だしく、読了したか否かを差し置いて、日毎に収まらず家を発つ毎に連れてゆく書籍がころころと替わる。旅のあいだ鞄に埋まっていた三冊は無論開きもしなかったのに、家へ帰るときには四冊になっているという体たらくである。 今晩は〈観る会〉の九月度開催ということになっている。作品は『アワレミノサンショウ』で、上映時間が長いことが不安だ。今月は劇場に足を運んでいないから、前回は『箱男』になる。九割五分寝てしまった

          きのうのこと

          とりとめなき84

          東北からの帰り、東京で途中下車。新橋ではまたもや古本市。友人は遅刻がちであるから丁度よい。"食通の本"を買ってから合流し、安酒場を練り歩く。電子レンジにかけたであろう出汁巻き、硬い焼き鳥、やけに茎ばったキャベツ等々。私はというと吸い呑み喋りの三拍子、"食い"は最小限に抑えることが大半。ゆえ、上記のごときお粗末様は気にならん。此方もまたお粗末であるが。 クロダとは三月以来であるが、ナカイくんとは大学の卒業振りであった。一人称だけが立派になっておって、笑わせられた。加えて東京の

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          とりとめなき83

          昨日足を運んだ郡山私立美術館にて開催されていた、〈大正イマジュリィの世界 ~モダンデザインの饗宴~〉が素晴らしかった。先ず杉浦非水に心酔である。その他も特筆したい点が余りに多く困っている。神坂雪佳や山川秀峰など見れたというのだから、もはや僥倖という他ない時間である。常設もよかった。恐らく、これから何なり擦ると思う。 これはもう二日前になるが、みちのく民俗村内の民俗資料館にて放映されておった『むかしの農業(1988)』なる映像作品に大いにやられてしもうたことをここに記しておく

          とりとめなき83

          とりとめなき82

          昨夜は岳温泉に宿を取っていたが、湯に浸かったのは到着後の一度きりで、部屋の中で飲食をするなどしたのちは長々と眠っていた。二十二時頃になると開いている店がないのである。仕方なく近場のコンビニであれこれ調達し、流し込んで果てた。洗濯物を乾燥機にかけたままにしており、取り込んだのは今朝。これが全く乾いていない。着るシャツがなく、もう一度乾燥機を回している時間もない。仕方もないので泣く泣く回収。乾きやすい、薄手のものにドライヤーを当て続ける。若干湿ったそれを羽織って出発。我ながら実に

          とりとめなき82

          今日は早朝から

          俳人芭蕉の訪ねたみちのくの古刹、平泉と松島の三寺を巡る。ここに山寺を加えた巡礼は「四寺廻廊」とも言われるそうだが、あいにく山形の地を踏む機会には恵まれたことがない。"巡る"と言ってはみたものの、矢張りどうにもこの語とエンジン音との相性は頗る悪い。場所毎が点と点とになっていて、まるで巡っていないのである。畢竟、我々は巡まれない現代人なのだ。 松島ではまたもや雨に見舞われる。どうもあの辺りを気持ち好く歩いたという記憶がないのは如何なものか。私はなんにも悪いことなんてしていないの

          今日は早朝から

          よし、今晩こそ

          書くのだ、何を、先ずはお仕事の資料。書いたのだ。書くのだ、何を、業務の報告書を。書いたのだ。本当のところ私、出来る男なのだ。やるときはやるのだ。やるのだ、はどうでもよろしい。彼是から解放されて、そして書くのである。何を書くかは私の預かり知らんところ。此度は書くと決めているのだ。それだけである。以上も以下もない。暖房もストーブもない山間の一室は頗る寒い。花巻は大沢温泉である。 日が暮れてからのこと、林道を走っていたとき、道を横切る獣を見た。あれは間違いなく熊である。野生の熊を

          よし、今晩こそ