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『疾風の勇人』3巻を読んでみました

この漫画を読んだら、いつのまにか社会科(昭和史、近代日本の政治史)の勉強になっていました。

池田は吉田総理よりアメリカ視察を命ぜられます。日本の大蔵大臣としてアメリカの財政や経済政策を肌で体感してくること、、というのは表向きの理由で、隠された本当の任務は講和の交渉でした。
日本とアメリカが講和条約を結ぶことが知れるとソ連は黙っていません。講和の交渉は秘密裏にすすめる必要がありました。そしてアメリカ内でも講和推進派と反対派があり一枚岩ではありません。ことの運び方、交渉をする相手、吉田から預かった講和実現への腹案を綴った手紙を渡す相手、これらを間違えると全てが台無しになってしまいます。
日本の未来が、渡米した池田たちの手にかかっている!そんな場面が目白押しの第3巻です。

3巻では、こんな勉強ができました。(以下、内容のネタバレを含みます)

①五・一五事件

池田が大病を患っていた昭和7年の回想シーン。動乱の時代で、時の総理大臣の犬養毅が海軍将校に暗殺されるという前代未聞の事件が起きます。
日本が軍閥政治へと大きく舵を切るきっかけにもなりました。

五・一五事件の由来は5月15日に起きた事件のため。海軍将校たちが起こしたクーデターであり、首相暗殺により軍部中心の政府をつくろうとした事件です。実際に五・一五事件とのちのニ・ニ六事件を発端に、軍部は政治への発言力を強めていきました。

②日米安保条約

講和を実現するためには、経済的な自立が必須です。そして講和を果たし日本が占領から解かれるということは、米軍の傘下で無くなることを意味しています。そこでネックとなるのは、軍事費です。
日本の近くにはソ連、中国、朝鮮といった国があり、軍事を疎かにすると近隣諸国に攻められる危険がはらんでいました。
国防費として計上できる予算はほとんどない。しかし講和は実現したい。
これら双方をとりもつ吉田茂の案は、のちの日米安保条約の基礎になっているものでした。

1951年、日本と連合国48との間に結ばれた第二次世界大戦終結のための平和条約「サンフランシスコ講和条約」により講和は実現されます。同日に調印された日米安保条約により、アメリカ軍が日本に駐留することは継続しつつ日本は被占領国から脱却したのでした。

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