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十一日目 令和元年五月九日 十三時四十五分頃

 東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。十一日目 令和元年五月九日 十三時四十五分頃。相模國。小田原宿。

【上段左】江戸口見附跡と一里塚。宿場町の見附とは見張り番所のことで、江戸方面にあったため「江戸口」と呼ばれた。

【上段中、右、中段左、中】北条稲荷北条氏康に狐が祟ったという話から出来た稲荷。祟りが相当強力なのか、境内のそこかしこがペンキで赤く塗られ、狐の像は厳重に赤い柵の中に入れられている。

【中段右、下段左】蛙石(かわずいし)。北条稲荷の境内にある。小田原城に異変があると夜な夜な必ず鳴いたそうだ。もともとは城内にあったらしい。ところが関東大震災の時、この石が全く動いていなかったので、不思議に思い一丈(3m)ほど掘ってみたが石の底が出てこないので岩盤の一部が露呈している状態と言うことになった。つまり小田原城内にあったのではなく、元々ここに合ったものだと推定されている。

【下段中】旅館・生そば くろさわ。午後三時か四時頃なら飛び込みで是非とも泊まってみたいところだ。一時半ごろでは中途半端すぎる。街道歩きをしていると、こんな感じに宿と旅程とが上手く合わないのだ。

【下段右】一泊二食付き 相州旅館。またしてもいい感じの旅館。名前もいい。残念だ。

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