見出し画像

おいしいは、(ほんとうは、)たのしい

母が他界したのは2018年10月のこと。胃がんだった。亡くなる直前、食事はほとんど喉を通らなくなっていた。唯一、ピンポン玉大に成形された果実のようなアイスだけは食べることができた。見舞いの度に私が持参するそれをおいしそうに口にしていたのを、今も思い出す。

母の通夜振る舞いの席で、今度は父が突然倒れて緊急搬送された。喉に大好物の寿司を詰まらせたことが原因だった。何とか一命は取り留めたものの、医師からはおそらくこのまま意識を取り戻すことはないでしょうと言われた。
それから8ヶ月間、見立て通りこんこんと眠り続け、物静かだった父らしく、一度も目を覚ますことなく静かに旅立った。

じいちゃんばあちゃんに懐いていた私の一人娘は、この一連の出来事に、言葉では容易に表せないほどのショックを受けた。学校での人間関係に悩んでいた時期と、ちょうど重なっていたらしい。
私は精神的に不安定になってしまった妹をケアしながら、母の遺産の相続手続きやら、父の転院先の検討やら、てんてこ舞いな状態だった。娘には全くと言っていいほど気を配ってやる余裕がなかった。

娘の食事量が少しずつ減っていることには、なんとなく気づいていた。2段重ねの弁当箱の1段分を丸々残すことが増え、このところあまり食欲がないから、弁当箱を1段にしてほしいと言われた。もともと夏が近づき暑くなると食が細くなる質だったから、それほど深刻に考えてはいなかったのだ。
その1段すら食べ切れなくなり、家での食事もままならなくなった頃、学校で定期テスト中にパニックを起こし受診することになった。

医師の診断は、摂食障害だった。

病院で改めて測ってみると、娘の体重は36kgまで落ちてしまっていた。どうしてこんなことになるまで気づいてやれなかったのか。不甲斐ない自分を責めた。
半袖のブラウスから出る娘の腕は、亡くなる直前の母のそれのようにか細く、触れるだけでポキリと折れてしまいそうだった。

その日から、縮んでしまった胃を少しずつ大きくする努力が始まった。最初は1回の食事で4連のヨーグルト1カップ(1カップあたり75g、61kcal)を完食することすらできなかった。1日5〜6回に分けて食べさせても、基礎代謝と同じだけの熱量を摂取することさえ難しい。

医師から通院以外の外出は禁じられ、1日を横臥して過ごすこと、30分以上連続して座り続けないこと(座っているだけでカロリーを消費してしまうから)、30分以上集中して勉強したり本を読んだりゲームをしたりしないこと(脳を使うことで糖を消費してしまうから)などを指示された。
もちろん、通学などできるはずもない。欠席は長期に亘った。

このような状況になって初めて、食べることはなかなか骨の折れることなのだと思い知らされた。1日数回、だいたい決まった時間に食事を準備して食べる。食べたら無くなってしまうから、次の食事のときにはまた食べ物を調達したり、調理したりしなければならない。よくよく考えてみると、食べることとは、結構な手間のかかる、効率の悪い、面倒な作業だ。

食べても食べても思うように体重が増えず、一番しんどかった頃、娘はよく「植物になりたい、光合成をして栄養を自分で作り出したい」と言っていた。
食べて栄養を摂取できなくなれば、生命を維持すること自体が危うくなるわけで、治療中の娘にとって食べることは義務である。胃を大きくするために、いつもお腹いっぱいを遥かに超えてひたすら食べ続けなければならない。それは娘にとって、ただの苦行でしかなかった。
食べずに栄養を摂ることができれば、どれだけ楽だろう。植物になることを夢想する娘の気持ちが手に取るように分かり、つらかった。痩せ細ってしまった身体を抱いて、そんなに苦しいならもう食べなくていいよと言ってやりたい欲望を必死に抑え込んだ。

健康で一般的な人にとっては、だからこそ食べ物はおいしいのかもしれないなと思った。おいしいものを食べることはたのしいと、脳に繰り返し刷り込んでいるのかもしれない。食べ続けることは、実は意外と難儀で大変なことだから。たのしければ、それを義務だと感じることなく、むしろ喜んで食べ続けることができるから。

紆余曲折を経て、娘は先日、ようやく目標体重である43kg(標準体重の80%)に達することができた。ほんの2〜3ヶ月の間にみるみる落ちてしまった体重を取り戻すのに、実に1年8ヶ月もの時間がかかった。

その間、娘はたくさんのものを失った。学校は出席日数が足りず、中退することになった。友達は皆学校を卒業して、それぞれの世界に羽ばたいていき、すっかり疎遠になった。偏食になったことで食物アレルギーを併発し、小麦を含む食べ物を食べられなくなった。長いこと外出を制限され、外に出ること自体が億劫になったところに、未知のウイルスの流行が重なり、外出に恐怖を覚えるようになった。

それでも最近になってようやく、娘がときどき口にするようになった言葉がある。

「おいしい」

摂食障害と診断されてからは、ただの義務でしかなかった食事。それをようやくおいしいと感じることができるようになったのだ。
多くを失った中で見つけた、ささやかな希望の光だ。

娘が食べることにたのしみを感じるまでには、もう少し時間がかかるだろう。目標体重を達成して、食べ物を(ときどき)おいしいと感じることができるようになった今でも、毎日毎食頑張って頑張って、お腹いっぱいを遥かに超えて食べ続けていることに変わりはないのだという。

おいしいは、たのしい。以前は、娘も自然とそう感じていたはずだ。その感覚をいつか取り戻してほしいと思う。
おいしいは、(ほんとうは、)たのしい。心からそう思えるようになるときこそ、娘がこの病気に打ち勝つことができたと言えるときなのかもしれない。


#おいしいはたのしい

#摂食障害

#拒食

#闘病

#食事

#食


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?