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本書を手にしたきっかけは、若林さんには申し訳ないのだが、解説を読みたかったからである。書かれたのはCreepy NutsのDJ松永さん。私が最も敬愛する人だ。偶然聴いていたラジオで、松永さんが唐突に座っている椅子から転げ落ちて、心を鷲掴みされてしまった。テレビでよく見る、いわゆるひな壇芸人さんがどなたかのボケに対して一斉にズッコケる予定調和のあれではない。ただ単純に、生放送中に椅子から文字通り転げ落ちたのだ。そんなパーソナリティは初めてで、衝撃だった。
その後、文學界でエッセイを連載していることを知り、読んでみたところ、あまりの素晴らしさに完全にやられてしまった。読了後、雑誌を抱きしめて号泣し、文字通り身動きできなくなった。松永さんの書く文章が愛おしすぎて、雑誌を手から放したくない。このままずっと抱きしめていたい。長らく趣味は読書と公言してきたが、そんなふうに感じたのは初めてだった。衝撃だった。

松永さんが若林さんを「崇拝」というレベルで慕っていると知ったのは、つい最近のことだ。若林さんのためなら、犯罪以外何でもできるとラジオで豪語していた(その後、なんなら犯罪もできると訂正して、相方のR-指定さんに全力で止められていた)。また、本書の文庫化にあたり解説を書いたが、内容は個人的な手紙であること、自分の思いは全部そこに込めたから、このことについて直接若林さんと会話を交わすつもりはないことも熱く語っていた。松永さんから若林さんへの公開ラブレター。絶対に読んでみたいと思った。

発売日に購入した。いきなり解説から読もうかとも思ったが、さすがに若林さんにも松永さんにも失礼にあたるような気がする。目次を見て、若林さんが文庫用に書き下ろしたあとがきから読み始めることにした。
邪道な読み方ごめんなさい。

あとがきを読んで、喉の奥の方に、間違って鉛の玉を飲み込んでしまったようなつかえを感じ、痛くて痛くてたまらなくなった。生き辛い道のりを歩く灯火であり、自由になれる隠しコマンド。それは血の通った関係と没頭であり、若林さんがそれらに出会えたのは、自らの欠落に自覚的で、たくさん寄り道をしたからだとあった。分かりすぎるくらい分かると思った。

自分で言うのも何だが、割とスムーズに走り続けてきた人生だったように思う。がむしゃらに勉強して希望の大学に入り、頑張って希望する会社に就職して、好きな人と結婚し、子どもにも恵まれた。ずっとスムーズだったから、これまで私という車のボンネットを開ける必要はなかった。
でも2年ほど前から何もかもが上手くいかなくなった。そうして初めて、ボンネットを開け中を覗き込み、自分の欠落に気づいて愕然とした。私はとんでもない欠陥車だったのだ。こんな状態でよくこんなところまで走って来れたものだ。大切な家族に歪みを生じさせてしまったのも、自分の欠落に無自覚だったから。全て私の責任で、起こってしまったことは取り返しがつかない。
だがそれでいいんだと若林さんは言ってくれた。だからこそ血の通った関係と没頭に巡り会え、灯火であり隠しコマンドを手にすることができたのだと。自分と同じような傷を持って生きてきた人がしたためた一冊の本、ステージ上のラッパー、ラジオ番組のパーソナリティ。それはすなわち私にとってのCreepy Nutsであり、松永さんだった。

喉の奥に鉛の玉がつかえたまま、松永さんの書いた解説を読んだ。そのひたむきな思いを、ひたすら真っすぐ若林さんに向けて捧げる文章に、滂沱の涙が流れて止まらない。どうにかして読み終えるとまた、本を抱きしめたまま身動きできなくなってしまった。
松永さんは、どうしていつもこんなにも真っすぐなのだろう。
もう一度読み返してみようとページを開くも、最初の段落で涙が溢れて先に進めない。気を取り直そうとイヤホンを耳に押し込み、プレイリストからCreepy Nutsのかつて天才だった俺たちへを選ぶ。ウッドベースの音が耳を撫で、まるでダムが決壊したように涙がどっと溢れ出た。
私の涙腺は、完全に壊れてしまった。
松永さんにとっての若林さんは、私にとっての松永さん。私にとっての松永さんは、松永さんにとっての若林さん。涙と鼻水をぼたぼた垂らしながら、機能しなくなってしまった頭で、ぐるぐる考えた。
その日はそのまま、本書を開くことはできなかった。

翌日。あとがきと解説はきちんと飲み込めないまま、いったん保留して、冒頭から順に読み進めることにした。本を読むのは早い方だが、永遠に読み終わりたくなくて、毎日少しずつ、時間をかけてゆっくり大切に読んだ。
若林さんは私の身に起こったことを一つ一つ解きほぐすように、旅先の美しい風景を細かく描写しながら、自ら撮った写真も見せてくれながら、全て噛み砕いて教えてくれた。私という欠陥車のボンネットを一緒に覗き込み、その欠落を見つけては、分かるよ分かるよと言ってくれた。
キューバの音叉のくだりで、母の後を追うように旅立った父を思って泣き、モンゴルの馬頭琴のくだりで、スーホの白い馬と自分を思い(白馬だけに)、アイスランドの花火のくだりで、胃がんで旅立った母を思って泣いた。
若林さんが隣にいてくれたから、ようやく本当の意味で泣くことができた。

邪道だと思ったが、結果的にこの順で本書を読めて良かったと思う。あとがきで若林さんが全体の分かる地図を(ネタバレにならないぎりぎりのラインで)書いてくれていたおかげで、解説で松永さんが真っすぐに若林さんを照らしてくれていたおかげで、どんなに細かい描写を読んでも迷うことがなかった。
2周目にあとがきと解説を読んで、ようやく全てを飲み込むことができた。喉の奥につかえていた鉛の玉は、少しずつ溶かされ、熱い涙と鼻水になって流れ出し、気づけば痛みと共に消え去っていた。

敬愛する人の崇拝する人。大好きな人の大好きな人。その凄まじさをまざまざと思い知らされた。若林さんには私が丸ごと見えているようだった。松永さんと2人で、まるで神様みたいに、私を救ってくれた。
ほんとうにありがとうございました。

ところであの鉛の玉は、一体いつから私の喉の奥でつかえていたのだろう。

鉛はどうしたら溶けるのか、気になって調べてみた。さぞ危険な薬剤を使うのだろうと思ったが、熱を加えるだけでいいそうだ。ただ熱だけ。融点は327.46度。若林さんが抱えるエネルギーの熱さ。松永さんが若林さんに向ける思いの熱さ。私がお2人を敬う熱さ。血の通った関係と没頭の熱さ。どれも327.46度以上。


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