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「キツネノテブクロの咲く頃に」第6話 #ファンタジー小説部門


あらすじ・第1話→https://note.com/maneki_komaneko/n/n6e4ebdef1b6b
前回→<5>月のない夜の姫君(1)
**この記事の終わりに目次があります。**

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キツネノテブクロの咲く頃に

<6>月のない夜の姫君(2)

(約4800字)

「此度の遠征、黒の姫君にも同行願いたいが。赤毛の子犬の世話で忙しいだろうか?」

 四番目の兄さまがわたしに言い、五番目の姉さまがそれに続けた。

「よく鳴く子犬の世話くらい、メイドたちに任せればいいのにね? 月のない夜の姫君は、それほどに子犬にご執心なのね。たまにはわたしが面倒を見ましょうか?」
「それは、許さない」

 わたしは姉さまの目を射るように見返し、即答する。

「あの子犬は、わたしだけのもの。誰にも手を触れさせはしない」
「ママにも? あのかわいそうな子犬は、ママに触れることを望んでいるのではなくて?」
「わたしの望みではないのだから、それは必要ない」

 五番目の姉さまは「そう」と言って、けれど視線はわたしを探っている。
 絶対に、隙を見せてはならない。一瞬たりとも。


 一族の城に来てからわたしは、人間の王の城で隠していた力を解放した。魔の一族はその者の価値を、見目の美しさ、そして武力の強さで決める。それを知ったわたしは、軍の者に教わって体術を鍛え、剣を習った。わたしは数年で軍の大人たちに勝てるようになり、軍の一員になることを認められた。

 そうでなくても、一族の者はわたしを敬い、臣下として振る舞った。それは一族の王である一番目の兄さまが、わたしと弟を、ママの子として皆に紹介したからだった。
 この城では、弟とわたしに、つぶてを投げる者はいない。もしそんなことをすれば、一族を率いてきた始祖の血族への、反逆とみなされるからだ。
 たとえわたしに、血族の血が流れる証しとしての白い翼がなくても、弟に至っては翼そのものがなくても、だ。

 ママが、ママの番いだった『偉大なる先の王』との間に儲けた、六人の子……四人の兄さまたちと、二人の姉さまたち。
 六人はママと同じで、始祖の血族特有の、真っ白な翼を持つ。髪と瞳の色もママと同じ、金の髪に青の瞳だったが、こちらは六人それぞれで濃淡の違いがあった。ママによく似た顔立ちで、けれど一番美しいのはやはり、ママだった。

 わたしは城に来て、初めて自分の顔を鏡で見た。

 鏡の中にいたのは、弟とほとんど同じ顔の娘だった。
 娘は、六人の兄さまや姉さまたち、それにママとも、似た顔付きをしている。

 わたしと弟は確かに、ママの血を引いているようだった。
 けれど彼らとは違う、彼らとは異なる者なのだと、はっきりとわかる特徴があった。

 弟の髪は赤毛で、瞳の色は春の若葉のような黄緑色。
 わたしの瞳は紫色、髪と翼の色は、夜の闇のような黒。

 始祖の血族はそのほとんどが、金の髪に青い瞳。そして、始祖の血族が白い翼を持たずに生まれたという前例はない、とニ番目の姉さまから聞いた。

 始祖の血族にはありえない、わたしの黒い翼。黒は、血族でない一族の者にも、めずらしい色だった。ほんの数人、黒髪の者、黒い翼を持つ者がいたが、わたしほどに黒くはなく、髪も翼も黒というのは、一族の中ではわたし一人だけだった。

 月のない夜の、黒の姫君。

 兄さまたち、姉さまたちはわたしのことをそんなふうに呼び、線を引いてわたしを見下した。
 始祖の血族の色を持たずに生まれた、人間の血が混じるわたしを、そして弟を、自分たちと同等に扱う気はなかったのだ。
 わたしはそれでも、彼らに認められなくてはならなかった。だから、とにかく強さを求め、他をねじ伏せることの出来る力で、彼らにわたしを認めさせた。

 そしてわたしは一族の者のように、自らの欲を満たすことをためらわないふりをし続けた。
 ほとんど人間のような弟を弄んでいいのは、わたしだけ。
 だから誰にも触れさせないし、渡さない。
 それは弟を守るために、絶対に必要なことだった。


+++

「ボクが鏡にうつるようになったら、ママはボクを見てくれるのかなぁ」

 弟のことばに、わたしは無言のまま、弟の赤い巻き毛を撫でることで応える。わたしは、弟に対しては嘘をつかないと決めている。兄さま、姉さまたち、一族のほかの者たちには、平気で嘘をつくのに。
 一族の者たちは、嘘をつかない。嘘をつくのはおそらく、わたしの中の人間の血だ。

 弟は遅いなりに、少しずつ成長していた。わたしは弟にことばを教え、本を与えて勉強することを覚えさせた。弟は一人で城を歩き回るようにもなり、自ら様々なことを学んだ。

 弟が鏡にうつらないことが発覚したのは、城に来てすぐのことだった。
 この城には至る所に鏡が飾られている。回廊にも、広間にも、人間の王の城にはなかった大きくて精巧な鏡が、あちらこちらにあった。わたしの隣に並んでいるはずの弟の姿がそこにないことは、誰が見てもすぐにわかった。
 それから兄さまたち、姉さまたちは弟を、『鏡にうつらないかわいそうな子』と呼んだ。弟はそう呼ばれることで、自らを知ることになった。

「どうしてボクだけ、うつらないんだろうね? キミだって、鏡にうつるのにね?」

 弟が、飼育小屋のミミナガヤギの耳を撫でながら、それに向かって話しかける。弟は毎日、城中の鏡をのぞいて回り、時間をおいて頻繁に、持ち歩いている手鏡の中を確認する。
 あの紐の付けられた手鏡は、弟が、身の回りの世話をするメイドに、自ら頼んで手に入れていた。

「……姉さま。ボクは、ボクは、っ、こわしたくない。かっ、鏡も、ママも、っ、こわしたくないっ、のに」

 兄さまや姉さまの言うことに情動を乱された弟が、ポロポロと涙をこぼす。
 兄さま、姉さまたちは、弟の反応を楽しみ、蔑んでいた。彼らの中で、人間という種族は、魔の一族よりも下等な、愚かな生き物だった。羽をちぎられた羽虫が自分の足元で這いまわるのを、彼らは飽きずに楽しむのだ。

 わたしはどうしてか、兄さまや姉さまとは、違った。

 一族の者にはない情動からもたらされる、涙、というものの美しさ。
 それに目を奪われているわたしの体の奥で、自分とは別の、生き物のようななにかがうごめくのを感じる。

「ボクは、こわれてしまったほうが、いい? ボクがこわれてしまったほうが、ママはうれしいかな?」
「そんなの、」

 わたしは弟の肩をつかんで、弟に言った。
 体内に蠢く、その生き物の衝動のままに。

「そんなの、わたしが望まない。おまえが壊れて、いなくなってしまった世界など、想像したくもない。おまえは壊れてはいけない。ただ、わたしのためだけに、壊れないでここにいるの。おまえは、かわいそうなんかじゃない。おまえは……とてもとても、やさしい子」

 人間の王の城で、人間たちが使っていた『やさしい』ということばを思い出し、口にしてみる。

 弟は……なぜそこで、自分が壊れることを、ママが喜ぶかどうかを考えるのだろう?

 それは、わたしにはわからない、弟の思考の仕方の名を探して、浮かんだことばだった。それにどうして弟は、誰からも教わらなかったはずの『やさしさ』とやらを、その身の内に持っているのだろう? それは、人間の血によるもの、なのか?

 そして、わたしの体内で蠢く、この生き物のような、なにか。
 魔の一族の者たちの体内に、こんなものは存在しない。
 これも、人間の血のせい?

 これは人間たちが、そして弟が持つ、情動に似たなにかのようだ。
 けれどわたしは弟のように、泣いたり笑ったりはしない。
 それに、こうして体内の生き物が蠢くのは、弟に対してだけ。

 剣を持って人間を何人殺しても、一族の同胞が人間に刻まれて倒れるのを見ても、こんなふうにはならない。ただ、もし弟がそうなってしまったら。それを想像するだけで、この蠢く生き物は重く、ドロリとして穢れたかたまりとなり、わたしはそれをどうにかして、吐き出してしまいたくなる。

 これは。
 この、生き物のような衝動は、なんなのだろう?

 一族の者でもなく、ましてや人間からは程遠いわたしは……まるで人間のような弟とも違う。
 わたしは。いったい、何者なのだろうか?


+++

「我を生かし、地に倒れる者の魂は天上をく」

 血の匂いがする風を受けてなびく髪を払い、足元に転がる人間たちを見下ろす。
 わたしの口から出たことばはそこに留まらず、血の匂いと共に風に運ばれて、消える。

 一族の領地は幾度となく、人間たちに脅かされた。
 わたしは一族の軍が領地を守るための戦いに挑むたび、多くの人間を剣で薙ぎ払い、その息の根を止め、地に転がしてきた。
 こんな、古くから伝わるという祈りのことばとやらが、いったいわたしに、なんの益をもたらすというのだろう。現に、比較的年若い者、そして兄さまたちや姉さまたちも、このことばをあまり口にしなかった。

 けれど。わたしはこのことばを、剣の血を拭いながら、血を拭うためのまじないであるかのように唱える。一族の、もうじき死期を迎える、長い時を渡ってきた者たちのように。
 一族に、人間たちのような外見の老いはほとんどない。だが死期が近くなれば、自ずとわかるらしい。

 わたしの背にあったのは、黒い翼だけではなかった。
 わたしがいままでこの手にかけてきた、多くの死が、常にそこにたたずみ、わたしを見つめていた。
 死がわたしに訪れるのを、恐怖していたわけではない。わたしはただ、わたしの死によって、弟を失いたくなかった。祈りのことばはわたしを生かし、わたしを待つ弟の元へ戻るために必要なもののように感じられた。

 歴代の一族の者たちが遺してきたことばが、すべての一族の者たちの、すぐ隣にあった。

 わたしが弟を寝かしつけるときに口にする祈りのことば、『夢のない眠りは何よりの祝福』も、その一つ。本来、親から子へ口伝えに教えるらしいそれらを、わたしは体術や剣と共に、軍の者から教わった。
 そして、一族の掟についてもわたしは、軍の一員として作戦や任務に参加する中で学んだ。


 一、偉大なる始祖の誓いに従い、我が血族と同胞を殺してはならない。

 一、聖なる魔の山に守られた地の、境界を越えてはならない。

 一、沈黙の精霊との盟約の下に、我は約定やくじょうたがえない。

 一、罪を犯した者は、相当の欠落をもっあがないとする。

 一、……


 魔の一族は、これらの掟の下に生きていた。
 同胞、つまり一族の者を、殺したり傷つけたりすることは禁忌とされ、それを犯したものは掟に従い、罪状に応じて、体のどこかに傷で印を付けられ、場合によっては翼を切り取られることにもなる。
 そして老いのない長い生を、屈辱と蔑みの中で生きることになるのだ。

 そう。死をもって償う、という、人間の王の城にはあった刑が、一族にはない。
 たった一つの、例外を除いては。


「『翼を持たぬ子を地へ還し、境界を越える同胞を地に落とせ』という掟を、黒の姫君は、ご存じか?」

 六番目の兄さまが、わたしに言った。

「『境界を越える同胞』など、見たことがないけれど」

 わたしは、わざと話をそらした。落ち着いて、隙を見せてはならない。
 たとえそれが、知らなかったことだとしても。

「人間の国で暮らそうなどと目論んで、掟により翼を切り取られる阿呆、そんな者はもう何百年といない。それよりも、十三の歳に翼を持たぬ子は、どうなると思う?」
「つまり、地へ還すのでしょう?」

 わたしは答え、六番目の兄さまの視線を受けて、それを見つめ返した。
 兄さまは目を細めて、得意気に言った。

「黒の姫君と子犬は、夏が終われば十三になるのだろう? ママも兄さまも姉さまも、その日を待ち望んでいるからなあ!」

 一族の子どもは少なかった。翼をもたぬ子など、弟以外に、この城に来てから聞いたことがない。
 十三になる誕生月に、成人として認められる、ということは知っていたのだが。

「お気に入りの子犬との別れは、もうすぐだ」
「そう。残念ね」

 わたしは表情を変えずに答え、そしてその日からわたしは、それまで何度かおぼろげに描いていた考えを、練り直すことをはじめた。





つづく

次話→
<7>月のない夜の姫君(3)
   <幕間2>創世記・祝福の翼

   <幕間3>夜色の翼は高くに


キツネノテブクロの咲く頃に
<6>月のない夜の姫君(2)

【2024.06.08.】up.


【キツネノテブクロの咲く頃に・目次とリンク】

※カッコ内の4ケタは、おおよその文字数です。
<1>ボクは鏡にうつらない(1)(5300)
<2>ボクは鏡にうつらない(2)(6200)
<3>ボクは鏡にうつらない(3)(7400)
<4>夜に溶けて飛ぶ鳥(6200)
<幕間1>王国の滅亡と魔の一族の伝説(1600)
<5>月のない夜の姫君(1)(6000)
<6>月のない夜の姫君(2)(4800)
<7>月のない夜の姫君(3)(4100)
<幕間2>創世記・祝福の翼(1500)
<幕間3>夜色の翼は高くに(1800)
<8>そして、キツネノテブクロの咲く頃に(1)(7700)
<9>そして、キツネノテブクロの咲く頃に(2)(6500)


#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門 #駒井かや

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