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「キツネノテブクロの咲く頃に」第5話 #ファンタジー小説部門


あらすじ・第1話→https://note.com/maneki_komaneko/n/n6e4ebdef1b6b
前回→
<4>夜に溶けて飛ぶ鳥
   
<幕間1>王国の滅亡と魔の一族の伝説
**この記事の終わりに目次があります。**

*********


キツネノテブクロの咲く頃に

<5>月のない夜の姫君(1)

(約6000字)

 わたしと弟の、最後の旅が終わった。

 弟を魔女の家に残し、わたしは飛び立った。
 鳥と化した姿を、弟にさらして。

 空にある欠け残りの月の、弱々しい光を頼りに、弟が目覚める前に訪れていた樹を見つけ、降りる。四枚羽の鳥の姿から人型に戻ったわたしは、樹のうろから荷を出し、服と剣を身に着けた。

 ふと、ほんの数刻前まで、この手に感じていた熱を思い出す。
 唇で触れた頬のやわらかさ、よく知った匂い。
 わたしを『姉さま』と呼ぶ、あの声。

 わたしは無意識に、それらの感覚を追想している。
 その身に刻みつけるように、何度も、何度も。

 すべては、上手くいったのだ。
 計画通り、月のない夜に弟をあの城から連れ出し、旅をして。
 事前に契約を交わしていた魔女のもとに、弟を無事送り届けた。
 わたしは、弟を一族から解放することに、成功したのだ。

 兄さまたちや姉さまたちはすでに、弟の不在に気付いているだろう。残してきた置き手紙に、弟を城の外へ連れ出したと、わたしが書いたのだから。

 弟に城内を歩かせないようにし、わたしが食事を与え躾をするから、と部屋に出入りするメイドをしばらく遠ざけることで、わたしたちの出立の時期をごまかしはした。メイドが部屋の置き手紙を持って二番目の姉さまに報告するのは、わたしたちが旅立って一週間後くらいになったはずだ。
 わたしは少し前から、一族の境界付近の哨戒を進んで引き受け、見つけた人間の軍を、状況に応じて殲滅してきた。その任務を、次の月のない夜まで続けることになっている。
 任務の途中で、補給のために城に戻り、弟を連れ出した……その是非を問われ、弟の居場所を尋ねられたときの答えも、もう考えてある。

 夏が終われば壊されると聞いたから、最後に外へ出してやった。
 境界付近の任務に連れて行ったら、人間の国に逃げようとした。
 だが逃げようとしたところで、人間に矢を射かけられ、殺された……と。

 背に翼を出し、わたしは再び、森の上空へ飛び上がり、森の樹々の先端をかすめるくらいの高度で飛ぶ。
 あと五日もすればまた、月のない夜が来る。それまでにわたしは、一族の掟を裏切らなかった証しとして、城に戻らなければならない。

 兄さまや姉さまはわたしの話を、人間がつくような嘘だ、として、わたしの翼を落とすかもしれない。一番目の兄さまや二番目の姉さまなら、真実に対して一度沈黙し、戦況が好転するまで生かしておこうと考える可能性もある。
 このところ、境界のいくつかの場所で、人間たちを退けるのに、苦戦を強いられる局面があったようだ。わたしの、軍人としての利用価値は、まだあるはずだ。

 まだ、油断してはならない。あの子を守らなくてはならない。
 あの子に追手がかからないと確信出来るまで、わたしは生きなくてはならない。
 もうこの手で、あの子に触れることがないとしても。

 ずっと、一緒にいた。
 十二年前にかえったときから……卵から孵る前、ママのはらにいたときから、ずっと。

 一族の領地へ向けて飛びながら、わたしは、わたしとあの子のはじまりを思い返す。
 するとわたしはいつの間にか、あの子のことだけでなく、ママのことまで考えてしまう。

 ママは。わたしがこれから告げる弟の死を、喜ぶのだろうか?
 それとも、自分の手で殺したかったと、怒りをあらわにするだろうか?
 そのどちらでもなく、なんの感情も抱かずに終わるのだろうか?

 ……ママ。
 一族の誰より美しい、そして、自らが産んだ弟とわたしに、一度も触れたことのない、ママ。

 それでも、わたしと弟のことを考えるときのはじまりは、どうしたって、ママでしかないのだ。


+++

 ママは魔の一族の国を統べる、始祖の血族の娘として生まれた。
 ママは血族の義務として、一族でもっとも強くて力があると認められた男を、つがいとして迎え入れ、掟に従って男を一族の王とし、王との間に六人の子をした。

 ママは、本当に美しかった。
 光を受けてきらめく金色の長い髪、静謐せいひつな湖の水面のような青の瞳。そしてママの背にあってママを飾る、真っ白で大きな翼。白い翼を持つ者は、始祖の血族にしか生まれない。一族にとって、特別な色だ。

 ママがあんなにも美しくなければ。ママは自分の番いを失うこともなかったし、わたしと弟を身籠ることもなかった。けれどそれは、ママのせいなのだろうか? それとも、人間の書物にあった、神の見えざる手とやらのせい?

 わたしと弟は産み落とされてから、塔に幽閉されていたママには、一度も会わされることなく育てられた。人間の王はママをあまりにも愛し過ぎていたから、ママが産んだ子でさえも邪魔であると考えたらしい。

 もし、わたしと弟が王に排除されず、ママの元で育てられていたら。
 ママはわたしと弟に、情を向けただろうか?

 魔の一族は、人間が持つような、複雑な感情を持たなかった。彼らは、始祖が遺したとされる一族の掟に従い、淡々と生きている。重んじるべきとされたものはその通りにし、気にくわないものがあれば、そう宣言してそれを壊す。自らに生じた欲や怒りを否定せず、掟に背かない限り、それを満たすように行動する。

 そんな一族の女が、番いを殺した敵に身を辱められ、あげく身籠った子に対して、情を向けられるのか? それでなくてもママは始祖の血族、その中でも最たる者として一族の最上位にいて、そういう存在としての誇りを穢されたのだ。人間の王への憎しみと、終わらない屈辱……わたしたちがママの元で育てられたとしても、情を向ける、などということは起こり得なかっただろう。

 どちらにせよわたしと弟は、人間たちに育てられた。王はわたしたちを邪魔とはしたが、殺しはしなかった。おそらくママや、一族との交渉の駒として使うつもりだったのが一つ。そして二つ目の理由は、魔の一族の血を引くわたしたちを、研究・観察の対象とみなしたからだ。

 だが、一族の者たちが持つ不老の力を欲していた人間たちはすでに、捕虜の戦士たちからなにがしかの結果を得ていたようで、わたしたちに傷を付けることはなかった。いずれにせよわたしたちは、なにも出来ない赤子の時期を、卵の殻の中で切り抜けたのだけれど。


+++

 わたしがこの世に生まれ、目を開けて最初に見たのは、弟だった。
 そして、弟の初めてもまた、わたしだった。

 わたしは卵から孵ってほとんどすぐに、動けるようになった。
 弟は、違った。
 こちらを見てなにかを唸るように言い、かと思うと泣いて、わたしが頬を撫でると笑った。

 人間の王の国が攻め滅ぼされるまでの十年、その中の、卵から孵ってからの歳月だけ、わたしは人間を見た。感情とそれに伴う表情の豊かさ、豊かさゆえのわかりにくさは、一族にはないものだったと、あとでわかった。
 だが、弟以外に笑顔を向けられたことはない。城の者たちから向けられる感情の多くは否定的なもので、わたしを見た人間たちは口々にこう言った。

「魔の一族の女が産んだ子、そして双子の子。なんて不吉なんだろう」
「不吉な子の、黒髪の姫君のほうは、泣きも笑いもしない。ああ、恐ろしい」

 そう、わたしは。人間たちが、そして弟が持つ、複雑な感情……情動を、持たなかった。ほかの魔の一族の者たちと同じように、ということを知るのはまだ先のことで、わたしは、城の人間たちからつぶてのようにぶつけられる感情に戸惑った。わたしがなにもせず、ただそこにいるだけで、周りの人間たちが勝手に、わたしに対して感情を抱く。魔の一族の血が半分流れるから。この国が忌み嫌う双子だから。わたしが泣きも笑いもしないから。
 けれど人間たちは、ちゃんと泣き笑いする弟に対しても、感情のつぶてを投げた。

「あっちへ行け! ママは、おまえのママじゃないんだ!」
「パパをうばった、どろぼうの子め!」

 王妃とその子らが城の庭園にいるのを見ると、弟はなぜかいつも、彼らのほうに近寄ろうとした。だがすぐに王妃の子らから、ことばのつぶてを喰らう。彼らは弟を忌避して、早々に去る。
 そして弟は、その場に立ち尽くして、泣く。わたしが止めてもそれは何度も繰り返され、わたしには弟がなにを望んでいるのかが、よくわからなかった。

 どうしてなのか、情動を持つ弟のほうが、情緒の成長が遅かった。情動を持たないわたしのほうが成長が早かった、と言ったほうがいいかもしれない。わたしは弟より早く様々なことがわかるようになったおかげで、弟を、人間たちのつまらない嫌がらせから守ることができた。これも、わたしの血に流れる魔の一族の血が、濃いせいなのだろうか。

「赤毛の王子殿下は鏡にうつるのに、黒髪の姫君は鏡にうつらない!」
「ああ、なんて恐ろしい! それでは、魔妖の類ではないか!」

 わたしの姿は、城の鏡にうつらなかった。
 のちに魔の一族の城で鏡を見るまで、わたしは自分の顔を見たことがなかった。


+++

 人間の王がママを幽閉していた塔は元々、高貴な身分の者のための牢獄として作られたもので、城の人間たちが『牢獄塔』と呼んでいた場所だった。
 城の棟とは別に建てられたその塔へ入るのを許されるのは、身の回りの世話をするためのごくわずかな人間の女と、そして王だけ。間違って塔の中のママを見てしまった人間の男は即座に、王に殺されてしまったそうだ。

 人間の王はママに、魔の力を抑える拘束具を付けていた。一族の戦士でもあったママが自力で脱出出来なかったのは、そのせいだ。
 わたしと弟は、拘束具を付けられることはなかった。まだ子どもだから、と侮られたのもある。しかし人間たちは、魔の一族のことを、あまりにも知らなさすぎた。魔を忌避するあまりそれを、ちゃんと見ようとしなかったのだ。

 わたしの中の魔の一族の血は、しっかりと、わたしに力を与えていた。
 わたしは自身の力に気付くと、人間たちに、そして弟にもばれないよう、注意を払った。世話に訪れるメイドたちは気まぐれで、どうやら訪問回数を意図的に減らしているようであったから、わたしの秘密が露見することはなかった。知られたら確実に、ママと同じ拘束具を付けられていたことだろう。

 わたしが得た力、それは。
 その歳の人間よりもはるかに強い膂力りょりょく
 背に生えた一対の黒い翼で、空を飛ぶ力。
 そして、体を人型から『四枚羽の鳥』に変化へんげさせる能力、だった。


 城の庭園で樹々に囲まれた、誰の目にも入らない草むらを見つけ、ドレスを脱ぎ。わたしは何度か、背から翼を出して確かめ、またあるときは、四枚羽の鳥の姿になって、城のあちこちを見て回るようになった。人間たちから弟を守るために情報が必要だったわたしは、鳥の姿で人間たちの話を盗み聞いた。羽を調節して、普通の二枚羽の鳥に見えるよう振る舞いながら。

 人間たちの話を、拾い続けるうちに。
 わたしは、わたしと弟にもママがいることを知った。

 弟とわたしは、常に危険に晒されていた。人間たちのつまらない、感情的なことばのつぶてではなく、大っぴらに実行には移せない暗殺の対象として、よく食事に毒を盛られた。もちろんそれは、わたしが事前に察知し、すべて退けていたのだが。
 もしも、ママとかいうものの力が得られるのであれば、この状況を改善出来るのではないか、と。当時の浅はかなわたしは、考えたのだ。

 石造りの牢獄塔には、二か所に窓があった。一か所は塔の最上階。鉄格子がはめられた最上階の窓に降り立つと、板戸は開いていて、人の気配はない。鉄格子をくぐって中を見ると、塔の壁伝いに螺旋状に下る階段があった。この場所は、有事の際にしか見張り塔の役割を果たさないのだろう。
 外に出て降下し、塔をぐるりと旋回しながら、もう一か所の窓の様子をうかがう。そしてその、塔の中程にある窓に足をかけて翼をたたみ、塔の壁の厚みを鳥の足で歩きながら鉄格子をくぐり、開いていた板戸の向こうに身を乗り出した。

 窓からすぐのところに天井があった。
 見下ろすと、女が一人、その部屋のソファにいた。

 天井の高い、想像よりも広い部屋だった。ソファだけでなく、ダイニングテーブル、書棚、暖炉、ベッドがあった。わたしと弟にあてがわれている部屋と、そう変わりはない。大きな違いは、窓の有無くらいなものだ。
 真昼なのに薄暗い部屋には、ランプが灯されていた。ソファにいたその女は、本に目を落としていた。身を包むドレスからすらりと伸びる腕、手首には、あとで拘束具と知る無骨ななにかがはめられ、ドレスの裾の中から繋がっているらしい鎖が、床に転がっている。
 女が急にパタリ、と本を閉じて脇に置き、立ち上がった。

 その女――ママが顔を上げ、わたしを見た。

 手入れをされ結い上げられた金の髪。整った顔にある青の瞳がわたしの姿を捉えていて、その目が心の底から恐ろしくて、美しい。
 その表情に、感情は一切なかった。
 なのにわたしは、一瞬でそれを悟った。

 ママは。
 わたしを娘であると認識し、その上で、わたしに殺意を向けている。

 生まれて初めての恐怖にわたしは、窓の上をママの姿が見えなくなるまで後ずさりし、羽が鉄格子に触れたところで向き直って鉄格子をくぐり、外へ飛び立った。夢中で飛んで、服を隠した草むらで元の姿に戻ったわたしは、どうにかドレスを着たものの、震えが止まらずに膝を抱えた。

 わたしが人間たちの話から、ママの置かれた境遇を知ったのは、その後のことだった。


+++

 襲撃され、あちこちで火の手が上がる城の中で。
 わたしは弟を連れて、逃げ切ることが出来なかった。

「ママ、どうする? こいつらも殺す?」
「その二人は、わたしが産んだ」

 ママの冷たい目が、わたしと弟を見下ろした。
 表情にも、そのことばにも、なんの感情も含まれていない。

「『偉大なる始祖の誓いに従い、我が一族の同胞を殺してはならない』。掟だから、しかたないか」

 白い翼を広げた一族の、あとでわたしたちの三番目の兄さまと知る男が、わたしと弟の顔に向けていた剣を下げた。

「おまえら、翼は生えてるのか?」

 ママに似た、冷たい目の男が言った。わたしは男に視線を定めたまま、弟からそっと手を放す。そしてドレスの袖から腕を抜いて上半身を出し、わたしの黒い翼を広げた。
 男は「へえ」と短く言い、「弟は、まだ生えていない」と、わたしは咄嗟に答える。わたしのここでの判断はとりあえず、間違ってはいなかった。
 弟は大きな籠に入れられて男の配下の者二人によって運ばれ、わたしはそのすぐそばを飛び、剣を手にした三番目の兄さまが、わたしたちを見下ろすように飛んだ。

 こうしてわたしと弟は、人間の王の城を後にした。
 城にいた、弟とわたしにつぶてを投げていた人間たち、そして投げなかった人間たちも一人残らず、魔の一族の軍に殺され、死んだ。




つづく

次話→
<6>月のない夜の姫君(2)


キツネノテブクロの咲く頃に
<5>月のない夜の姫君(1)

【2024.06.06.】up.


【キツネノテブクロの咲く頃に・目次とリンク】

※カッコ内の4ケタは、おおよその文字数です。
<1>ボクは鏡にうつらない(1)(5300)
<2>ボクは鏡にうつらない(2)(6200)
<3>ボクは鏡にうつらない(3)(7400)
<4>夜に溶けて飛ぶ鳥(6200)
<幕間1>王国の滅亡と魔の一族の伝説(1600)
<5>月のない夜の姫君(1)(6000)
<6>月のない夜の姫君(2)(4800)
<7>月のない夜の姫君(3)(4100)
<幕間2>創世記・祝福の翼(1500)
<幕間3>夜色の翼は高くに(1800)
<8>そして、キツネノテブクロの咲く頃に(1)(7700)
<9>そして、キツネノテブクロの咲く頃に(2)(6500)


#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門 #駒井かや

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