事実≠真実
皆さんは思い込みが激しかったりしますか。
わたしは超絶激しい人でした。
被害妄想が激しいと言い換えてもいいかもしれません。
“粗末に扱われた” とか、“嫌われた”など
すぐに早とちりしてしまうんです。
友達や恋人からのLINEの返事がそっけないと
すぐに心は嵐になりました。
(正確には、そっけないと思い込んでしまっていた。)
そういう風に勘違いして対人関係が億劫になる人
けっこういると思うんです。
それはもう思考癖みたいなもので、
癖というのはそう簡単にはなおせるものではないですよね。
貧乏ゆすりや足を組むことみたいに、癖って無意識でやってしまっているから
癖がでていることに気付きにくいですし。
けれど今どういう思考でこう考えてしまっているのか
と、自分を俯瞰することが出来れば、少しはその癖を抑えられる…
そう願ってお話します。
被害妄想が激しいと、日常の何気ないシーンでも
えらく感情が揺さぶられてしまいます。
店員さんの対応ひとつ、
すれ違う人の対応ひとつがいちいち引っかかってしまいます。
もちろん家族にたいしてもそうです。
そうなると、四六時中心がザワザワして
剥き出しになって荒野の風を受けているようなもので…
疲れてしまいます。
けれど本当は、
誰もあなたを粗末に扱ってなどいないし
嫌ってもいません。
起きたこと=事実ですよね。
それをどう受け止めるかで、真実は幾通りにもなりますよね。
例えば、お店に入って、いらっしゃいませを言われなかったとしましょう。
店員さんはレジで何か作業をしている様子で、
あなたは入って来た自分に気が付かなかったのかな?と思いました。
けれど、あなたのすぐ後に別のお客さんが入店すると
店員さんはいらっしゃいませと言いました。
あなたはすぐさま、“わたしだけ無視された”と思ってしまいました。
気分が悪くなったあなたはすぐさま早足でそのお店を出ました。
けれど本当はあなたに気が付いていなかっただけだとしたら?
気が付いたのが少し後のタイミングで、次のお客さんが入って来たときだったとしたら?
(ここで店員なら、最初に来店した時点で気付くべきだ。仕事なんだから。
と思ってしまうと、あなたの心は傷つく一途を辿ります。
このお話は今度お話しますね。)
事実と真実は、必ずしもイコールであるとは限りません。
真実は、人の数だけ存在します。
だけど思い込みが激しいと、自分を傷つける真実しか生み出せません。
これもあなたの自己肯定感の低さを表しています。
心が現実を作るので、自分を低くみているとそれを証明する出来事が起こります。
そしてあなたは思うのです。ほらね、と。
わたしはそういう風に扱われる人間なんだと。
あなたがあなたを低く扱わなければ、同じような場面にであっても
受け流すことができます。
気にも止めないでしょう。
仮にほんとうに店員さんはわざとあなたを無視したんだとしても
どうでもいいことなのです。
だってそんなこと、とるにたらない出来事なのですから。
そんなことで、あなたの価値は1ミリも揺らぐことはありませんから。
自分を傷つけるだけの真実はもう生み出さないようにしましょう。
そもそもそんな事実は最初からないのですから。
あなたの抱える真実は事実ですか?
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