「海がきこえる」における音楽の使い方を考える
※この記事には多くのネタバレが含まれますので、本編未視聴の方はご注意ください。
海がきこえる(1993)
原作 氷室冴子
企画 鈴木敏夫・奥田誠治
制作プロデューサー 高橋望
脚本 中村香
監督 望月智充
キャラクターデザイン/作画監督 近藤勝也
美術監督 田中直哉
音楽 永田茂
制作 スタジオジブリ若手制作集団
本編 約72分
使用した映像
海がきこえる [Blu-ray] 2015年発売
使用した画像
公式サイトの作品静止画を使用
記述のルール
・音楽が登場した順に番号を振る。(M01,M02,BGM01,M03…のように)
・仮のタイトルを添える。(正式な楽曲タイトルではない)
・音楽がどこから始まってどこで終わるのか、時間を記述する。(秒単位まで)
・音楽がどのような意図で使われているのか、考察する。
※本記事での解釈は、あくまでも執筆者の個人的なものです。
導入部:大学生の杜崎
M01 ファーストインプレッション
00:00:25 ~ 00:01:12
映画冒頭の駅でのシーン、本作のヒロインである武藤里伽子が画面上に初登場したときに流れる。(この段階では視聴者には誰だかわからないし、杜崎も里伽子だと確信は持っていないが)
曲から受ける印象は、軽さ・かわいらしさ・おどけた感じなどで、この場面ではユーモラスな印象がやや過剰にも思える。
M01では弦楽器のピチカートのような音色が特徴のシンセサイザーが用いられているが、サントラにはピアノを主体としたバージョンが収録されている。(ピアノもおそらくシンセサイザーだが、便宜上ピアノ版・シンセ版と分けて表記する)サントラピアノ版の楽曲名は「ファーストインプレッション」で、確認できる限りM01とはフレーズなどに違いが無いから、単純に楽器だけが違う別バージョンだと思われる。
本編で繰り返し流れるこの曲は、基本的にはヒロイン里伽子が登場する際と、里伽子の新たな一面を発見したという状況でも流れるのではないかと思う。後述するM21では里伽子は話題の中にしか出てこないが、里伽子に関する新たな情報が明らかになったのでこの曲が使われている。
M02 同窓会に出席するため高知に向かう杜崎
00:01:13 ~ 00:02:30
M01の終了とほぼ同時、東京の自宅アパートで出発準備をする杜崎の姿とともに音楽IN。飛行機が離陸して杜崎のモノローグが始まると同時に終わる。
サントラ02.「海がきこえる」で使われているテーマのアレンジ。このテーマはノスタルジーを感じさせる効果があり、回想によく伴って使われている。大学生編は一応現在に近い時間軸だが、里伽子の水着の写真、同窓会の案内など、杜崎の過去にまつわる要素はちりばめられている。
M02では牧歌的な笛の音色のシンセサイザーが使われていて、ほのぼのとした日常感と、懐かしさも感じられる。同曲の他のアレンジに比べるとフラット・ノーマルな印象。編集が行われた様子はない。
回想開始:高校二年生の杜崎
M03 高知、学校、松野
00:03:34 ~ 00:04:33
親友・松野から電話で呼び出しを受けて、バイト先から自転車に乗って学校に向かう杜崎のカットからIN。サントラ04.「少女の想い」
音楽の終わるタイミングを調整するため、終盤(00:04:26)で編集されている。
サントラでは「少女の想い」というタイトルになっているが、この場面での使われ方には少女(里伽子)はほぼ関係していない。むしろ里伽子の後ろ姿が遠目に見えた後にすぐ音楽は終わってしまう。
ここはタイトルには引っ張られずに、杜崎と松野の純朴な関係・杜崎から松野への好意的な感情に付いていると捉えたい。里伽子がこれから出てくる示唆という可能性もあるが、それを初見のときに感じることは不可能だ。
M04 杜崎と松野
00:05:31 ~ 00:06:20
杜崎の中学時代に、修学旅行に関連して何かがあったことを示唆してからIN。
サントラ02.「海がきこえる」のアレンジ。調はサントラ版のD-majからC-majへと低く移調されている。他の場面では「ほろ苦い思い出」の時に流れているバージョン。
中学の時の修学旅行中止にまつわる思い出は、杜崎と松野にとって最終的には良い思い出になっているのだが、回想の出だしは修学旅行中止を決めた学校への不満というネガティブな話題から始まる。このネガティブ要素にスムーズに繋げるためには、「ほろ苦い回想」のテーマを使った方がよいのだろう。加えて、次曲のM05でも「海がきこえる」のテーマが使われるので、ノスタルジー要素という同じ役割であっても連続して同じバージョンを使うと不自然である、という配慮もあるかもしれない。
モノローグが復活してしばらくしてから音楽終了。
さらに回想:中学三年生の杜崎と松野
M05 美術室 杜崎と松野の出会い
00:09:56 ~ 00:11:32
松野が美術室に入ってきてから音楽IN、里伽子登場まで。
サントラ02.「海がきこえる」と同一のバージョン。先程のM04よりもポジティブな印象が増している。
さっき手を挙げていた松野がやはり来たという小さな感動・嬉しさと、のちに親友となる松野との大事な思い出だ、という印象が曲によって強まる。この後の使われ方によってわかることだが、サントラバージョンは「良い思い出」の時に流れる法則があるようだ。
編集は二箇所入っていて、尺の調整のために行われている。
00:10:40 編集 音楽の盛り上がりをいいところに合わせたい意図
00:11:21 編集 里伽子が出てくるところで終わらせたい意図
再び高校二年生の杜崎
里伽子の初顔見せの場面では、音楽は流れない。主人公とヒロインが初めて顔を合わせた、重要に思える場面だが、この時点では杜崎の心はあまり動いていないので、わざわざ音楽は流れないのだろう。絵に(里伽子の顔・姿に)注目してほしい、という意図もあるかもしれない。
M06 松野の恋
00:12:48 ~ 00:13:26
松野がなぜ自分を呼び出したのか気づいた杜崎からIN。サントラ04.「少女の想い」のDb-maj版。サントラ版よりも半音高い。途中で入るチャララン♪とした合いの手がベル系の音で、サントラ版のピアノ系とは異なる。
杜崎から松野への心情に付いている。これ以降、この曲が松野に関係する場面で流れることはなく、残りの二回(M08、M13)は里伽子が関係する場面で流れる。
これは、杜崎の注意や興味の対象に、松野だけでなく里伽子も含まれるようになることとリンクしている。なお、ここでは里伽子は登場しないが、「里伽子に心奪われている松野」に対する杜崎の心情が扱われている場面なので、間接的にだが里伽子も興味の対象となっていると言えなくもない。しかしセリフで「女なんぞにお前のよさは解りゃせんと。」と杜崎が言っているように、まだ里伽子個人に対して特別な感情が抱かれているわけではない。特定の誰か(里伽子)ではなく、女子には松野の良さはわからない、と杜崎は言っている。
サントラ版とは異なるので検証できないが、ラストで編集が行われているかもしれない。
M07 スポーツ少女
00:13:59 ~ 00:14:46
テニスの試合をする里伽子のカットからIN。サントラ01.「ファーストインプレッション」(サントラと同じピアノバージョン)
里伽子のへそが見えるタイミングで、ピアノの高音がさりげなく入る。偶然かもしれないが、良いアクセントになっている。
前述したように、この曲は里伽子を、そして里伽子の新たな一面を発見したときに流れる。この場面では、テニスが上手いという新事実が明らかになり、杜崎は素直に里伽子をかっこいいと思う、というような、「発見」とそれによる「抱く印象の変化」が起きている。
曲が唐突な終わり方をすることによって、松野が周囲の反応・杜崎のテンションと違って、不機嫌であることを強調している。「目立ち過ぎっちゅうことはないろ」
M08 幸せそうやない武藤
00:15:44 ~ 00:16:41
階段を降りてきた里伽子の顔が見えてからIN。サントラ04.「少女の想い」の移調版(Db-maj)。
M03とM06では、杜崎から松野への心情に付いている、と書いたが、ここで杜崎から里伽子への心情へ付くことになる。
この場面で、杜崎は里伽子が「幸せそうやない」ことに気づく。テニスが上手いということは外面的な気づきだったが、ここで内面のことが気になり出している。
曲の後半に入ると、カメラは杜崎の視点とは異なる場所に移動し、里伽子の表情を捉える。それと同時に00:16:30で編集が行われて、サントラ版にはない転調したフレーズが出てきて、ミステリアスな印象が増している。ここからは杜崎の心情ではなく、謎めいた里伽子の印象に付いているように思える。里伽子は一体何を考えているのか…?
自宅の杜崎
BGM01 ○○院のCM音楽
00:17:59 ~ 00:18:08
BGM02 ジブリスーパーⅫのCM音楽
00:18:09 ~ 00:18:17
BGM03 ゴーカイダーOP
00:18:18 ~ 00:18:27
音量が大きいので、次の杜崎の自室のシーンの静かさ(BGMは流れているが)とのギャップの強調になる。杜崎にとって興味のない子供向けのアニメ番組が始まったから自室に移動したという表現、とも考えられる。
BGM04 ラジカセから流れるインスト曲
00:18:30 ~ 00:19:47
杜崎が部屋で寝ている時点でもう流れていて、松野との電話中もずっと流れている。サントラ09.「心が旅立つとき」と同じ曲。
BGM05 ラジカセ 歌 ラジオの大阪(?)…←「ラジオの王様」でした
00:19:48 ~ 00:19:52
音楽が流れ始めた途端にすぐ切ることで、杜崎の苛立ちを表現している。
追記
BGM05について、望月監督ご本人からX(Twitter)にて情報をいただくことができました。
高知が舞台なのに「ラジオの大阪」は変だな…と思っていたのですが、謎が解けました。
あと、これは記事では書きませんでしたが、もしかするとこのBGMは新録で、歌は里伽子役の声優を務めた坂本洋子さんなのでは…?という予想もしていました。しかし既成のジングルだったということで、不用意に書かなくてよかった、とホッとしています。
なんとジングルのフルバージョンがYouTubeにありました。(30秒あたりから)
高知放送のWikipediaにも記述を発見。
修学旅行:ハワイ
BGM06 ハワイアン1
00:20:30 ~ 22:22
館内で流れているほんわかとしたハワイアンなBGM。借金話とのギャップにおかしさがある。嘘の設定を練っていなかったとぼけた里伽子とややリンクする。
BGM07 ハワイアン2
00:22:30 ~ 00:23:44
「杜崎くんって結構意地が悪いわね」からIN。さっきの曲よりもややアップテンポになっている。話題の変化に応じて曲が変わっている。
ここでは借金の話は一度脇に置かれて、方言にまつわる会話がなされる。里伽子の本音も語られ、会話も弾み、とても良い雰囲気だ。曲もそれに合わせてにぎやかになった。
「松野はええやつじゃ」で次の曲へ。
BGM08 ハワイアン3
00:23:45 ~ 00:24:49
二曲目のハワイアンBGMと似ているようだが、さらに音数が増えた印象。
里伽子が松野と会ったときの話になり、なぜ里伽子が杜崎にお金を借りようとしたのか理由が語られる。
お金を貸すことを了承した杜崎がエレベーターに乗り込み、エレベーター内のカットに切り替わると音楽終了。扉が閉じているので物理的にBGMは聞こえない、というリアルさの表現であるとともに、杜崎の反応を際立たせている。
杜崎がお金を準備してエレベーターから降りてくるとBGMは流れておらず、相対的に海の音が目立つ。現実的に考えると館内のBGMが途切れるのは不自然なので、意図的な無音である。お金を渡すときの警戒感、松野を見たときのまずい!という感じを強調する。
この辺りで、大体本編の三分の一くらい。
BGM09 ハワイの夜
00:27:01 ~ 00:27:51
会場で流れているBGM?
里伽子のツンツンした態度に対してお気楽な音楽で、ギャップが感じられる。
高校三年生〜ひどい東京旅行
M09 里伽子に騙されていた杜崎
00:30:10 ~ 00:31:40
「あの金か!」の後に音楽IN、空港で里伽子が登場して杜崎と同じフレームに入って「何よ!」と言うまで。サントラ08.「風の並木道」と同じ曲。
騙されていた杜崎の怒りに付いている。曲だけ聴くと寂しさや悲しさも感じるが、そういった印象を強調したい意図はないように思う。信用していたのに裏切られた、という悲しみも無いとは言えないが、どうだろうか?哀愁のような印象が、この場面・状況にしては少し強すぎる気もする。
M10 東京へ
00:33:22 ~ 00:35:02
杜崎の表情からIN。飛行機のカットよりも先行してINすることで、シーンの切り替わりをなだらかにする。(飛行機のエンジン音は音楽よりもさらに先行して流れている)それまでの険悪な雰囲気から、一気に開放的な雰囲気になる。しかし機内の里伽子のファーストカットは無表情で、すぐ上機嫌というわけにはいかない。
ハモンドオルガンのような伴奏に支えられ、ピアノが軽快なフレーズを奏でる。東京への期待、不安からの解放、楽しさの最高潮。行き先の成城学園までの経路が駅構内の描写で紹介され、楽曲の都会感・おしゃれ感が生きてくる。
このあたりがちょうど本編の半分くらい。
00:36:09 ~
杜崎がマンションの一階で待っている間は、音楽が流れない。時間が長く感じられる。
M11 里伽子をかわいそうだと思う杜崎
00:36:57 ~ 00:37:48
「あいつ可哀想だな、と 僕は心から思った」と同時にIN
サントラ02.「海がきこえる」のアレンジで、比較的フラットな印象だと先述したM02(Bb-maj 笛メロ)と同じ。
可哀想なのは里伽子であって、杜崎自身が傷ついたり悲しんだわけではないから、控えめなフラットバージョンを選んだのだろう。
母との電話〜里伽子のノック〜電話切る、で音楽終了。
M12 ドラマよりまだひどい
00:38:16 ~ 00:38:35
サントラ01.「ファーストインプレッション」のピアノ版。この曲のユーモラスな印象は、このシーンと一番相性が良いと感じる。
里伽子の意外な弱さの「発見」があるからこそ、この曲が流れている。加えて、はねる音は杜崎の驚きによく合っている。
これは音楽というより効果音の話になるが、里伽子がコークハイを飲むと同時に緊急車両のサイレンが聞こえてくる。危険を知らせるサインだ。(00:38:59~)
BGM12 テレビニュース番組?のオープニングテーマ
00:40:36 ~ 00:40:40
派手に音楽が鳴ることで、視聴者の意識が里伽子からテレビへと誘導される。そうすることで、そのあと寝ている里伽子を見た時の「あっ、寝ちゃってる!」という杜崎の感覚を視聴者は共有できる。
M13 お風呂で寝る杜崎
00:40:45 ~ 00:41:30
酔って寝てしまった里伽子からIN。サントラ04.「少女の想い」の移調版(Db-maj)
里伽子は寝てしまっているので、里伽子の心情に付いているのではない。杜崎の里伽子に対する純朴な感情、純朴な関係性を表しているのだろう。
里伽子のノックで音楽終了。
M14 東京観光
00:41:58 ~ 00:43:10
東京の友達と会う支度のため、部屋から杜崎を追い出す里伽子のセリフと被るようにIN。サントラ02.「海がきこえる」
「良い思い出」の曲。里伽子が気を持ち直そうとしていることへの安堵、東京の大学に行くことを決める杜崎、ベッドでゆったりと横になる杜崎。この後、岡田の登場で不愉快になるので、今は杜崎にとって束の間の休息とも言える時間だ。
すぐ来て、という切羽詰まったトーンの里伽子との電話中に音楽はフェードアウトする。休息の時間は破られてしまうが、「さぁて、今度はなんやろ」と独りごちる杜崎はなんだか楽しそうだ。
BGM12 カフェ
00:43:20 ~ 00:45:26
カフェの店内で流れているピアノBGM。
大人ぶるニュアンス。見栄を張る里伽子と岡田との空虚な会話とマッチ。
杜崎は「まったくくだらん」と怒り、部屋に戻ってしまう。怒りとBGMの雰囲気とのミスマッチさ。
M15 30分で一気に大人になった里伽子
00:46:16 ~ 00:47:00
「本当にくだらないわよ、彼も私も」でIN。サントラ01.「ファーストインプレッション」のシンセ版
「30分で一気に大人になったみたい」な、成長した里伽子を「発見」する。
部屋から出る際、里伽子が「ひどい東京旅行になっちゃったわね」と言うが、この曲の効果もあって後味は悪くない印象になっている。
高校三年生:亀裂
M16 松野の告白
00:49:13 ~ 00:50:02
松野の回想に入ると同時にIN。サントラ02.「海がきこえる」のスローバージョン。C-maj
「ほろ苦い思い出」のときに流れる曲で、良くない結末になることを最初から示唆している。
「ゾッとするわ」のあと音楽終了。トラックの走行音で終わりぎわはかき消される。
M17 平手打ちの応酬
00:51:27 ~ 00:52:46
里伽子「もういいでしょ!」でIN。サントラ08.「風の並木道」
二回目の「怒り」のテーマ。杜崎のモノローグにも怒気が含まれている。秋らしさ、孤立を深める里伽子の悲しみにも付いている。
売店で女子が里伽子を呼び出す相談をしている最中もこの曲が流れているが、「おうどん どうですー」の手前で切るということもありえる。
その場合、ラストの「いらっしゃいませー」の合唱のちょっとした面白さは減じてしまうかもしれない。
INの場所についても検討すると、屋上にいる杜崎が「ゾッとするいうはあんまりぞ!」と言って走り出した後にも何か音楽がINできるタイミングはありそうだ。しかし、その後にもっと感情が動くシーン(平手打ち)があるし、そのシーンの邪魔にもなるので入らないのだろう。加えて、M16の終わりと間隔が短い、ということもあるだろう。
BGM13 ファイト
00:53:21 ~ 00:54:50
サウンド感からして、プロレスの曲だろうか?校門横の看板に「プロレス」とは書いてあったが…
バトルの暗示をしていると思われるが、セリフと被っていてやや聴こえにくい。(執筆者は劇場で観たときも自宅のテレビで観たときも気がつかず、イヤホンで聴いて初めて気づいた)
ただ、かといって音量が大きすぎると本当にバトルシーンの劇伴のようになってしまうし、そうするとバラエティ番組のようになってしまう。あくまで校内の音が漏れ聞こえている、というレベルにしないといけない。
里伽子が杜崎に平手打ちをする直前で止まる。SEを目立たせる意図があるだろう。
里伽子の平手打ちの後はBGMが消えて、風の音と鳥のさえずりしか聞こえない。ここでBGMが流れ続けているとセリフがないので曲が目立つし、二人の表情も生きてこないので切ったのだろう。
続く松野の鉄拳で風の音も鳥のさえずりも止まる。一人残された杜崎の孤独感が強調されている。
M18 それぞれが別の道へ
00:56:11 ~ 00:57:01
サントラ02.「海がきこえる」スローバージョン(C-maj) 「ほろ苦い思い出」のときに流れる曲。
三人がそれぞれ別の進路に進んだことが語られる。
シーンを跨いで大学生の時間軸でも流れている。一連のほろ苦い思い出が今も心に残っている、という示唆。
空港から杜崎が出るところで音楽終了。
大学生:高知の同窓会へ
M19 松野との再会
00:57:18 ~ 00:58:47
街中を走る松野の車のカットからIN。予告編Bパターンで使われている曲。本編ではここでしか使われていない。D-maj
なぜ他の曲ではダメだったのか、考えてみたいと思う。
サントラ02.「海がきこえる」との相性は悪くなさそうだが、さっき使ったばかり(M18)だし、この後も使う(M20)のでここでは使うのを避けたのかもしれない。
サントラ04.「少女の想い」は日常感が強すぎて、松野に殴られたことが無かったことのような印象がしてしまう。雰囲気が序盤に巻き戻ってしまった感じで、どこか子どもっぽい感じもする。「少女の想い」は大学生編では一度も流れていないし、回想の中学〜高校までの純朴さとの相性が良いのだろう。この後のセリフを借りれば、「少女の想い」は「世界が狭かった」頃にしか流れない音楽なのだ。
それに、本記事での解釈では「少女の想い」は杜崎が誰かを想うときに流れる曲だから、せっかくその想いの向かう先が松野から里伽子へ動いたことが音楽の使い方によって示唆されているのに、また松野とのシーンで「少女の想い」が流れてしまうと矛盾してしまうだろう。
となると、M19はこれらの曲にはない印象、大人っぽさ・時間が進んだことを表している音楽だと考えられる。
このシーンは、映画序盤の、松野の呼び出しで杜崎が自転車に乗って学校に向かう、というシーンと対をなしているように思う。移動手段は自転車から車になり、行動範囲は広くなった。
「殴って悪かったな」の後で音楽終了。
M20 松野と海を見る
00:58:58 ~ 01:00:19
カモメがひと鳴きしてからIN。シンセトランペットがメロを担当するバージョンのサントラ02.「海がきこえる」(Bb-maj)
トランペットに限らず、他の楽器もシンセ主体になっており、サントラ版とは全くの別バージョンである。M22には生トランペットのサントラ版が使われているが、なぜここではシンセトランペット版なのだろうか?
まず考えられるのは、また同じ曲が流れたと思われてしまうことを避けたい、そしてラストに生トランペットを取っておきたい、という意図があるだろう。しかし、それならばトランペットは完全にM22だけにして、ここではシンセですらトランペットは使わない、ということもできたのではないか?
それをしなかったのは、やはりここで流れるべきは02.「海がきこえる」で、しかもその終盤(トランペットメロ)でなければいけない、という意図があったからだろう。しかしM22でも使いたい、ならば松野の方はシンセ版に置き換えよう…という経緯ではないだろうか。
しかしそうだとすると気になるのは、このシンセ版にも音源に大きな編集(01:00:02)がなされていることだ。「この場面はシンセ版にしよう!」と決めてからM20を制作したのなら、尺をもっと合わせたアレンジにできそうだ。(カットされている部分は聴くことができないので推測になるが、サントラ版の後半とほぼ同じ構成に思える)
仮説としては、
①シンセ版にすると決めた時点では、シーンの長さは全く決まっていなかった
②元からシンセ版も作ってあった
などが思いつくが…真相は不明だ。
「海がきこえる」でトランペットが流れるのはこのM20とM22の二回しかなく、そのどちらもがストーリーの山場ともいえる場面だ。
このM20では松野との、M22では里伽子との間のわだかまりが(杜崎の中で)氷解する。トランペットはその祝福、というような意味合いがあるのかもしれない。
M21 東京の大学を受けていた里伽子
01:03:32 ~ 01:05:06
「(里伽子が)内緒で東京の大学も受けていた」という事実が判明してからIN。居酒屋シーン終わりまで。周りのガヤの音が消えて、清水のセリフもちゃんと聞き取れる。サントラ01.「ファーストインプレッション」(ピアノ版)
清水の話を聞くことで、その場にはいない里伽子の新たな一面を発見する。(里伽子が東京の大学に通っていた、という新事実)
「世界が狭かった」という重要な清水のセリフもあるシーンだが、音楽は軽く、湿っぽくなりすぎていない。もう過ぎたこととして捉えている。酔った山尾が小浜に近づこうとして倒れるシーンとの相性もいい。
もしここでサントラ02.「海にがきこえる」が流れていたら、感傷的になって、テンションがかなり落ち着き、山尾のシーンにはうまく合わなかっただろう。
M22 お風呂で寝る人に会いたい
01:05:47 ~ 01:07:41
「お風呂で寝る人やと」でIN。サントラ02.「海がきこえる」
「良い思い出」パターンの音楽に、良い内容ばかりとはいえない、しかし思い出深く印象的な里伽子のセリフがオーバーラップする。
生トランペットの部分はこの曲でしか使われていない。大事なので一回だけ使いたいということだろう。
01:07:00で編集 トランペットメロIN
01:07:25で編集
01:07:33で編集
曲の終わりは、次のシーン(東京に戻った後)にややこぼされている。実際には時間経過があるが、前のシーンでの杜崎の気持ちが続いていることが表現されているし、視聴者も地続きの気分で鑑賞できる。
大学生:東京での再会
M23 再会
01:08:41 ~ 01:09:27
カメラがぐるりと回って里伽子を捉えてからIN。サントラ01.「ファーストインプレッション」のシンセ版。
ついに里伽子を「発見」。映画冒頭と場所も音楽も同じだが、今度は会えたという対比がなされている。音楽も揃えることでよりその差異が強調される。
エンディング 海になれたら
01:09:28 ~ 01:12:07
サントラ10.「海になれたら」歌は里伽子を演じた坂本洋子。サントラ版とは違い、間奏なしの短縮版。
歌詞には、劇中では描かれていない里伽子の心情が書かれている。
01:12:00で編集 Good byeの二単語の間に編集点
サウンドトラックについて
作・編曲 永田茂
主題歌 坂本洋子
コーラス 舩木真弓
プロデューサー 及川善博
レコーディングエンジニア 二宮圭太郎 原一翔
アシスタントエンジニア 花桐晃(ミュージックイン)
マスタリングエンジニア 橋下陽英(東京CDセンター)
ポートレート撮影 湯浅四郎
デザイン 真野薫(テン・グラフィス)
ディレクター 岡田知子
01.ファーストインプレッション 1:37
劇中での使われ方を振り返ると、里伽子を発見したときに流れる曲である、と言える。発見とは視覚的なことでもあるし、新たな一面を、ということでもある。
本編では、ピアノの音色のサントラ版・弦楽器のピチカートのような音のシンセ版の二種類が使われている。
シンセ版 M01、M15、M23
サントラ版 M07、M12、M21
02.海がきこえる 6:02
ピアノから入り、ギター、ストリングス、トランペットがメロディを交代して受け持つ。かなり長く、展開も多いので、特定の場面に合わせて作曲されたというよりは、後から編集して色々な場面に合わせられるように作られた曲だろう。ギターメロの部分は本編では使われていない。
作品名と同じタイトルであり、作品を象徴するような曲。ピアノ部分で「良い思い出」を担当し、トランペットで何かしらのカタルシスを表現する。
アレンジによって、「良い思い出」(サントラ版)・「ほろ苦い思い出」(C-majスローバージョン)・「比較的フラットな思い出」(Bb-maj笛メロ)に分類できる。トランペットが登場するときは、あるストーリーラインがカタルシスを迎えたときである。(杜崎と松野、杜崎と里伽子の2つのラインの頂点)
良い思い出(サントラ版)
・M05、M14、M22(後半の生トランペット使用)
ほろ苦い思い出
・M04、M16、M18
笛
・M02、M11
シンセトランペット
・M20
03.シーサイドストリート 3:28
本編未使用。タイトルから察するに、修学旅行のハワイで使う想定だったか。
基本はサンバ系のリズム。キーボード、エレキギター、ドラム、ベースのバンドサウンド。トランペットはかなりのハイトーンを披露しているが、02.「海がきこえる」と同じ奏者だろうか。
04.少女の想い 3:13
サントラではC-majから始まる。劇中ではM03以外はすべてDb-maj版が流れている。
曲タイトルからすると里伽子を象徴するような曲に思えるし、実際M08とM13は里伽子が登場しているときに流れている。しかしM03・M06では杜崎が松野に会ったり、松野について考えているときに流れている。
これらのことをまとめると、「少女の想い」というタイトルとは裏腹に、「杜崎の想い」と考えたほうが、使われ方に合致しているように思う。
曲の使い方から、杜崎の内面では里伽子へ想いが向くことが増えていることが見えてくる。しかし表面上、学生時代の杜崎の行動は、最後まで松野との友情を優先したものだった。行動の裏にある、水面下での杜崎の感情の動きを追ううえで、重要な曲だと言える。
M03、M06、M08、M13
05.夜更けにひとり 4:21
本編未使用。ピアノバラード。A-min
実家の自分の部屋にいる杜崎に使う予定だったか、もしくは里伽子が夜にひとりでいるシーンがある予定だったのか。
06.ある晴れた日 3:38
F-maj
東京旅行の前半で流れている曲。
M10
07.陽気なよっぱらい 3:39
本編未使用。かなりコミカルな印象。ブラスセクション登場、弦はソロでフィドルっぽく。
もし本編で使うとしたら、同窓会で山尾が小浜の名を連呼しながら倒れてしまうところから、商店街のアーケードシーンいっぱいまでか。
本編では「ファーストインプレッション」が清水のセリフ中から流れているし、曲の温度感や雰囲気がまるで違うので、相性の問題で使うタイミングが無かったのだろう。
08.風の並木道 3:48
本編では杜崎の怒りのテーマとして二回使われている。わかりやすくネガティブ感情を表現する曲は本作では珍しい。
果たして怒りに付くという想定が最初からあったのかどうか?曲だけ聴くと「秋の木枯らし」のような印象で、怒りというより寂しさや物悲しさの要素が強いように思える。
本編では登場しない中間部の展開は、より悲しみが深くなる印象で、楽器の音色もあってやや恐ろしさも感じる。
M09、M17
09.心が旅立つとき 4:06
杜崎の部屋のラジカセから流れていた曲。
爽やかな雰囲気で、場合によっては物語の終わりにも合いそうだ。
BGM05
10.海になれたら 4:42
作詞 望月智充
作曲 永田茂
歌 坂本洋子
D-maj
02.「海がきこえる」のテーマが使われている。「海がきこえる」のメロディラインは途中から歌いにくいフレーズになるので、Bメロはこの曲独自のもの。
こちらのサイトによれば、当初は主題歌に中島みゆきの「傷ついた翼」が検討されていたが、楽曲使用料の問題で実現しなかったとされている。(出典不明)
どのような順番で楽曲のレコーディングが行われたのかは不明だが、映像が完成してから作曲、という順番では無いように思える。
シナリオやその他設定を確認した段階で、こういった種類の曲を作って欲しい…と発注がなされ、その中から本編で使いそうなものは、さらに細かくアレンジ版を作ったのではないだろうか。
ただ、M02などのように、音楽が無編集の状態で映像とぴったりあっているものもあるから、確かなことは言えない。
サントラについて、もっと収録曲を増やしてほしい!と切実に思う。ファーストインプレッションのシンセ版や、松野が車を運転している時に流れている曲も聴きたいし、他の曲のバージョン違いも気になるところだ。
公式予告編など、その他の媒体での音楽について
予告編A
サントラ「少女の想い」を50秒あたりから流したバージョン。調がメジャーではなくマイナーから始まるように聴こえるので、「少女の想い」に比べると引き締まった印象がある。
冒頭をよく聞くと、ホワイトノイズに混じってうっすらメロディが入る前に音が聴こえる。
予告編B
杜崎と松野が車に乗っている時に流れている曲。(M19)本編バージョンよりも半音音が高いEb-maj。
本編だとセリフと被っているので、セリフがない予告編Bのほうが曲を聴くには適しているかも。
Official US Trailer(2016?)
Vértigo Films(2022)
二つとも、予告編Aと同じく短調から始まる「少女の想い」(サントラ版の50秒あたりから流したもの)。しかし調はF-minではなくE-minで、半音低い。テンポもやや遅いようだ。
よく聞くと、どちらも冒頭にプチッというノイズが走っている。予告編Aではフェードインしていた部分がカットされている。
高知で放送されたときのCM
動画タイトルには"高知で初めて放送された時"と書いてあるが、地域によって放送タイミングが違う、ということはあったのだろうか。もちろん全国同時に放送されていたとしても文章の意味は通るので、考えすぎかもしれないが…。
提供画面で松野と杜崎が車に乗っているときの曲(M19)が流れる。他の曲はこのコーナー「進め!青春少年」特有のBGMだろう。
初回テレビ放送後のプレゼント告知
プレゼント告知中はサントラ01.「ファーストインプレッション」のシンセ版、提供画面はサントラ02.「海がきこえる」
終わりに
この記事では、本編の映像のみを観ただけで考えられることを書いてきた。原作小説や他の資料にあたれば、演出意図に関してまた異なる意見になったかもしれないが、あくまでもアニメーション作品「海がきこえる」単体で判断をしてみた。
全曲をざっと分析してみて、楽曲それぞれの役割を大まかに分類することができた。
里伽子を発見 「ファーストインプレッション」
杜崎の(純朴な)想い 「少女の想い」
良い思い出 「海がきこえる」サントラ版
ほろ苦い思い出 「海がきこえる」スロー版(C-maj)
フラットな思い出 「海がきこえる」笛版(Bb-maj)
その他、「少女の想い」は大学生編では流れないこと、松野の車のシーン(M19)ではなぜ他とは違う曲が必要だったかなど、分析をする前は考えもしなかったことに辿り着けたことも、個人的にはとても良かった。
より作品について理解を深めたい場合は、私の場合はこちらの記事が大変参考になったのでリンクを貼っておく。私の記事とは違って、アニメーション本編以外に、原作小説などを丹念に読み込んで分析がなされている。
記事冒頭にも書いたとおり、本記事の音楽分析は私の独自解釈によるものであり、実際の意図は全く異なる、ということも大いにあることなので、「こういう考え方もあるのか」というくらいに受け取っていただければ、と思う。
長い記事になりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました。
追記:ティーチインイベントを終えて
2024年4月19日(金)、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下で「海がきこえる」の上映&ティーチインイベントが行われました。
監督の望月智充さん・プロデューサーの髙橋望さんが登壇されまして、お二人によるお話の後には質疑応答の時間が用意されていました。そこで私は音楽に関する質問をさせていただきまして、興味深いお話が聞けたのでこの記事にまとめたいと思います。
私の質問内容は、音楽制作の流れに関することです。
・音楽は、映像が完成する前にすでに作られていたように思えるが、レコーディングは一回だけだったのか。もしくは、制作が進むにつれ新たな音楽の必要が生じて、再度レコーディングを行うということはあったのか。
・トランペットを演奏しているのはエリック・ミヤシロさんではないか。
・その他、音楽制作に関して印象的なエピソードがあれば教えてほしい。
レコーディングはおそらく一回だけ
望月監督によると、音楽制作はコンテが上がった段階で始まっていて、生楽器を使用したスタジオでのレコーディングはおそらく一回だけだったとのことです。
出来上がった映像をもとに制作した曲もある
音楽制作と同時進行で映像の方も制作されていたので、曲によってはその時点で出来上がった映像を確認した上で制作されたものもあるそうです。
トランペット奏者はわからない
マニアックすぎることを承知での質問だったので予想していた回答ではありました。私が、トランペット奏者はエリック・ミヤシロさんではないかと思ったのは、本編未収録のサントラ03.「シーサイドストリート」での超高音やアドリブ演奏を聴いたからです。日本を代表するハイノートヒッターであり、アドリブを得意とされる方ですから、もしかして…と思ったのですが、これは謎のままですね。
永田茂さんはレコーディングに車で向かう途中、後ろから追突されていた
音楽収録が行われる代々木のスタジオに作曲家の永田茂さんが車を運転して向かっていると、なんと後ろから追突されてしまったそうです。しかし、ここで警察を呼んでいると収録に間に合わなくなってしまうため、そのままの状態でスタジオにやってきた、とのこと。
音楽に関する演出は音響監督の浦上靖夫さんが主体となって行った
これは私の質問に対しての回答ではありませんでしたが、音楽に関することですので書き残しておきます。
望月監督は今でこそ音響監督も務めることもありますが、当時は音楽に関する経験が不足していたため、本作の音響監督である故・浦上靖夫さんにお任せした部分が多かった、とのことです。
となると、「海がきこえる」の音楽演出の意図をより俯瞰的に探るには、望月監督が演出された作品よりも、浦上靖夫さんが深く関わった作品の特徴を見ていく方が参考になりそうですね。
感想
ティーチインイベントは大変充実していまして、映画の上映時間と同じか、それより長かったのではないか…というくらいでした。様々な観点からたくさんの質問が投げかけられ、その一つ一つの回答に意外で面白い事実・お考えを伺えて、この機会を逃さなくてよかった、と心から思います。
音楽制作の流れに関して、私の事前の予想はこの記事でも書いていた通り、以下のようなものでした。
まあ当たらずとも遠からずといった感じでしょうか。
今回の新情報をもとに精査すれば、特定の曲が映像を確認した上で作られたかどうか、そして曲が作られた順番なども考察することができるかもしれませんね。
以上、ティーチイインイベントを終えての追記でした。読んでくださいまして、ありがとうございました。