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#0025 三世であること

本日は8/6 原爆の日ですね。

私は生まれが広島で、広島という土地は、たぶん他の県とは文化が異なるほど、平和教育が盛んです。繰り返し原爆記念館を小学生の頃から訪れ、被爆者の話を聞き、8/6には登校して黙祷する。

昔の原爆記念館はそれはそれは恐ろしい場所で暗く湿っぽい会館に、焼けただれた人々の人形や写真がこれでもかと、なんの装飾もなく、ただ事実として置かれていました。毎年必ず倒れる子、吐く子供がいました。それでもそれを続けた大人たちがいることは、今考えるとすごいことです。

平和について強く議論や意見は唱えることはしない。でもそれぞれの胸にある平和への想いがとてつもなく強いのが、多くの広島の人間ではないかと思います。

私は被爆三世です。祖父が原爆後に市内に手伝いに出たため、被爆手帳をもらう身となりました。

母と叔母は、全くに元気だったため、二世の認定は受け取らないことにしました。これには考え方がいろいろあると思うのでいい悪いはないです。三世の私もすこぶる元気です。

ただ、その、受け取らないよという母の言葉を聞いた時から、私は三世なんだなと意識するようにもなりました。

『この世界の片隅に』は、映画化で一躍有名となりましたが、私も発売時から毎年原爆の日に読み続けてきました。

広島の平和教育というものは、だから戦争はだめだ、核は反対だという強いものではなく、ただただ、それが起こったのだということを繰り返すものだったと思います。

両祖父母から戦争の話は聞いたことがありません。どんなに悲しかったか大変だったかなど、幼い頃はこの人たちがあの戦争と関係があったとは、感じないほどの朗らかさでした。

それでも静かに黙祷し、原爆症で入院している祖父の弟を一緒に見舞う。多くの人が未だ苦しんでいた時期の病院を訪れる。原爆の日には黙祷し、学年全員で原爆記念館に行く。それが、私の日常でした。

『この世界の片隅に』に書かれていたこと、その前の、『夕凪の街 桜の国』に書かれていたことは、私たちの日常でした。

原爆は、とても悲しい。

8/6は、私にとってどんな日よりも、今日を新たに、きちんと生きようと思える日です。思わせてもらえる日です。

三世として伝えられる具体的なことは、祖父祖母から伝えられていないので、私にはない。けれども、とても悲しいことが起こったんだよということは、伝えつづけられるのではないかと思う。

☺︎今日も総じていい一日だったなと思えたこと

今日は、原爆の日であること。




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