ママ友に会い始めて気がついたこと

今週は怒涛のママ友ラッシュであった。「ママ友」と言っても、もともとの知り合いで、同じくらいの赤ちゃんがいる人たちに会いに行ったので、本来のママ友の意から外れるような気がするが、とにかくママと赤ちゃんたちに会いまくっていたのである。純粋な赤子たちのまあ可愛いことよ…。

今まで顔のゆるんだ大人たちばかりに囲まれていた娘にとっては、ずいぶん刺激的な日々だったようだ。赤ちゃんたちからの容赦ないタックル、聞いたこともない泣き声、自分を押す小さな手。いろんな情報、感情が目まぐるしかったのか、寝入りばなはいつも以上に大声で泣いていた。私も寝不足気味だ。

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ママと赤ちゃんたちに会いまくって、まず気がついたことがある。それは、うちの娘は巨大だということ。もともと「大きいよね~ムチムチなんだよね~可愛いね~むふ~ん」とパンパンの太ももや頬に顔を埋めていた。が、他の赤ちゃんに会って初めて、その本気具合がわかってきた。

でかい、とにかく、でかい!成長曲線ガン無視のムッチリわがままボディ。他の赤ちゃんを抱いて「か、軽い…!」と、私の二の腕や肩が普段とんでもなく酷使されてきたのを知った。

それから娘の手汗・足汗がひどいことにも気がついてしまった。「赤ちゃんって手足がぺったぺた~」と同じく顔を埋めていたが、すべての赤ちゃんがぺったぺた~ではなくって、うちの娘がぺったぺた~なだけだった。ただの汗っかきだったのだ。

他の赤ちゃんと比べるまで、娘の特徴をあまり感じなかった(人より大きいらしいというのは薄々感じていたけれど)。「この世界に自分1人だけだったら、コンプレックスに悩むことはない」と愛読書『嫌われる勇気』にも書いてあったなぁと思い出す。人と比べるから、違いが見えて、個性が見えるという当たり前のことを感じていた。

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思えば、私自身も人と比べることで「自分」というものを知ってきた。

自分は大きいのか、小さいのか。太っているのか、痩せているのか。何が苦手で、何が得意なのか。自分自身のことなのに、周りに人がいないとわからないなんて、なんだか不思議だ。

私は劣等感に苛まれやすい。コンプレックスも多い。自分の欠点を少しは認めてあげられるようになったのは最近のことだ。

本来であれば、娘の「巨大であること」「汗っかき」は、ちょっと気になるコンプレックスになりうる。けれど、まったくもって気にならない!ということに気づいた。何故だろう。人はいつから他人と比べてしまうようになるのだろう。

そんなことを考えながら、巨大な娘を寝かしつける。腕が痛い。昨日より重くなっている。かわいいなあ。上の記事で、自己肯定感が高まるとコンプレックスが気にならないと書いたけれど、母になった私は、自己肯定感ならぬ「自子肯定感」が半端ないのだ。他のママたちもきっとそうだと思う。例えば髪がうすいとか、色が黒いとか、目が小さいとか、そういうのも全部含めて可愛いのである。だから娘のどんな特徴も愛せてしまう。自分の太い脚は気になっても、娘の太さは気にならない。

そして成長過程の違いも、まったく気にならなかった。寝返りができないとか、一人で座れるとか、赤ちゃんは同じ月齢でも本当に成長がバラバラだ。他の赤ちゃんの話を聞いて「うちの子はまだなのに…」と不安になる人もいるかもしれないが、私は「そりゃそうだよな、別の股から生まれた、まったく別の人間なんだもん」と変に冷静に壮大な視点で、転がりもせずデデーンと構える我が子を見ていた。

これはママ同士にも言えることだ。別の股から生まれた、まったく別の人生を歩んできた人間なので、母乳の出や体重の戻り、抜け毛の量、子どもの育て方などは人それぞれでいい。ちなみに私は、ここ数週間で抜け毛の量がえげつない。このまま「産後 育毛」と検索してしまうレベルには不安になる量が抜けている。

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最後に嬉しかったのは「うちの子かわいい!」と、どのママもちゃんと言っていたことだ。謙遜したり「そっちのほうが可愛いよ~」などという変な気遣いがあるのかと身構えていたがそんなこともなかった。お互いに「うちの子が一番かわいい」と思っていて「それでいいのだ」と目を細め合う。みんな「かわいいね」「でしょ~」と笑顔で言い合える世界で、私は安心したぞ。親バカ全開でキャーキャー言いながら子どもたちの写真を撮るのは、なかなか楽しい。

母親になって子どもを持ったとき、今までの自分では見ることのなかった世界の扉を開ける感覚があった。赤ちゃんは可愛くて、不思議で、神秘的。でもそれ以上に、娘を持ったことで変わっていく自分自身がおもしろい。

たくさんのママと赤ちゃんに会って気づいたこと。娘が巨大だと実感したら、それが「娘らしさ」となってさらに愛おしくなったこと。小さなことなのに、そこから私たち母娘らしく生きていこうとさえ思ったこと。簡単な日記だけれど、こういったことを覚えていたい。そのために私は書いているのかもしれない。

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