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娘に英語で話しかける決断まで

アメリカ、シカゴに来ている。夫の育った街であり、夫の両親が今も住んでいる。結婚前に訪れたのが最後なので4年ぶりだ。そのときは、夫の計画しているプロポーズを義母が「で、どうだった?」と暴露してしまうという事件が起きた。懐かしいなあ。

前回来たときは冬だった。夫もうんざりするほど寒いシカゴの冬。庭に厚く降り積もる雪は、私にとっては新鮮だったのを覚えている。アメリカの家はセントラルヒーティングのおかげで、めちゃめちゃ暖かい。東京でもこのくらい家の中が暖かいといいのになぁと思う。

娘が生まれて4ヶ月経つが、私は基本的に、娘に英語で話しかけている。国際結婚なので、夫は最初から英語で話しかけると決めていたけれど、私が何語で話しかけるかを決めるまでは長い間、葛藤があった。

子どもの人生を決めてしまう決断じゃないか

バイリンガル教育については、多くの人がさまざまなことを言う。言語学の学者や、バイリンガル教育に成功または失敗した親の意見が飛び交っている。

「父親と母親で、完全に言語を分けることが成功の秘訣」

「インターナショナルスクールに行かせないと英語ができるようにはならない」

「日本で育てるのであれば、家庭内は英語に徹底するべき」

結論から言うと、私たちは「家庭内の会話は英語」を試していくことになった。つまり、私は第二言語で娘に話しかけている。

私の英語は完璧じゃない。実際、ネイティブレベルからも程遠い。母国語じゃない言語で娘に話しかけることについて、私にはずっと不安があった。正直、今でも不安は拭いきれない。

だって言語は、最大のコミュニケーションツールであり、自己表現の方法だから。ライターになって、さらにそれを強く感じるからこそ、第二言語で育児をしていくことは、娘の人生を狂わせてしまうような気がする。

家庭内で言語が違う家族たち

私は大学時代、移民の家族に日本語を教えるボランティアをしていた。毎週土曜日の夜は、小田急線に揺られて日本語教室を訪れた。

私が日本語を教えていたのは中国人のお母さん。もうずいぶん長いこと日本に住んでいるけれど、日本語を話せないままだという彼女の日本語レベルは本当に低かった。本当に簡単な挨拶から始めた私たち。だんだんと会話の幅が広がって、彼女のことをいろいろ聞いてみると移民の集まるその地域の課題が見えてきた。

「娘は日本で生まれ育って、日本語しか話せないの」

彼女は恥ずかしそうに、ちょっと寂しそうに打ち明けた。つまりおかあさんである彼女と娘は、それぞれ違う言語で会話しているというのだ。どうやって会話が成り立っているのか不思議だった。

日本語教室の代表の人に聞くと、移民や難民が多いその地域には、彼らのように話す言語の違う親子が多くいるのだそうだ。

今まで日本語を必要としなかった中国人の彼女が、ようやく日本語教室に来たのは「日本語を話せるようになって娘ともっと話したいから」だと教えてくれた。

私は胸が熱くなった。のと同時に怖くもなった。家族で違う言語を話すなんて、どうやってコミュニケーションを取ったらいいんだろう。喧嘩は?相談事は?感謝の気持ちは?

そのときは想像もしていなかったけれど、国際結婚をしたことで「親子で違う言語を話す」ということが急に自分の人生でも起こる可能性が出てきた。

娘を元気付けてあげたいとき、相談に乗ってあげたいとき、思い出話をしてあげたいとき、深い愛を伝えるとき。彼女と言語の壁があったらどうしよう。

私はまた、こわくなった。

英語で広がる世界を見せてあげたい

不安がありながらも娘に英語で話しかけようと決めたのは、夫の家族をはじめとした大好きな人たちの存在がある。

私は「家族が好きだから夫と結婚した」という冗談も、あながち冗談ではないほどに夫の家族が大好きである。いろいろと義理の家族と折が合わない人も多い中で幸運なことだ。

彼らはもちろん日本語を話さないので、娘とコミュニケーションを取るためには英語が必要になってくる。世界中にいる大好きな友人たちも同様。やはりどんなに無視しようとしても、英語は世界共通語なのだ。

私は英語の勉強でずいぶん苦労した。恥ずかしい出来事や悔しい思いもしてきた。たぶん、これからもするだろう。それでも英語が少しできるようになったとき、話せるようになった人、観られるようになった映画、アクセスできるようになった情報の多さに感動したのを覚えている。英語が話せるだけで、アメリカ人ともスペイン人ともインド人とも中国人とも話せる。留学中は彼らと夜な夜な語り合いながら、日本語だけでは絶対にこんな会話できなかったな…と感慨深かった。すごいことだ。

日本で暮らしていたら、おそらく英語に触れる機会はかなり少ないだろう。インターナショナルスクールに通わせる予定もない、というかそんなお金はない。日本語は、日本の友人やばあばと触れ合っているうちに自然に身につくことが予想される。なのであれば、単純に英語との触れ合いを増やすことが、今の私にしてあげられることなのではないか。

娘には、英語と日本語の両方で見られる世界を見せてあげたい。そう思ったら、私がやるべきことは「楽しく英語で話しかける母親になる」ことだと思った。

私たち家族の形を見つけよう

娘は最近、急におしゃべりが激しくなった。きっとアメリカで一緒に過ごした従兄弟たちの影響だろう(3歳と5歳は、本当にずーっと喋っていた)。まだ「ぶーぶー」とか「あーうー」としか言わないけれど、そのうち、たぶん思っているよりもすぐに、言葉を話し出すはずだ。

結局バイリンガル教育にも「正解」なんてものはないんだと思う。だって子どもにも親にも個性があって、家庭環境や触れ合う情報の組み合わせは限りない。それぞれに合ったやり方を模索していくしかないのだ。

私と娘も、模索し続けていくしかない。これから生まれる、たくさんの会話をツイッターやnote.で記録していければいいなと思う。みんな、娘がどんなふうに成長するか見守っていてくれ!

日本語に切り替える日が来るのかもしれないし、英語でしか話してくれなくなるときもあるかもしれないけれど、柔軟にやっていこうじゃないか。

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