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私には、人生のすべてが四谷大塚の偏差値ランキングに見える

※この記事内で出てくる中学受験関連の記憶は、2004〜2006年頃の記憶であることをご承知おきください。
※四谷大塚さんは実績のある素晴らしい学習塾です。

中学受験対策塾大手、四谷大塚をご存知だろうか。
自社ブランドのテキストブックである「予習シリーズ」はかなり完成度が高く、四谷大塚以外の学習塾でも取り入れられているなど、中学受験対策系学習塾の中でも最大手のうちの1つだ。

その四谷大塚が、定期的に行う「合不合判定テスト」というものがある。
志望校への合格・不合格判定を算出してくれるテストだ。結果シートはかなり詳細にスコアが記載されていて、自分がどこの何が弱いのかを明確に把握することができる。
2021年はWebで結果を見ることができるようで、また更に進化しているのだろうと思う。

そして、その結果シートについてくるのが「中学校偏差値一覧」という表だ。横軸が入試の日付、縦軸が偏差値として一覧表になっている。
極めて見やすい表である。"上"を目指したければ自分の偏差値、頭のレベルを周りより頭一つ以上抜けさせなければならないことが小学生でもわかる。

私はこの表と小学校5年生〜6年生まで付き合ったのだが、結果としてアラサーの今でもたまにフラッシュバックを起こすほどのトラウマとなっている。
(当時の中学受験塾で1年以上いじめられるわ無視されるわされていたことも関係あるかもしれない)

最終的に、私は中学受験に失敗した。
様々なメディアで取り上げられる中学受験は絶対最後には「苦しかったけど合格」ENDなので、せめてこれを読んでいるあなたには、
「勝者もいれば敗者もいる」ということを強く伝えたい。

私は、正直入試のときまで名前も聞いたことの無かった中高一貫校に入学した。
そこで得た友達とは今でもやりとりがあるし、入学した事自体に後悔はない。シスターのいる中学校だったし、キリスト教的教育の末端に触れる機会があったことも悪くはなかったと思っている。

ただ、私の父は違ったようだ。
ほぼ毎週末、私の母校や同級生を徹底的にこき下ろした。
挙句の果てに、某有名大学附属高校に編入させるために中学1年生からとてつもないハイレベルな某進学塾へ入塾させた。
中学受験が終わって息つく間もなく進学塾というのは正直キツく、今思えばあの頃は私は軽いうつ状態だったように思う。

…とまあ、中学受験関連にはとにかくいい思い出が無いのだ。
さらに、入学した大学は当たり前のようにほぼみんな中学受験勝ち組、2月の勝者ばかりだったのでまたそこでコンプレックスを刺激されたりしていた。

大学1年生のときの会話は、誰しもどこかで「出身高校」にふれる機会がある。それはそうだ。別にこれは悪いことでも変なことでもない。
そして、首都圏出身の人の「出身高校」は大抵「出身中学」なのだ。
大学生になってまで頭に浮かぶのは、あの四谷大塚の「中学校偏差値一覧」だった。

そして、それは就活の場面でもそうだった。
私達の世代は、一昔前よりも
「大手に入るだけが全てじゃない、好きなことを仕事に」という気持ちを持った就活生が多い世代だと思う。

私は、正直就活で父親に認めてもらいたかった。
それが大きくて、大企業しか応募しなかった。
おかげさまで、良くも悪くも何かあればヤフーニュースのトップに出るような企業に就職はできた。とはいえ、「本当にそれが好きなことなのか」と言われると、言いようもない虚無感に襲われることはある。
ただ、お給料は悪くないので、
「本当に好きなことをしてここまでの金額をもらえていないとしたら、それは本当に幸せになりうるのだろうか」
という思いも悶々と抱えている。

話が脱線してしまった。
小学生の時から父に言われ続けていた大学に入学した時点で父からは認めてもらえると思っていたのだが、そんなことはなかった。
授業で必要だから購入した、芦部信喜の「憲法」を「無駄遣い」と言われ、その他大学の教科書も似たような言われようだった。
ちなみに憲法のクラスの最終成績はA+だったように思うので、別に無駄遣いではなかったと思っている。(自慢)

大学でも認めてもらえないなら、就活しかないか・・・。
大学2年のころ、そんなふうにぼんやりと思ったのを覚えている。
ただ、就活というのは受験のようにタテ軸のみで比較できるものではない。
たしかに平均年収だけで比較した場合は非常にシンプルな「勝ち組」「負け組」を作ることができるだろう。
ただ、時代は2010年も後半で、そこで比較する時代は終わった。
というのは分かっていたつもりだった。

でも結局私は収入のタテ軸とネームバリューでしか就活が出来なかった。
これはもはや私のマインドセットの問題で、どうしたらいいのか正直今でもわからない。
「選び方」がわからないのだ。「好きなものを選ぶ」という行為が「本当に好きなものを選ん」でいるのかもわからない。
(まあ就活は好きなものを選ぶだけじゃないのだが・・・)

就活のタイミングで父と母が別居し、現在も離婚裁判中なので
現在も父が本当に私を認めたのかどうかはわからない。
というか、「◯◯じゃなきゃ娘を認めない」というのは父親として最低だと思うのだが。

私からすれば、小学校の時から徹底的に比較脳にされて、結局離婚でハイサヨナラしようとしている両親共々いい加減にせえよとも思う。


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「あの一覧の上部に記載があるモノを選ばなくてはならない」
という無意識がどこかでいつも働いているのを感じている。
洋服、プレゼント、結婚式場、住む場所、付き合う人たち、そして変な話、ボーイフレンド。また、ボーイフレンドの就職先。
これらが全部あの一覧でステータス的に見えてしまう。

「私のレベルは55くらいだから、この辺で妥協せざるを得ない」という変な諦めみたいなものが働いて、あとから「あのとき妥協しなきゃよかった」という思いを爆発させるのだ。

だからせめて、26歳の今からでも妥協はできるだけしないで、文字通り精一杯生きなければならないと思うのだ。
でもこの「比較脳」というマインドセットはどうしたら脱却できるのか、それだけは未だにわからない。

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