2023.05.30(駄文)

手帳を開く。
各月毎に4ページ分あるメモスペース。
その月の1日分か2日分程度の出来事をメモる。
言葉が先走る。字が汚い。
矢印を引いて補足をする。
横にできたスペースに斜めに文字を書く。
本当なら毎日何かを書き込みたい。
でも速度が違うからできない。
私の考えるスピードと私の周りのスピードが違う。
ガラガラの新幹線に乗ってる時の窓の景色みたいに周りは前から後ろへ走っていく。
そしてお前もついてこいと言ってくる。
私は席を立ち上がってその景色を追いかけるように車両の前から後ろへ走る。
でも私が席を立つ時にはもう私を誘ったその景色は遠く遠くへ行ってしまっている。
車両の真ん中に立ちすくんで、心臓の裏側に張り付いたヘイトを爪の先でカリカリと剥がす。
物心ついた時か、哲学という概念を持った時か、分からないけれど、だいぶ前から私は周りにヘイトを持ってた。
全てが薄ら寒くて薄気味悪い。
周りの景色が言う、理にかなったことであったり筋の通ったこと、それらが嫌で嫌で仕方がない。
でも、もしかしたら、私の、歩み寄りが、足りないの、かも。
などとこの10年をかけて自分の感覚を疑ってみた。疑ってみたけれど、もういいか、となった。
車両は私を乗せてぐんぐんと進む。
景色は追いつけない私に嘲りみたいなため息を吐く。
相手の価値観に準じた成果、表現、共感、などをしないととこの10年思ってきた。
何かを言う時、伝わらないのは、自分が劣っているからだとも考えてみた。
でも直感が違うと言う。
相手がこちらのことを認めようとしてないんだから、どうあがこうが伝わりゃしないよと言う。だからもう一度こっちへ来いと言う。自分に張り付いたヘイトを集めて、まとめて、こねて、そいつを窓外へ投げつけろと言う。
要は、直感を信じて前を見ろということだ。
私が走らなくてももうこの車両は走り出してるわけだし。
やりたいこと、求めてるもの、楽しいこと、好きなもの、そういう単純なものにあれやこれや肉付けして歪んだものに変えてしまっていた。
そして周りの景色からの声は、それでいいんだという生暖かなものだ。
でも私は車両の中にいて、スピードが違うから、その声に集中しなくちゃ聞き取れない。
耳をそばだてて集中して、必死に声を拾ってきたけれど、いらないことだなと思った。



手の届かないぶどうを忌々しげに睨みながら、あれは酸っぱいぶどうだと悪態をつく狐のごとく、自分が理解できないからと僕のことを幼稚だとか甘えているとか説得力がないとか馬鹿だとかのたまう人の言葉、それがまさしく窓外の景色だ。

もういい、程度の低いやり取りはもういい。君は正しい。だからって僕が間違えているわけじゃない。
違う所に立ってるだけだ。
君の自尊心を満たしてあげられるほど僕は大人じゃない。君はもうずっと遠く遠くにいる。
君からしてみたら僕は立ち止まったままで、君が必死に走って先へ行っているんだと思うだろう。
でもはなから僕らは同じ道を西へ行こうが東へ行こうが、ましてや違う道を進もうがどうでもいいはずなんだ。
君は、君と同じ道を進まない僕を見下すけれど、僕は僕の感じた方向へ行きたいんだよ。

僕のやりたいこと、求めてるもの、楽しいこと、好きなもの、そういうのは君に定義付けされるものじゃない。

もう面倒だ。欲しくもないもののために理解のあるふりをするのは疲れた。
そっちの価値観に寄り添うなんてことはもういい。こっちの価値観に追いつけないなら追い付かないままでいい。
世界とスピードが合わないのは僕が遅いからじゃない。

直感のままにヘイトを投げつけて爆発させる。その推進力で僕はもっともっと前へ行く。

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