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病は大切な事を私に教えてくれた


生まれた時に指定難病を抱えて生まれてきた私

思い返せば、『つらい』『しんどい』『かなしい』
そんなマイナスな感情の記憶しか出てこない

『なんで私なの?』『前世でなにか悪いことしたのかな』
『病気が無かったら◯◯出来たのに』

全部を病気のせいにしていた

そうしていれば心が楽だった🥲

この広い世界に私は一人きり
味方なんて誰もいない、、、
いじめだって親に心配掛けたくないから何も言わなかった
当時の学校の先生は見て見ぬふり、、、
『生きる』事を何度も諦めようとしていたのに
行動に移さなかったのは
それ以上に『勇気』が無かったから

『生きる』のがつらいのに『タヒぬ』のは
もっと怖かった、、まさに生き地獄そのもの

自分が難病だったんだ!って知ったのは高校生の時だけど
『病状』は小学生の頃から沢山あった、、、

『生まれつき』だよって言われていたから
『病気』を疑いもしなかった

過去の経験は無くならないし
その過去があって今の私があるわけだけど、、
(過去の話は昔のブログとかnoteの記事遡ってね)

を公表して発信するようになって思うようになったのは

病気が私を選んだのではなく
私は病気に選ばれた選ばれし者

って事

病気だからこそ気付けた事がある
最初から与えられてないからこそ『感謝』できる

病気を持って生まれてきた事には
必ず意味があって使命があるのだろう、、、

病気を隠して生きてる時、

『これ何?』と病状について触れられた時
『あー、生まれつきなんだ』しか言えなかった

『あー、実は私難病でね、、』なんて言えなくて、、
だって、絶対空気重くなるし
『難病』って知られたら離れていくって思っていた

いじめられていた経験がフラッシュバックしちゃって
『素直』になれなかった

今では、『あの時もっと素直になれてたら』
今は違った未来があったのかなって強く思う

『病』を発信するようになって
『人の心の本質』が分かるようになった

自分なりに、だけど
自分にとって必要な人間かどうか、、、

『難病』に対しての考え方は人それぞれ
『病状』に関しての感じ方も人それぞれ

だけど、レックリングハウゼン病に関しては
『見た目』のインパクトが凄いから、、、
より一層、その人の人間性が見て取れる

『病』の発信を始めたら
連絡取れなくなった人は沢山いる、、
びっくりだよね🤣

だけど、悲しかったけれど
昔のいじめの経験から『つらいことがつらいと思わない』
体質になってしまったので、

あ。こんなもんかぁ、、
悲しいけど、私の人生に必要ない人だから
いなくなってくれてありがと😘ぐっばい

くらいのマインドになった私

昔はあんなに『何で私なの?』って思っていた。
病気で生まれた私自身を疎んでいた

けれど、その呪縛をかけていたのは
私自身だった


病気だから最初から挑戦もしない
病気だから最初から期待しない

2018年に病を発信するようになって
2022年にはbeauty japanに出場して、、、、

何百人を前にして壇上でスピーチ、プレゼン

『私は難病です』『これは私の身体』って、、
胸元空いたドレスを着て淡々と話した

ドレスを着る、水着を着る(水着審査ではない)事は
私にとって憧れと同時に、天変地異か?くらいの挑戦

人前で肌を出すなんて、、、

なんだかね、『隠す』から
『気にされる』のかな?って思うようになった

『見えてしまっても堂々としていれば』
人はそんなに気にしないんじゃないだろうかって
(そりゃ最初はビックリするだろうけど)

もっと早くに『病』を発信していたら、、、
あの時『私病気なんだ』って打ち明けられていたら、、

あの頃好きだった人にもちゃんと向き合えていたのかな

『この人の事好きだな』って思っても
私は病気だから、、、とか
病気の私よりも健康な人でもっと良い人いるよ、、とか
肌を見られて嫌われたくないなぁ、、って

関係を進めるのが怖くて
自分から身を引いてしまったり、何もできなかった

だけど今思うのは、
病気とか関係なく『自分の自信の無さ』がダメだった

病気でも障害でもそんなの関係なく
『自分らしく』生きている人はキラキラしている
『自分に自信があるから』
自信のある人はキラキラしてカッコいい

けど当時の私はそんな風になれなかった
私はそんな風に今なれているかな?

男性ってまっさらですべすべな肌が良いんでしょ?と
『肌』なんて関係ないハズなのに
そう思ってしまっていた、、、

けど、そう思ってしまうのは
『自分自身がそう思っているから』

もちろん、白くてすべすべさらさらな肌は憧れだ。
今でも憧れている。永遠に叶わない理想の肌

私なんて背骨にボルトも入れてるから
エステや脱毛も出来ない。
電気を当てると感電しちゃうみたい
つまり電気風呂も入れないのだけど🤷🏻‍♀️

病気を発信するようになって

自分が知らなかっただけで
世界はこんなにも広いんだ!ってビックリした

病を受け入れてくれる人がいる
病状を気にしないでいてくれる人がいる
病を知ってくれようとする人がいる
もっと知ってもらえるといいね!って応援してくれる人がいる

その人たちにとっては
『病』なんて関係ないから
『当たり前』の事を言っているのかもしれない
『普通』なのかもしれない

だけど私にとっては奇跡だった
『その人の本質』が分かるから病に感謝していたりする

『人の本質』って中々分からない
『受け入れてくれるのか、くれないのか』
腹を割って話したり、自分が踏み込む勇気がないと、、

人は誰だって仮面を被って生きていて
『本質』は誰にも見せない人だっている
『本当の自分』を隠して背伸びしていたりする

『嫌われたくない』

が根底にあるからだと思う。

だけど、それと同時に『嫌われたくない』って思うのは
『自分自身が、そんな自分を嫌い』なんだからだと思う。

過去にいじめられていた私。
病状を気持ち悪いと言われ、バイオってあだ名だった。

だからそれが呪文のように纏わりついて
『私は受け入れてもらえない』って思考になっていった。
私自身が負のオーラ全開だから、
それがより一層伝染していったのかな、、、

今では病を公表して発信しているから
『受け入れてくれてる』人しか周りにいないけど、

けどそれは、、

『私自身が受け入れられた』からなのかなって思う。
勿論、完全に受け入れてる訳ではないけれど
昔よりは『受け入れられて』いる

自分が受け入れてるから
周りも受け入れてくれている

相手は自分の鏡、周りにいる人は自分の鏡

どこかしら『同じ部分』がある

私が難病で生まれてきた理由、、
その答えは分からないけど

今は少なくても『病気で生まれて良かった』と思う。

難病だから

気付けた事、
気付けた感情、
気付けた考え方、

がそこには存在している。

病気で生まれたからこそ今の人間関係がある
『病』が運んでくれた出逢い

病気じゃなかったらどんな人生だったのか
どんな性格になっていたのか、、
それはもう生まれる前からやり直さないと分からない

ガラス作家にもなっていなかったかもしれない

過去は最悪だったけど
『今はすごく幸せ』だと思う

病を受け入れて肯定してくれる人がいるから

背中を押してくれる人がいるから

こんなにも『病』の発信をしているけど
『私実は病気なんだ』って直接伝える事は少ない。
直接伝えたのって多分3人くらい、、?🙊
そのうちの1人は大東さんです🧏🏻‍♀️
やっぱり、活動報告は大事ですよね👀

今だって私が病気って知らない人もいると思う

SNS観てたら知ってるよね?精神だから🤷🏻‍♀️

けど、大切にしたいって思う人ほど
SNS観てたら知ってるよね?じゃなくて
直接ちゃんと伝えていかなくちゃいけないよなって思いました🧏🏻‍♀️

どんなに病の発信をしてても直接伝えるのは
めちゃめちゃ怖いし、なんなら『好き』って告白するより
勇気が必要で高層ビルから飛び降りる気分だけど、、、

『病気はどうして私を選んだの?』じゃなくて

『私を選んでくれてありがとう』って感謝して

与えられた寿命を全うして生きていこう

明日人生最後の日でも悔いがないように、、

気持ちは素直に相手に伝えていこう、、、

『闘病』して生きるのではなく
『共病』して生きる。

私は病と共に生きている。





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