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分かり合えない躁鬱人⑱

こんばんは。まなみんです。

今回は分かり合えない躁鬱人シリーズ第18弾!



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今回のテキストはこちらの前半部分↓↓↓


今日は時間割の話でしたね。早速はじめてみましょう。
 まずは躁鬱の波がありつつも、そこまでひどくはなく、毎日を健康に過ごせていた日のことを思い出しましょう。
僕の場合、中学生くらいから波がひどくなったように感じます。
高校生になると鬱っぽい気配も感じるようになった。しかし、小学生の時は健康に過ごしていたように感じます。
 みなさんはどうでしょうか。
今は躁鬱の波にずいぶんと翻弄されているでしょうから、自分はずっと不幸だと感じている人もいるかもしれませんが、そんなことはないはずです。
遡れるだけ遡ったら、きっとあります。
そこまで厳密に考える必要はありません。
幸福である必要もありません。なんとなくでいいんです。
要は、毎日同じ時間に起きて、ご飯を食べて、学校にも行けて、授業も受けて、放課後もなんとなく過ごして、家に帰ってきて、ご飯を食べて、風呂に入って、そして何にも考えずに寝たという超平凡な日を送れた日のことを思いだせれば十分です。
そんな日々がきっとあなたにもあります。

私は高校生のときまでは超平凡な日々でした。


とにかく躁鬱人にとって大事なのは適当に考えようってことです。
だいたいでいいです。
でも、今とは全く違うことに気づくはずです。
そして、自分にもそうやって過ごしていた日があったと気づくことが重要です。
むしろ、気づくだけで治療の一環にすでになってます。
成功してなくても構いません。
テストの点数が悪かろうが関係ありません。
友達がいなくても全然問題がないです。
躁鬱人は基本的に友達づきあいみたいなものは、適当です。
ぼんやりとしか記憶がないはずです。
人のことがよく見えませんし、基本的に自分のことだけ考えている体質ですから、その辺はとにかく適当に考えましょう。
大事なことは、別に振り返ることもなく、自分のことを否定もせず、かと言って特別視もせず、たいしたことも起きず、そして不幸なことも起きず、ただの地球の中の虫みたいな小さな一人として、隠れもせず表にも出ず、楽しすぎるわけでもなく、悲しくもなく、あー、1日終わったなあ、さ、寝よう、と思いながら、気づいたら、寝ちゃってた、という日のことを思い出してみるんです。
みんな赤ん坊の時はそうでした。
反省する時間なんか1分もありませんでした。
ですが、さすがに赤ん坊の時は覚えてません。そこも厳密に考えずに適当に、だいたいこの辺りのことかなあ、って見当がつくはずです。

なんか、今までの人生が超平凡なのに懐かしくて愛おしく感じるのは私だけでしょうか。


僕の場合は、なんとなくですが、小学五年生のある1日かなあと感じました。
何にも振り返ったり、顧みたりせずに、それなりに楽しく、1日がただ過ぎていきました。
確かに、そんな1日があったんだと気づくと、やっぱり驚きます。
今では、どうしても「今日は上がり過ぎてるかな、鬱にはならないかな」という思考が入ってきます。
そして、なんとかして多彩なことをして、出来るだけ脳みそに気持ちいい風が入ってくるようにしたいなあとか考えてます。
でも、その昔、11歳の頃、僕はそんなことを一つも考えず、周囲にあるものだけで、お金も使わずに、楽に過ごせる時間を生み出していたんです。
それを懐かしんだり、羨ましがるのではなく、こう考えましょう。
「その時の日課に戻せば、また同じように楽に過ごせるはずだ」と。
 ここでカンダバシの言葉をまた読んでみましょう。7段落目の17行目です。
「平穏と充実は両立します」
 これを読んで僕はとても体が楽になりました。
そして、少し忙しくやることが色々あって、でもそのおかげでいろんな人に会ったり、遠くへ出かけたり、これまでやったことがないことをしたり、知らない場所へ行ったり、飛行機に乗ったり、その合間にゆっくり美味しいコーヒーをだすお店で休んだり、本を読んだり、していた時の楽しい時間のことを、それを過ごしている自分の感触がちょっと戻ってきました。

うわぁ、素敵ですね。

何だか平凡な幸せが身に染みて分かるというか。

躁鬱人って分かる前の自分ってあんなに素敵な時間を過ごしていたんだなと。


そのあとの行でカンダバシがさらに言っているように「生活が充実してくると波が小さく」なるというわけです。
逆に、生活が暇だと、この時間に何をやると決まっていないと、波が激しくなるんです。
そして、前章でも書いたように、躁鬱人にとって学校とは、この「充実した生活」というものが容易に実現していた大事な環境だったわけです。
しかし、学校生活は大抵が、誰かに用意されています。
だから充実はしていたが、そこまで記憶には残っていないはずです。
躁鬱人はやりたいことしかしたくありません。
だから、学校では同時に窮屈も味わっていたはずなんです。
しかし、そんな窮屈な環境であっても、細切れに時間が区切られていて、色々やることがあって、なんだかちょっと充実しているという状態であれば、押し込まれることなく、波も穏やかになるんです。
そして、それを今度は、自分が窮屈を感じることは一切入れずに、全部自分がやりたいなと思うことでもって時間割を作り、それらをやりながら少しばかり汗をかいて充実するという生活を実践してみてほしいんです。
というか、もうすでにやってみたくなってはいませんか? 
僕もこのことに気づいた時に小躍りしました。
しかも、不思議なことに僕が小学5年生の時に、とても好きだったことが、この時間割作りだったんです。
当時は「1日の計画」と書いて、円グラフを作ってました。
そして、何時に起きて、何をするかってことを書き出していたんです。
実はその時にすでに僕は自分で自分を操縦しようと試みていたことがわかります。
というわけで、僕が小学5年生だった時の1日の動きを実例として振り返ってみますね。

あれ?あれれ?もしかして私の感情がそのまま書かれてる?!

っていうぐらい図星な箇所でした。

私も何だかワクワクしてきたし、小学生のころ時間割作ってたし。

恐るべし、躁鬱人。


まず僕は朝6時頃起きてました。
この時から朝型人間でした。朝7時になると、両親が起き出してきて、食事の準備などを始めるので、僕も彼らの時間に合わせる必要が出てくるのですが、それだと落ち着かないので、両親が起きてくる前に一人で起きて、漫画を描くということをやってました。
自分の机でまずやるのは勉強ではなく、学校でやることとは関係がない、自分がやりたいことでした。
1時間それをやると、とても心地が良かったです。
そのために前日の夜、机の上を片付けておくと、さらに心地よさがアップするということもその時、知りました。

私は早起きしてゲームしてました。

自慢ではないですが、小1でネットゲームに手を出してたぐらいのゲーム好きで。睡眠やご飯よりもゲームって感じの子でしたね。

私はベッドメイキングすると心がスッキリすると思ってました。そのときのやることリストにも書いていましたし、今でもやってます。


そして、朝7時になると、朝ごはんを食べます。
朝ごはんは1日も欠かしたことがありませんでした。
そして、僕は食パンではなく、ご飯が好きでした。
ご飯と卵焼きと海苔があればもう大満足でした。
ご飯を食べると、顔を洗って歯を磨きました。
そして、小学校は制服だったので、制服に着替えました。
そしてランドセルをからって、集団登校で学校へ行きました。
 学校では5時間授業でした。
午前中3時間、そして昼ご飯を食べ、昼休みを過ごし、掃除をして、午後2時間授業を受ける。
その後、午後4時頃から日が暮れるまで野球部で練習をしました。
そして、弟と一緒に家に帰ってきて、汚いですからそのまま風呂に入って、夜ご飯を食べて、テレビを観て、夜10時頃寝てました。
 休み時間は、僕が作ったロールプレイングゲームを友達と遊んでました。漫画も描きました。ドッヂボールも好きでした。野球部は楽しくはありましたが、本当はあんまり興味がなく、みんなが野球ブームで野球部に入ったから僕も入っていただけです。本当は絵を描いてれば幸せでした。
家に帰ると、弟と僕が作った野球ボードゲームをして遊びました。そっちの方が楽しかったし、上手かったです。

私もこんな感じで過ごしてました。

早寝早起きで学校をこなして、帰ってきたら好きなことしかしない。

充実してましたね。


 遊ぶ友達は家の近くに住んでいる友達一人、そして僕が作ったゲームを一緒に遊ぶ友達4人、そして、女友達が3人いました。
外で遊ぶよりも、女の子と昼休み喋るだけで楽しかったですが、女の子とイチャイチャしてると突っ込まれてしまうので、それだけではダメだと思い、ドッヂボールをしてました。
宿題などは帰ってきたらすぐにささっと終わらせて、その後の自由時間を好きなことをして過ごす方が好きでした。
サンリオを模した文房具の勝手なブランドを作って、ビニール袋に入れて商品っぽくしたりしてました。
漫画を読むよりも、漫画を描くことが好きでした。
テレビなどをただ見るよりも、自分でゲームを作ることが好きでした。
ゲーム機も持ってましたが、特にうまくもなく、はまることもなく、適当に遊んでは、自分だったらどんなゲームを作るのかを考える方が好きでした。
 という平凡な1日を過ごしていたわけです。
健康そのものでしたし、暇だなあと思うことは一切ありませんでした。
自分とは何か?なんてことはもちろん考えません。
それよりも明日は何があるんだっけ?と時間割を確認することの方が多かった。
躁鬱人はとにかく自分とは何か?と考えることがとても下手です。
そうやって、自分に起きていることを言葉にして感じることがなかなかできないんです。
それは躁鬱人の言語が感覚だからと言いましたよね。

はい、私の変なところ、暴露していいですか。

実は、小学生の頃、「計算ドリル」を異常にやってたんですよ。

2,3回解けばいいところを6、7回解くとか。

後は音読も何百回も読んだり、漢字ノートも宿題の倍書いたり。

先生に「宿題増やして下さい」って訴えるぐらい。

今の私からしたら本当に頭おかしいんですけどね。しかも楽しんでやっていたからもう変態だと思います。




私は双極性障害を研究したいと考えています。



だからたくさんの躁鬱人と繋がりたい。
そして、サークルを立ち上げました。



たくさんの人と気軽にお話ししたい。

サークルでは今のところ、お悩み相談室のような感じになっています。

辛い気持ちとかをシェアして、それに対して温かいアドバイスが届く。

本当に温かい方たちが集まっていて、いつもほんわかとした空気があるように思っています。いつもありがとうございます。


質問などあればコメント下さい。

サークルでやりたいことも募集中です。

よろしくお願いいたします。









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