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分かり合えない躁鬱人⑦

こんばんは。まなみんです。

今回もいつも通り進めていきます。

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今回のテキストはこちらの後半部分です↑



「その中心には、生き物に対する優しさがあります。この優しさと気分の波のコードは、DNAの同じ場所に乗っかっているでしょう」

おお。DNAからそうなっているのか。
なぜ、優しさと気分の波があるのか。ぜひ研究してみたいものです。


疲れてしまう、と書きましたが、この「疲れ」も「怒り」と同様、鬱状態になっていくきっかけの一つです。躁鬱病は気分の波から起こるわけですが、この気分の波はどのようにわかるかというと、僕の感覚ですが、躁状態は鼓動が早く、うつ状態は鼓動が遅いです。つまり、心臓で確認ができます。

あくまで坂口恭平さんの持論ですよ。でも、実際に確かめてみると私もそうでした。

やばい、めっちゃ楽しい!なんでも思いつくぞ!というときは心臓がドクドク言ってます。

逆に「あーだるい。眠い。動けない。」というときはお前本当に生きてるか?!っていうぐらい鼓動が遅いんです。

みなさんも確認してみて下さい。


僕の疲れの確認の方法は、心臓に焦点を当てて、しばらくじっとしてみるってことです。どうするかって、ただ横になるだけです。座るだけじゃ、立っている時とあんまり変わりません。横になって、息を吐いて、力を抜いてみる。躁鬱人はこの「力を抜く」ってことも意識してやらないと、ほとんどしませんので、ぜひやってみてください。

多分、ですけど躁鬱人は常にアンテナを張りまくってます。だから疲れやすいです。

人からしたら大したことなくても、「あ、ちょっときついな」と思ったら、おそらく非躁鬱人の何倍にも疲れています。

だから、休めるときはできるだけ休みましょう。そして「意識して」力を抜きましょう。


もうこれ以上は無理と心臓が判断したとき、自動的に鬱状態に入ります。
つまり、鬱状態は躁鬱人の体を守るためにあります。
あなたにとっては不快極まりない鬱ですが、体にとってはとても重要な休息、充電期間です。
だって、それが不快なものでなかったら、躁鬱人はまたぴょんと跳ね起きて、どんどん外に出て行って、知らない人に声をかけては困っている人を助け、何かとんでもないことをしたいって思っちゃうじゃないですか。
そんなとき、体は傷つきやすい躁鬱人の特徴を見込んで、自信がない、自分なんてちっぽけな人間だ、価値がない、これから先のことが不安だ、つまり鬱的状態に電気信号を変換します。

ず、図星です。身を粉にしてでも私は人のために動き回っちゃいます。

頭が危険信号を出していたとしても無視して体が動きます。

だから、鬱があるんですよね。私も最近なんとなく分かってきました。

動けなかったり、希死念慮があったりするときはその前に動きすぎた、頑張りすぎたってこと。だから、自分を褒めてあげて、休めるだけ休む。

もちろん、なんで頑張りすぎただけで死にたくなるんだろうとみじめになりますが、それが躁鬱人の宿命です。私は泣きたいだけ泣きます。希死念慮が強すぎるときは友達に電話して慰めてもらいます。

つらい、つらいですよね。私も同じです。そのつらさ、痛いほど分かります。もっとこの想いが非躁鬱人にも伝わると嬉しいですよね。だから私はnoteを書き続けているし、非躁鬱人にもこの文章を読んでもらえるように書いてます。

少なくとも坂口恭平さんと私が言っているのだから少しは躁鬱の根拠になるはずです。わかってもらえないときは「これを読め!そしてもっと考えろ!」と言ってやってください。


躁鬱人は傷つきやすいわけですが、それは同時にあらゆることがインスピレーションになるということでもあります。
カンダバシはそれを「心が柔らかい」と言葉にしているわけです。心だけじゃなくて、脳みそも柔らかいです。体も柔らかいです。人間関係も柔らかい。あらゆる物事が柔らかいってことです。どうにでも変形します。それは良くも悪くも色んな影響を引き起こします。
ある人の言葉を聞いて、思いつき、新しい発想が浮かべば、躁状態へと少しずつ流れ込んでいきます。一方、その言葉で傷つけば、自信をなくし、鬱状態へと向かっていくのです。

その通りです。私は自分をポケモンのメタモンだと思っています。

やわらかい、変形する、影響されやすい。そしてどんどん形を変えていって、最終的には躁や鬱になっていくのだと考えます。


興味深いのは、そこに「自分がない」ということです。
あらゆる評価の基準に自分がありません。
常に評価の基準が他人です。
「人からの評価ばかり気にして、自己評価が低い」なんてことを悩んでいる人がいたりするじゃないですか。 そうやって悩むこと自体は否定しませんが、その人がもし躁鬱人なら、話は違います。
なぜなら、それが躁鬱人だからです。自分の評価なんてものはありません。まずは他人です。他人から「すごいね!」と褒められれば「自分はすごい」ということになり、他人から「お前、ダメだと思うよ」とけなされれば「自分はダメなんだ」となり鬱になります。
その時に、人から何と言われたって、俺は俺だ、みたいな思考回路はゼロです。でもそれが躁鬱人なんです。そんな時に「自己評価が低い」だなんて、どこかの下手なまとめサイトみたいなものにしか書いていないような言葉に惑わされてしまってはもったいないです。 何といっても躁鬱人は「自他の境界がなく、あらゆる世界に対して心を開き、お漏らしして、困った人を助ける」ようにできている生物なのですから。何よりも最良の薬は「君はすごい」と褒められることです。
それ以外の薬はありませんし、それ以外の満足感もありません。金も名誉もいりません。 いや、金も名誉も君がすごいと言われたいがために求めます。とにかく自分がすごい人間なんだと自惚れることこそが、最高に幸せな瞬間なんです。
そして、大事なことは、躁鬱人であるあなたが、そういう人間なんだと自覚しつつ、生きていくことです。

ここ読んで、少し心が軽くなりません?

あーたしかにそうだなって私は思いました。

私は大学生だから自己分析とかするわけですよ。でも、「あれ?私って一体何者?マネージャー業や接客が大好きで変わった人ぐらいしか思いつかないな」と。とにかく他人に喜んでもらえるのが好きなんです。私という存在は無くて、まなみんという別人が勝手に動いて他人を喜ばせているんです。

これを書くのも自分の自己満でもあり、でも結局躁鬱で苦しんでいる誰かに向けて書いているんです。

うん、本当にまなみんはすごいぞ。なんでもやっちゃう。そんな人間なのです。


それを知っていれば、もしも「あなたって自分に酔っているよね」とか「自惚れるな」みたいに言われても傷つきません。
「あ、やっぱりそう感じますか? 僕はどうやらそういう特徴を持っているんですよね。人に尽くすんですけど、結局はやっぱりその行動で、お前はすごいって言われたいだけみたいなんですよ、でもそれで人が助かるんだから、いいかも? でもうぬぼれがひどい場合は、それでそれで問題だと思うんで、指摘してください!」ってな具合で返すことができます。
しかしその特徴を知らなければ、もしくはその特徴が自分の悪い性格だと思ってしまっていると、そこを指摘された時に、本気で傷ついてしまいます。しかも、傷ついた時に、躁鬱人は辛くて泣いたりしません、その逆で怒ってしまうんです。要注意の「怒り」が出てきましたね。

確かに躁鬱人だと気づく前にはうぬぼれていたと思っています。

私は何でもできてすごい!と。しかし、躁鬱の歯車が狂ってくると何もかもできなくなっていき、それを指摘されると、「本当はできるのに!」と怒りが出てきてましたね……。


ここで鬱にならないためにどうすればいいか。怒りを感じないためにはどうすればいいかってことです。簡単にできるのは、一人になることです。人から指摘されなければ怒ることもないですから。
しかし、よく注意して考えてみてください。躁鬱人は自分がないんです。
人に接して、人から褒められてなんぼの、人が常に必要な自己中心的な人間です。文字で書くと、とんでもない人間に思えますが、大丈夫です。
躁鬱人は持ち前の優しさがありますから、自己中心的さがオブラートに包まれてます。もちろん、この優しさも、本当に優しいというよりも、集団の中で褒められ大事にされるのは何よりも優しさ、心を開いてることが一番重要だと先天的に気づいているのかもしれません。
そんな躁鬱人が一人になると、辛いです。はっきり言って退屈です。「人がいない一人で家にいて、あ、私って空っぽだなあ、何にもする気がしない」とか感じたことがありませんか?

全くもっておっしゃる通りです。一通り様々なことをやって、いざ一人になると、「あー私今なにやってるんだろう。もっと頑張らなくちゃ」と空っぽになったことが多々あります。

やっぱりみんなの前に出てもっと褒められたい!認めてもらいたい!という欲求が出てきますね……。


一人じゃ何も培養しませんから、増殖できませんから、退屈なんです。
でもそれじゃ怒りは我慢するしかないのか。いやいや、我慢こそ、躁鬱の一番の天敵です。我慢すればするほど鬱になります。我慢なんかしなくて、何でも好き勝手にやって、天真爛漫に生きる、これが一番なんです。
それじゃどうするのよ。ということで、僕はこうやって書いているわけです。つまり躁鬱人の特徴をちゃんと知って、自覚して、生きればいいってことです。

ここ、目から鱗でしたね。まず、躁鬱人だと自覚すること。そしてその特徴を知ること。その上で無理なく自由に生きる。これが今私が考えうる一番の策だと思っています。

だから、私もこれを書いています。少しでも躁鬱人の苦しみを救いたいという究極の自己満足です。

題名にもあるように、躁鬱人は分かり合えそうで分かり合えないというのが私の考えです。みんなが好きに生きれればそれでいいと思ってます。


せっかく心が柔らかく多方面に友達ができる可能性が高いですから、出来るだけ傷つきやすさを、インスピレーションの塊に変換していきたいですよね。 そのために、こういう時に、こういう返事を、という言葉の技術を身につけていくといいですよ。そうすると、怒らなくなる。そうすると、多方面に広がるまたがる人間関係が培養されていくので、そうすると必然的に多方面から褒められるわけです。それがとにかく躁鬱人の栄養なんです。

人に傷つき、人に救われる。結局躁鬱人はヒトがいないとだめになってしまうんですよね。でも、傷つきやすい。

それならば、傷つかないように動けばいいだけです。他人から言われたことを良いことなら受け入れ、悪いことなら、反省しつつスルッとかわしていく。こんなこと言っておきながら私もまだまだですけれど、そんな術を身に付けていけたらいいですよね。


さて、今回はここまで。

どうです?少しは心が軽くなりましたか?

私も結構救われた部分でもあるので、じっくり読みこんでもらえると嬉しいです。


.......この場をお借りして。
私は双極性障害を研究したいと考えています。



だからたくさんの躁鬱人と繋がりたい。
そして、サークルを立ち上げました。


今現在、加入者が2人なのであまり活動ができずにいます。
その方にも申し訳ないし、もっと気軽にみなさんとお話ししたい。
本当は無料で招待したいところですが、お金を払って下さる方と平等にしたいので申し訳ありませんが100円お支払い下さい。その代わりにサポートなどでお返ししようと思っています。
質問などあればコメント下さい。










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