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分かり合えない躁鬱人⑬

こんばんは。まなみんです。

今回は分かり合えない躁鬱人シリーズ第13弾!

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今回のテキストはこちらの後半部分↓↓↓

「人のいいところを伸ばす助言をする」ということをやってみてください。これもまた躁鬱人は大の得意です。自分よりも人のことがよりよく見えていますから、その人が次どのように動いたらいいか、あれとこれのどっちをやればいいか悩んでいる時など、さっと素敵な助言を提供してあげることができます。時間の感覚が非躁鬱人とは少し違いまして、過去と現在と未来がごっちゃになっているところがあります。だから、非躁鬱人が言うところの未来が、少し見えるわけですね。

これは私、大の得意です。信じてもらえないかもしれないけれど、悩んでいる人に対して、
「あ、こうしたいいじゃん!」ってひらめくんです。

未来、見えちゃってるのかなぁ。


予知能力があるわけではありません。ただ時間の感覚が非躁鬱人と違うってだけです。過去と現在と未来が学年ごとに区分されているわけではなく、縦割り保育みたいにごっちゃになってます。そんなわけで、ある人がどのように動けばいいかがさっとわかるわけです。それはとてもいい助言になりますから、心地よい声で伝えてあげてください。間違っても「なんでお前は俺の言う通りに動かないんだ」なんて罵倒しちゃだめですよ。優しく伝えましょう。一言だけ伝えるくらいで十分です。

うん。これからはそうしよう。

なんか、躁になると、こういうことをたくさん言いたくなってしまうのですが、そうなると逆に信用無くしてしまう気がしています。


さて、人のことはこのようにとんでもないところまで千里の果てまで見ようとして、実際見ることができる躁鬱人ですが、こと自分のことになると一変します。
自分が今どのような気持ちなのかがわからなくなってしまうことも多々あります。
なぜなら、自分を変形させて自分を変えて周りにどんどん合わせようとする性質をもっているからです。
しかも、それを無意識にやることができますので、自分では気づいていません。
しかし、それで落ち込まなくてもいいですよ。
ちゃんと見分け方があります。
それは自分がどう感じているかを言葉ではなく、まず感覚で感じてみるってことです。

そうなんです!無意識に周りの人を飲み込んでしまうんです。

本当に自分がコロコロ変わります。

単に躁鬱人だから波があるというだけではなく、性格さえ周りに影響されて変わるんですよね。

だから本当に時々自分でもどうしようもないほど自分を見失ってしまいます。


躁鬱人は、自分の内面を文字に起こすことは苦手です。
人への助言を長文メールに書いて送るのは得意です。
しかし、自分の内面を感覚として感じ取るのは大の得意です。
はっきり言えば、躁鬱人にとっての言語とは、言葉ではなく、感覚です
そういっても過言ではないでしょう。
自分が今どんなふうに感じているかを言葉にすることはできなくても、心地よいか、窮屈かは、すぐにわかります。
それが躁鬱人たちにとっての羅針盤になりますので、ここはよーく覚えておいてくださいね。 

あれ、私自分の内面を文字に起こすの、苦手だったの?

でも、「躁鬱人にとっての言語とは、言葉ではなく、感覚です」

というところ、しっくりくるなぁ。

私のnoteも感覚を文字にしているものが多いですから。


だから「なんと言っていいのかわからない」などと悩むことはすっかりやめて「今、心地いい? それとも窮屈?」って自分に聞いてあげてください。カンダバシも今日の最初のテキストの次の文、7行目に、
「勘や直感に優れていて、『好き』『嫌い』で生きているところがあります」

これを読んで、実際に自分に問いかけるようになりました。

横になって、心地よかったら、コーヒーの勉強でもするか。と決めるし、

窮屈だったらそのまま寝てしまいます。

自分が感じる感覚を大切に。私もこれを伝えたいです。


「とにかく人は変えようとしない」これもポイントです。
人を変えようとしても、どうせ人は変わりませんから、躁鬱人としてはそれを押し通そうとすると必ず怒りが発生します。
「変えるのは自分だけ」です。
躁鬱人の持ち前の柔らかさで簡単に自分を変えることはできます。
人は一切変えられません。
不可能なことをするとそれがそのまま窮屈に転化します。可能なことだけをすぐさま実行しましょう。

「変えるのは自分だけ」

それがいいです。私は躁鬱になって初めは環境を整えようと、いろいろと奔走しましたが、鬱がひどくなるだけでした。

その代わりに、今まで言われたとおり、自分と対話して、自分が心地良いことをする。

それだけでとても楽になりました。


何も言わずに勝手に行動をすると、その行動自体は窮屈でなくなったとしても、周囲との関係が窮屈になってしまう可能性があります。
だからこそ吐露の術が大変効果的なのです。
吐露すれば、相手も僕がそれで心地いいんだ、と知ることができる。
そして、これを繰り返していけば、周囲にも躁鬱人というものは、自分なりの窮屈でない生き方を生活スケジュールを組んでいれば、とても心地よく生きることができるんだということを実践を通して伝えることができます。

躁鬱人も非躁鬱人にも良いことって、こういうことじゃないでしょうか。

お互いが理解して誰もが窮屈じゃない環境ができる。

それが吐露です。


細かい吐露は周囲にいる非躁鬱人たちに自分の特徴、自分が楽でいられる環境を知らせることにもなります。
それがうまくいくということを非躁鬱人が知れば、非躁鬱人も自分の常識の中であなたを理解しようとするのではなくなります。
だって、躁鬱人が荒れたら、あなたも辛いですが、周囲の人も辛いからです。
できるだけ心地よい生活を送ろうと願うのは、躁鬱人も非躁鬱人も同じです。
ただその感覚が違いすぎるので、それを相互理解するために、躁鬱人は非躁鬱人を変えるのではなく、窮屈な方向ではなく心地よい方向に自分自身を変える、そのことを周囲に吐露する、というこの吐露の術を駆使してみましょう。

こんな簡単なことなのに、なかなか出来ていない人も多いのではないのでしょうか。

これが出来たらみんなハッピーですよね。

なんとなくコツがいるような気もしますが、できるようになればもっと楽に生きられる気がします。




私は双極性障害を研究したいと考えています。


だからたくさんの躁鬱人と繋がりたい。
そして、サークルを立ち上げました。



今現在、加入者が7人です。少しづつ人数が増えています。ありがとうございます。

しかし、さらにたくさんの人と気軽にお話ししたい。

サークルでは今のところ、お悩み相談室のような感じになっています。

辛い気持ちとかをシェアして、それに対して温かいアドバイスが届く。

本当に温かい方たちが集まっていて、いつもほんわかとした空気があるように思っています。いつもありがとうございます。



質問などあればコメント下さい。

サークルでやりたいことも募集中です。

よろしくお願いいたします。









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