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分かり合えない躁鬱人⑰

こんばんは。まなみんです。

今回は分かり合えない躁鬱人シリーズ第17弾!


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今回のテキストはこちらの後半部分↓↓↓



“とにかく環境が変化すると、途端に鬱っぽくなってました。
だから引越しが今でも苦手です。
中高生の時も、とんでもないことをするときと、静かな時の両極端があったと思います。
自分が躁鬱病だなんてことは一度も考えたことはありませんでしたが、突拍子もないことをする、そして時々ホームシックみたいな気持ちになるということは繰り返してました。
でも破綻はしてなかった。
それはなぜかというと、時間が決まっていたからで、やることが決まっていたからです。
高校生までは親元で暮らしてましたので、そして、親は時間がきっちりしていて、昼ごろまで寝るなんてことはしない人でしたので、遅くても朝8時には起きて、朝ごはんを食べて、お昼ご飯も定時に、夜ご飯も定時に、お風呂もだいたい定時に、そして、10時には寝てました。
みんなで川の字になって寝ていたので、寝る時間もみんな同じでした。
朝起きたら、学校に行くのは決まってましたし、学校でも毎時やることが決まってました。
主にやることは勉強と部活だけでしたし、僕は野球部に高校一年生の時まで入ってました。
その時までは確かによかったです。僕が調子を崩すようになったのは部活をやめてからです。
つまり、その時間に何をすればいいのかわからなくなってからです。
これはとにかくヒントになりました。
もちろん学校でやることはつまらないことでしたが、それがたとえつまらなくても、やることが時間で決まっていることの方が重要だった、ということはその後のヒントになりました。”

あ、私も大学生になってから毎日が不規則になり、だんだんと躁状態がひどくなり、そしていきなり鬱になりました。

確かに、時間が決められていた高校生までは突拍子もないことをしでかしてはいたけれど破綻はしなかったかもです。


それは皆さんも同じではないかと思います。
帰宅部だった人は躁鬱の波がより出やすいかもしれません。
とにかく躁鬱人は暇だと鬱になります。
はっきりいうと、鬱は暇だということです。
退屈すると鬱になります。
やっている内容よりも、やる時間が決まっていて、ほどほどに忙しい、かつ、勉強だけでなく、部活など、全く別の活動が多彩に含まれている場合が大変よろしい。
学校は1時間毎で時間割ができてます。
2時間連続で図工するときが幸せでした。
早く終わる土曜日の三時間授業の時の特別感はとても心地よかったですし、日曜日だからといって、ずっと寝てるわけじゃなくて、その時はいつもより朝早く起きて、漫画を描き、ゲームを作って時間を過ごしました。
どれ一つとして、一貫性を持って、やり遂げることなどはせず、どれも適当に中途半端、でもやりたいだけやってました。
かつ、成績が良かったので、それは褒められていた、学校には男子校は無理ですが、僕は共学だったので、とにかくきになる女の子、優しく相談に乗ってくれる女の子、つまり、女の子がいました。
と、いうように、自分が調子が崩れてはいなかった、むしろ、調子がよかった、あの18歳くらいまでの時間の使い方に注目しましょう。
そこにこそ、あなたが楽に過ごすためのヒントがあります。

わー、似ているかもです。

さすがにいろんな男の子はいませんでしたが。

調子は良かったです。無遅刻無欠席だっただけでなく、毎日何時間も平気で勉強して、成績もよく、部活もこなしました。

これは躁状態から来るものなのかなと思っていましたが坂口さん曰く、そうではないのかもしれないですね。


というわけで、僕は「4歳から中高生までもしっかりと躁鬱の波があった。そして、それは上京して一人暮らしをしてから波が強くなり、破綻し始めた」わけです。
最高だなと思っていた時間は小学五年生の時でしょうか。
中学二年生の時もよかった気がします。
高校に入ると、部活がつまらなくなったので、やめてしまいましたが、部活をやめてからおかしくなりました。
カンダバシもずっと下の段に書いてます。
「受験勉強をするからといって、部活や遊びを減らして生活を狭くするのは逆効果となります」

私も、部活や習い事を両立させていたときの方が絶好調でした。

「受験勉強をするからといって、部活や遊びを減らして生活を狭くするのは逆効果となります」

この部分、私がよく後輩にアドバイスすることと同じです。

私も知らず知らずのうちに躁鬱人の技を身に付けていたのでしょうか。



本当にそうなんです。
でも、ついつい一つの大きなことを完遂させたいと焦るあまり、他のことをどうでもいいことだから、やめた方がいい、受験に受かることには、部活は全く関係なく、意味がない、ためにならない、などと考え、イライラして、やめてしまいます。
しかし、そのことで、うまく多彩な活動をすることで、躁鬱の波を拡散することができていたのに、それができなくなり、波が窮屈なところにおびき寄せられ、鬱になってしまいます。
躁鬱人はすぐ、これは意味がない、俺がやろうとしていることに直接、関係ない、時間が勿体無い、俺はもっとこういうでかいことがやりたい、と思ってしまうので気をつけましょう。
躁鬱人にとって重要なのは「何をやるのか」ではありません。
そうではなく「どれだけ多彩か」ってことだけです。
それがなぜ重要なのかは、第12章の「躁鬱人は酋長である」にまとめて書いてますので、そちらを読んでもらうとして、まずは「やっていることの重要性よりも、多彩であることの方が重要である」ということを頭に入れておいてください。
たとえ稼ぎにならないとしても、それが多彩さを生み出しているのなら、それだけで躁鬱人にとっては有益なことです。
体が楽になるのですから。
そんなわけで、学校生活はやっている内容は窮屈極まりないですが、実のところ、その細切れな時間の使い方、受験もあれば、部活もあること、異性と出会う可能性が高いことなど、とにかく躁鬱人にとっては、安定した土壌なのです。
これ以外と感じる人もいるかもしれません。決め込まれた学校生活なんて躁鬱人にとっては不自由そのものだと感じる人もいるでしょう。
ですが、あなたの小さい時を思い出してみてください。きっとみんな躁鬱の波をうまく拡散できていたんです。
学校生活は、実は非躁鬱人にとっては窮屈なところですが、躁鬱人にとっては不思議なことに、その後の生活の基盤となる「日課」の作り方を教えてくれる格好のモデルケースなのです。
もちろんやっていることはつまらないかもしれません。
しかし、やってきたことなんかどうでもよくて、その時間の使い方、興味関心も分裂具合に着目してみてください。

うっっ、心に刺さる部分です。

私もすぐ、「こんなことは意味がない!」と思ってやめてしまいがちです。

うーん確かに学校生活は性に合っていたのかもしれません。

それならアレですね、暇な今も多彩に活動するべきなのかもしれません。


つまり、あなたの躁鬱の波がうまく拡散されていた過去の時間こそ、一度躁鬱病と言われ破綻したあなたが再構築する生活の元になります。
楽にするための方法論がもうすでに存在しているんです。
嬉しくないですか? 
僕はとっても嬉しくなりました。
 次回はそれを元に、どのように僕が時間割を作っていったか、ということを話してみたいと思います。

うん。希望が湧いてきました。

私も坂口さんのように生きられるのなら、あの頃の再現をしてもいいかなと思います。



私は双極性障害を研究したいと考えています。


だからたくさんの躁鬱人と繋がりたい。
そして、サークルを立ち上げました。


たくさんの人と気軽にお話ししたい。

サークルでは今のところ、お悩み相談室のような感じになっています。

辛い気持ちとかをシェアして、それに対して温かいアドバイスが届く。

本当に温かい方たちが集まっていて、いつもほんわかとした空気があるように思っています。いつもありがとうございます。


質問などあればコメント下さい。

サークルでやりたいことも募集中です。

よろしくお願いいたします。






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