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”生きる”ために ”はたらく”ことにした

これまでのわたしが、”はたらいて”きたこと。

学生時代はバー、居酒屋、アパレル、警備、倉庫業務など、学業と両立して稼げることをとにかくやっていた。
アルバイトが生活のほとんどで、掛け持ちをするのが基本だった。

学費を稼ぐため、家賃や生活費を稼ぐため、ワーキングホリデーの資金を貯めるため、奨学金の返済をするため…

卒業後は、やりたい仕事をして、やりがいもあって、それなりに充実した楽しい日々を過ごしていたのだけれど。

就職やボランティア活動で住んでいたオーストラリア、中東、アフリカ。
世界で見てきた、”はたらく”ということ。

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夕方4時には仕事がおわり、同僚とビールを飲みに行く姿。
母国の家族のために海外で出稼ぎをし、送金をする人々の姿。
外気温45度を超える中、エアコンの効かないバスで外仕事に向かう出稼ぎの人々の姿。
家族を養うため、学校に行けず、遊ぶこともできずに働く子どもたちの姿。

いろいろな姿を見ているうちに、”お金”の不平等さや価値観について、意味がわからなくなってくる。
生きるためにお金が必要なのは同じだけれど、生まれた環境が異なるだけでも、大きな違いを産む。

そんな中、貧困と呼ばれる国で、”はたらく”人々の姿にわたしは感銘を受けた。
みなが畑仕事をしながら、自分たちの食事を育み、家族と時間を共に過ごし、生きている。
きっと、現代のように発展するよりも昔に、日本でも見られた光景のように。

そこには、わたしがこれまでにしてきた”はたらき”とは違う、命のために時間を使う姿を見た気がした。

”はたらく”ことは、”お金”を得るためだけの手段だろうか。
わたしには、”お金”という対価を得るためだけのはたらき方ではないほうが、魅力的に想えた。

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それは、命を育むために”はたらく”ということ。
野菜を育てることや、保存食を作ること、衣服を繕うこと、山の恵みを頂くこと。
”お金”として還元されなくても、それらは自分が生きていく上で必要なこと。

例えば、社会の歯車が機能しなくなってしまった時にも生きていける力。
お金に頼らずに、命あるものとして自立して生きていける力。

そんなものを身につけるために、お金のためだけでなく、自分の命を育むために、”はたらく”ということをしたい。
地位や名誉も関係なく、生きものとして。

地球にも、動物にも、人々にも優しい在り方で、”はたらいて”いきたい。
そんな生き方を、はたらき方を、模索しています。

#私らしいはたらき方


manami







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