決断し、行動し、成し、そしてまた。
何かと忙しなかった1月を抜けて、
2月も中頃に差しかかろうとしている。
そしてこのタイミングで、
1つ、誰にも言わずに、自分の中で決断をした。
その決断について書くのは別の機会に譲るとして、
思ったことは、
自分にとって大切なものや
人生を揺るがす物事については、
「行動」より先に、
いつも必ず「決断」があるということ。
*
決断のない行動は
あくまでも「決断のための行動」でしかなく、
自分の人生を動かすことには繋がらない。
定まらず、揺るぎやすく、自分を見失いやすい。
私の場合は、
特に自分で何かを決断する時には
やって、やって、やった後に
「決断の時」を迎えることが多くて、
逆を言えば、
やって、やって、やらない限り
「決断の時」は来ない。
だからその過程で
間違えることも多くて、
傷つくことも多くて、傷つけることも多くて、
何も定まらなまま、揺らぎに揺らぎ、
自分を見失っては落ち込んで、もがき続ける。
でも代わりに、決めたらもう、
決断したことを成すまで、絶対に揺るがない。
そして、そこに至るまでの過程を
後悔することも、恥じることも、
黒歴史にすることも、特にはないのだ。
*
揺らいでも、惑っても、
最終的に必ず自分に立ち還って、
自分の軸に沿って
自分の意思で決断ができるのは、
決して止まらずに進み続けられるのは、
私の強いところだと思う。
(ただし自分がした決断に対しては
人の意見を全く聞かなくなるので、
融通が効かないし、頑固だし、
何を言っても無駄な人間になる)
その決断が正しいかどうかは、私には関係ない。
常に最良であるように決断するけれど、
それがまさしくその通りであることも、
そうじゃないこともある。
その瞬間は正しくても、間違っていても、
時間の経過や私自身の変化、
周りの人たちの変化、環境の変化によって
悪い方向に、良い方向に向かうことだってある。
できるのは、
決断したことを実現するために模索し、
行動することだけだ。
だから、正しかろうが間違っていようが、
そんなことは関係ないし、
そもそも正しい、間違っていると
一括りに判断できるものでもない。
決断して、行動して、まず確実に成して。
その先の日々を過ごす中で
必要に応じてまた新たに決断をする。
その繰り返しで生きていくし、
だからこそ、決断がなければ何も始まらない。
*
決断したら私は強い。
決断さえできてしまえば、
あとはただ進むだけなのだ。
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