見出し画像

決断し、行動し、成し、そしてまた。

何かと忙しなかった1月を抜けて、
2月も中頃に差しかかろうとしている。

そしてこのタイミングで、
1つ、誰にも言わずに、自分の中で決断をした。

その決断について書くのは別の機会に譲るとして、
思ったことは、

自分にとって大切なものや
人生を揺るがす物事については、
「行動」より先に、
いつも必ず「決断」があるということ。

決断のない行動は
あくまでも「決断のための行動」でしかなく、
自分の人生を動かすことには繋がらない。

定まらず、揺るぎやすく、自分を見失いやすい。

私の場合は、
特に自分で何かを決断する時には

やって、やって、やった後に
「決断の時」を迎えることが多くて、

逆を言えば、

やって、やって、やらない限り
「決断の時」は来ない。

だからその過程で
間違えることも多くて、
傷つくことも多くて、傷つけることも多くて、
何も定まらなまま、揺らぎに揺らぎ、
自分を見失っては落ち込んで、もがき続ける。

でも代わりに、決めたらもう、
決断したことを成すまで、絶対に揺るがない。

そして、そこに至るまでの過程を
後悔することも、恥じることも、
黒歴史にすることも、特にはないのだ。

揺らいでも、惑っても、
最終的に必ず自分に立ち還って、
自分の軸に沿って
自分の意思で決断ができるのは、
決して止まらずに進み続けられるのは、
私の強いところだと思う。

(ただし自分がした決断に対しては
人の意見を全く聞かなくなるので、
融通が効かないし、頑固だし、
何を言っても無駄な人間になる)

その決断が正しいかどうかは、私には関係ない。

常に最良であるように決断するけれど、
それがまさしくその通りであることも、
そうじゃないこともある。

その瞬間は正しくても、間違っていても、
時間の経過や私自身の変化、
周りの人たちの変化、環境の変化によって
悪い方向に、良い方向に向かうことだってある。

できるのは、
決断したことを実現するために模索し、
行動することだけだ。

だから、正しかろうが間違っていようが、
そんなことは関係ないし、
そもそも正しい、間違っていると
一括りに判断できるものでもない。

決断して、行動して、まず確実に成して。

その先の日々を過ごす中で
必要に応じてまた新たに決断をする。

その繰り返しで生きていくし、
だからこそ、決断がなければ何も始まらない。

決断したら私は強い。

決断さえできてしまえば、
あとはただ進むだけなのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?