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錬金術を終わらせた研究者、ラヴォアジェ:錬金術から学ぶ①

 noteを始めたばかりの時にオカルトの科学解説シリーズを書いたが、その時、唯一後回しにしたのが「錬金術」でした。というのも、Alchemist(錬金術)はオカルトではなく、古代から常に最先端の科学として君臨していたという長い歴史を持っているからです。とても、1記事でまとまるようなものではなったわけです。歯科医療の歴史シリーズでかなり背景をまとめることができたので、錬金術について考察してみる。(小野堅太郎)

 錬金術というと「そこら辺のゴミのようなものを価値のある金に変える」というのが一般的な認識。「そんなことありえないよね」ということで、現在は錬金術は「オカルト」認定されているわけです。ちょっと待ってください。現代の科学では、「ほかの物質を金に変えることは不可能ではない」です。ただ、それによってできた「金」の価値が「それを行うための装置・設備」の経済的価値よりはるかに低いという問題があります。よって、正確には、「錬金術は現代化学により達成されたが、誰も儲からなかったので廃れてしまった。」という考え方が正しいでしょう。

 つまり、錬金術は今にしてみれば「ムリゲー」だったわけです。でも、どうして当時の研究者たちは錬金術にとりつかれたのでしょうか。なぜ、信じてしまったのでしょうか。科学史を学んでみれば、当時の錬金術師たちが何でも闇雲に信じてしまうような人ではなく、現代科学の中で偉大な発見をしてきた論理的に優れた研究者たちであることは周知の事実です。というか、中世ヨーロッパの研究者はみんな錬金術師であったといっても過言ではないほどです。

 これを理解するためには、小学校以降での「理科」「物理・化学」をいったんすべて忘れてみる必要があります。敬愛するSF小説家アイザック・アシモフは「科学と発見の年表」という辞書のような本を残しています。生化学者でもあった彼は科学造詣の深い作家でした。この本の中で、ヒト族の初めての発見は「二足歩行」、2つ目は「石器」、そして3つ目は「火」となっています。錬金術は、明らかにこの3つ目の発見から始まっています。

 子供が小さい頃はよくキャンプに連れていき、焚き木をしました。乾燥した木片に火をつけると炎は広がり、夜の闇をちらちらと揺れながら照らしてくれます。鍋を火にかけ肉や野菜を煮込んだり、直火でソーセージやマシュマロを焼いたり。そして、翌朝、真っ黒く炭となった木片を片付けます。木片は炭となり、料理は色や形や硬さを変えて、「別のものに生まれ変わり」ました。「他の物に化けている」わけですから、「物が化ける学問」として「化学」になるわけです(よく同音の科学と区別するために「ばけ学」と言いますよね)。このような日常的「事実・体験」こそが、錬金術が長い間支持され、発展した理由だと思われます。アシモフによれば、50万年前からヒトは火を使ったとされています。

 火は、「光」と「熱」といったエネルギーを生み出します。エネルギーとは「仕事をする力」です。何らかのエネルギーは、何らかの別の仕事に変換されます。「光」と「熱」への変換効率については、吉野先生の過去記事「なぜホタルは熱くならないの?」を参照してください。

 火は、小学校・中学校の「理科」で習います。当たり前のように習ったと思いますが、実は人類の英知の結晶です。燃焼は、「発熱と発光を伴う酸化反応」と習いましたね。燃焼の実態を明らかにしたのは、18世紀末のフランスの化学者ラヴォアジェです。彼は「質量保存の法則」(1774年)で有名ですね。「閉鎖された空間において、物が化ける前と後では重さは変わらない」ということです。燃え尽きたものが軽くなるのは、空気となって外に出てしまったからだよ、ということになります。当時は、この空気のような目に見えない謎の物質を「フロギストン(phlogiston)」と呼んでいて、これが炎になると考えられていました(まだ、気体という言葉がない時代ですので、「空気」と書いていきます)。ところが、金属は燃やすと重さが逆に増えるので、矛盾があります。

 ラヴォアジェとしては、自分の発見した質量保存の法則に従えば「空気中の何かが金属と合成された」と考えれば矛盾が無いわけです。これをリン、硫黄、錫を用いて加熱後に重さが増えた分、空気の量が減っていることを実験的に確かめます。さらに、水銀灰は加熱で重さが減ることに注目しました。水銀灰を加熱すれば新しく空気が増えるのではないか、というわけです。そこで、水銀灰をガラス閉鎖空間に入れ、レンズで集光して離れた物質を加熱するという方法を取りました(この実験法の発案者はプリーストリーという別の研究者)。加熱後に明らかに空気の量が増えており、今でいう「還元」にも成功したわけです。この空気のことを「酸素(酸の素)」と1779年に命名します。

 現代の我々からすると「大発見」ですが、当時の科学界では、全く彼の主張は受け入れられませんでした。錬金術で基本となるのはアリストテレス4元素、「火」「水」「空気」「土」です。これらは生命や物質の素であり、これ以上分割できない元素です。ラヴォアジェは、金属が加熱により別の物になる仕組みを、「酸素との結合」で説明しました。まだ、4元素を否定しているわけではありません。

 転機が訪れます。1783年、イギリスのキャヴェンディッシュが、強酸と金属を作用させたときに発生する「気体」と「酸素」を混ぜ、電気火花を放つと「水」ができた、という実験結果を報告します。これを知ったラヴォアジェは、水を分解しようとするわけです。加熱により酸素は金属と結合するわけですから、水を少しずつ加熱した鉄棒内部に垂らせば、水の中の酸素は鉄と結合して、何らかの空気が発生するだろう!というわけです。そうして見事に謎の空気が水上置換で回収されるわけですが、1784年、これを水の素「水素」と名付けます。さらに、同年、巨大な実験装置を作り、この水素と酸素を混ぜて電気火花をちらして「水」の合成に成功します。

 ラヴォアジェの功績をよーく見てみると、一番乗りではありません。しかし、彼が凄いのは、精密な秤、を作ったことです。木を燃やしたら炭になった、というのは定性的(質の評価:観察)ですが、燃やしたら木の重量が○○gから△△gになったというのは定量的(数値の評価:測定)です。水素と酸素の重量比を15:85(3:17)と書き残しているようですが、実際は2:32。ほどほどの精度のように感じるでしょうが、気体重量ですので、当時の設備でここまで測定できたのは凄いことだと思います。この成功によりフロギストン説は消えていき、ラヴォアジェの理論がようやく受け入れられます。また、科学実験が、定性的なものから定量的実験へと移っていくことになります。

 本人が意図していたかは別にして、ラヴォアジェにより「水」は元素ではないことが証明され、錬金術は完全に崩壊したことになります。1789年には「化学原論」で多くの元素をリストに上げるものの、フランス革命後の1794年、貴族出身のラヴォアジェは死刑に処せられます(詳細はWikipediaに)。往々にして、歴史に名を遺した研究者の多くは不遇の死を遂げています。


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