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千年医学を確立したギリシャ人ガレノス:歯科医療の歴史(古代ローマ②)

 500年前に存在したヒポクラテスを崇拝し、似たような医学修行を経て、哲学を取り込みつつ、あらゆる学派の意見を吸収して多数の医学書を残したガレノス。彼の残した医学は、1000年以上の長きにわたり、医学会の正典として君臨する。(小野堅太郎)

 ケルススの残した炎症の4症候に、5つ目の「機能障害」を加えたガレノス。ただ者ではないのである。医学史を語る上で最重要人物であり、この人が残した医学について語りつくすには1万字では足りない。いつ小幡英之介、国永正臣までいくのだと自問自答しながら、ガレノスは1記事でどうにか納めないとトンデモナイことになると自制しつつまとめていきたい。

 紀元130年ごろ、現在のトルコであるベルガモンに生まれる。アレキサンドリア、エフェソスに並ぶ学問の地に生まれ、ローマ帝国支配下にあるギリシャ人として裕福な建築家の息子として生を受ける。ガレノスという名はギリシャ語で「のどか」という意味。この名とは正反対に、活動的で、権力への批判を恐れない、激しい性格であったとされる。数々の学問を修め、17歳で医学を志して郷里で学んだ後、スミルナ(イズミル)修行を経て、没落したアレキサンドリアで5年間、人体解剖を学ぶ。里の剣闘場で外科医として働いた後、30代半ばでローマに行って外国人名医としての評判を得ると、宮廷医として働くようになる。しかし、他の医者と激しく喧嘩していったん郷里に戻るが、皇帝マルクス・アウレリウス(五賢帝最後)の典医として呼び戻される。この後30年間めちゃくちゃ著作に励み(ガレノス全集22巻)、199年没したとされる。当時の社会情勢としては、ローマ帝国安定の五賢帝時代から、ゲルマン人のローマ侵攻とセウェルス朝誕生といった時期を生きた人である。

 解剖学を医学の基礎とし、アリストテレスの学説に異を唱え(心は心臓ではなく脳にある!など)、ヒポクラテスの医術哲学を実行した人です。ですので、相変わらず4体液説を信望しますが、プネウマ説という「大気中から吸い込まれた精気が生命活動を担う」との話を打ち出します。というのも、彼はかなり動物を使った実験を行なっており、呼吸の重要性と、血管や神経が何を行なっているかをほぼ把握していたと思われます。動脈血と静脈血を分けていますし、神経が運動や感覚を伝えていることもしっかり書いています。ただし、血液が循環していることはわかっていなかったようで、「呼吸による大気の精気を取り込んで動脈血ができる。」というようなことを主張します。これが後にウイリアム・ハーベイに否定されます。「心室には穴があって」という記述も残しており、ベサリウスにも否定されています。現代生理学・解剖学の父たちに後でこぞって千数百年後に否定されるわけです。

 さて、歯科についてですが、かなりすごいことを書いている。まず、歯の神経は三叉神経(上顎:第2枝、下顎:第3枝)に由来しますが、脳から直接飛び出た神経です。これをサルの脳の解剖から同定しています。こういった解剖に基づいてか、歯の痛みは歯そのものの時と歯茎を基にしているときがあると分類しています。さらには、歯のホワイトニング(漂白)や髄腔穿通法を残しています。髄腔穿通法は、疼くようなひどい歯痛の時に歯に穴をあける方法で、現在でも使われています。

 199年頃にガレノスは没し、その後いろいろあってローマ帝国は西と東に分かれます。ローマ帝国、特に西ローマ帝国ではラテン語が公用語でしたがギリシャ人のガレノスはギリシャ語で書物を残していたことから、東ローマ帝国で受け継がれます。しかし、392年にローマ国教となったキリスト教の影響で、キリスト教に基づかない学問は排斥され、ローマ帝国での医学発展は止まってしまいます。

 次は、アラビア医学の歯科についてです。


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