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学力偏差値の使い方: 受験を考える②

 遥か30年前、高校・大学受験において偏差値を気にして生きていた。この学力偏差値というものは何だったのか。思い返してみる。(小野堅太郎)

 受験勉強(学力)は残念ながら頭の良し悪しを決めるものではない。そもそも「頭が良い」とは何なのかという定義がないので、頭がいいかどうかなんて測る指標はない。知能指数(IQ)は論理の理解、パターン認識、短期記憶などの能力を測るものである。学力とは違って、生まれながらに備わる「脳力」みたいなものだ。とはいえ、学力との相関係数は0.4〜0.6と言われている。完全な相関が1なので、「まあまあ関連しているが、IQで学力が決まるわけではない」という解釈になる。予想するに、学習時間と勉強できる環境(塾や予備校、家庭教師など)がかなり影響していそうである。では、学力で合否を決められる入試において、偏差値上位校の生徒たちは全員が成功し、偏差値下位校の生徒は失敗するかというと、そんなことないのは周知の事実。他の記事でも書いたが、成功と失敗はほとんど「運」だと思うので、成功失敗で頭の良し悪しが決まるわけでもない。そもそも「成功」とか「失敗」が何なのかという議論にも発展してくる。ここまで書くと、「頭が良い悪い」の議論がどうでもいい話だということが明確になってくると思う。

 話を整理すると、IQ、学習時間、環境の3つの要素で学力が決まっているということである。ゆえに、学力を測る指標としての偏差値は現時点での学力を示しているだけで、勉強すれば上がり、しなければ下がり、良い指導者にあたれば上がり、そうでなければ下がるというだけである。IQのような生まれながら固有の能力も多少影響するが、個人の学力を一時的に評価している数値にしかすぎない。

 偏差値はどうやって計算されているかというと、一般的な正規分布統計を用いている。正規分布(normal distribution)というのは何かというと、「自然界の数値分布に比較的よく当てはまる分布」のことで、数学者たちによる長い試行錯誤の歴史の中から定式化された経験則である。平均値が最も数が多く、それから外れる高い値、低い値は徐々に減っていき、端っこに行けば行くほど稀になっていく、というような左右対称の山のような分布である。別の言い方をすると、山の裾野からジワジワと盛り上がってきて頂点に辿り着く前になだらかになるような山である。このモデル(模型)に受験生の成績分布を当てはめていく。点数分布が正規分布であると仮定するならば、「平均点は頂点の値50」となる。偏差値50は上位50%の位置、55は上位31%、60は上位16%、70は上位2.3%ということになる。ちなみに、IQの方は平均を100としており、130以上なら上位2.3%(学力偏差値の70に相当)となる。

 模試では、受験生が母集団となるので「どんな人たちが受験したか」は重要になる。学力上位者だけが受験するような模試ならば平均値が上がってくるので、いつもより低い偏差値が出やすい。つまり、偏差値を見る際には「受験生の特質」を把握しておかないといけない。模試を行った会社は、その模試の結果をプールしておいて、実際の入試の結果を追跡調査する。そうして、合格者たちの偏差値を取りまとめたものを、次の年度の受験生たちに提供している。会社によりまとめ方が異なっていて、平均偏差値、もしくは合格確率80%、60%、50%と様々である。合格確率は興味深く、入試倍率などが加味される。なので、九州歯科大学の偏差値を調べると、42〜66までの様々な値が出てくる(歯学科と口腔保健学科合わせて)。母集団の違いと偏差値の処理法が異なるので、こんなことになるわけである。

 母集団ということを考えると、科目数と時代的な変化も考慮しないといけない。往々にして、理系は受験科目が多く、文系は少ない。国語や英語などの共通する科目は、どうしても勉強する科目の少ない文系受験生の方が成績が良くなり、偏差値が高く出てくる。つまり、受験科目が異なれば、偏差値は変わってしまい、比較することはできない。さらに、30年前の大学進学率は30%ほどだが、現在は60%近くになっている。大学入学者数に大きな変化はないので、18歳人口が半分に減ったことが影響している。そうすると、私が受験していた30年前よりも、私の子供が受験する現在では母集団が明らかに異なっている。よって、ある学校の偏差値推移を特定の会社のデータに限って読み取ったとしても、進学率の大きく異なる過去データとの比較はあまり意味がない。

 と、こんなわけでネットで公開されている偏差値情報は、今、勉強している受験生にとっては重要な指標だが、そうでない人にとっては混乱や誤解を生むだけのものである。また、自分の偏差値を他社の公開偏差値を参照して右往左往するのも意味がない。毎回受験した模試の偏差値、特にそれから判定される合格判定A〜Eが重要である。教育内容や地理的要素、学費などから早めに志望校の選定をしている受験生が強い。模試の度に志望校を変えていると、成長しているのかしていないのかの判断ができなくなってしまう。

 元々の志望校の合格可能性が低いとなれば、志望校を下方修正するのに偏差値は有効である。特に受験の夏シーズンにでもなれば、全受験生が勉強に本格的に取り掛かるので死ぬ気で勉強しても偏差値が大きく上がることはない。逆に、ここで勉強をサボると偏差値は急落確実なので、よく聞く「A判定なのに不合格だった」はA判定に安心してサボった証拠である。偏差値は相対値なので、受験生みんなが頑張っている期間においてサボれば落ちるが、頑張っても上がらない。高い偏差値を出すためには、他の受験生が勉強していないうちに勉強して先に高い偏差値を出し、それを持続させる以外に方法がない。受験浪人するということは、時間を1年巻き戻したと見做せる。一年あるからと手を抜いて夏から勉強し出したら、浪人の意味はない。

 というわけで、自分の目標を達成する上で、偏差値は受験生にとって目にみえる有効な学力指標であるといえる。しかし、偏差値で各学校をランキングしたりするのは、全く意味がない。むしろ、学費、就職率・就職先に差がないのなら、偏差値が低いところの方がお得である。とはいえ、学歴、学閥というのも社会に出たらある。なので、できるだけ伝統のある有名校に合格したいという気持ちは尊重したい。しかし、そのために偏差値を上げなければいけないとしたら、努力と得る価値が釣り合うかどうかは考えなければならない。

 もう一つ、偏差値の使い方として志望校の上方修正がある。ちょっと勉強したら、意外に成績が上がってしまって志望校の変更を勧められる受験生もいるだろう。決めた道があるのなら、偏差値関係なく志望校を受験して問題ない。でも、逆にサイコロを降るように、偏差値から行く学校を決めるような人生があってもいいのかもしれない。正直、人生はわからない。そんな人生の選択が、意外な何かを生み出す可能性もある。ただし、上方修正は慎重な判断が必要で、偏差値が高いからといって医療系学部に気軽に変更してはいけない。合格すると、ほぼ就職が確定してしまうからである。

 受験はきつい。皆が頑張る競争なので、気を抜くとレースから離脱してしまう。無意味な暗記の連続と解答テクニックに嫌気が差すこともあるだろう。しかし、入試はもの凄く公平な試験である。社会に出たら、“公平”なんて吹き飛んでしまう。志望校に合格できれば、自信に繋がるだろう。一方、偏差値から元々の志望校より偏差値の低い別の学校に合格したからといって「自分は目標を達成できなかった」と考えてはいけない。なぜなら、その学校を目指したが断念したり、不合格となった人たちがたくさんいるからである。何にせよ、合格したということは、「運が良かった」のである。努力の証拠であり、それを誰も蔑むことはできない。人生の一大イベントになるので、可能な限り、頑張ってみればいい。と、思うのである。

 受験制度の問題点が議論されているが、すぐに変わるわけではない。中国、韓国、日本での暗記型受験お祭騒ぎは隋から清の時代まで行われた科挙(官僚試験)の影響がないとは言えない。長い歴史の中で社会に根付いた価値観はそう簡単に覆らない。未だに変わらない偏差値重視の受験方式はこれからも続くだろう。種々の不満は置いといて、取り敢えずは現状の制度の中で自分の人生を切り開くしかない。そして、より理想の未来を作り上げていって欲しい。

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