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大学に行く意味はないのか: 受験を考える①

 ネットニュースで「大学に行く意味がない」との話に反響が集まっているとの情報を見た。自分が大学教員であることと、大学生と高校生の親であるという立場からすると耳の痛い話である。(小野堅太郎)

 まず、九州歯科大学のような医歯薬系の大学の場合は、卒後に国家試験(医師、歯科医師、薬剤師)があるので受験資格を得るために大学に行かないといけない。これに関しては議論の余地がない。10年ほど前に、看護師、歯科衛生士の専門学校を4年制にして大学に組み込む動きがあり、歯学部口腔保健学科、医学部看護科などが設立された。他の学部でも短大が大学に組み込まれており、短大が減少して大学の学生キャパが増えている。このように大学教育の裾野が広がってきているのは事実である。就職においても「大卒」を採用基準にしているところは多く、基本給が大卒と高卒とに差があることがほとんどであり、大学を卒業するメリットは確実に存在する。

 経済協力開発機構(OECD)というのがあり、現在、自由主義経済で対等関係を築くために38カ国が加盟している。ここでは、主に経済的な視点から様々な統計情報が公開されている。教育も経済上重要な要素であるので、各国の大学・大学院進学率やその収入などが比較できる。多くの国が高等教育(大学教育)を受けた者の方が就職率が高い。ここら辺は、マナビ研究室のYouTube動画で解説しているので、詳細はそちらをご覧いただきたい(11:52からOECDのデータが出てきます。活動初期の動画のため撮影がピンボケしていて、すみません)。

 このように国内、国外を見ても大学進学のメリットは厳然として存在するのだが、なぜ「大学に行く意味がない」との意見が出てくるのか。論点を資金、時代、教育の質の3つにまとめてみる。

1.資金

 資金とは奨学金のことになる。大学に通うための学費・生活費のために奨学金を借りることがあるが、「卒業後に奨学金を返せない」という問題が挙げられる。上の我々の動画でも議論しているが、日本は他国に比べて教育への公的資金が少なく、各家庭からの出費負担が大きい。ということは、家庭の経済状態によっては、大学進学を諦めるか、奨学金を借りて進学することになる。

 奨学金を借りている大学生は50%程度と言われている。アメリカでは、70%が奨学金(というかローン)を借りている。学費は日本と比べて倍ほどもあるので、卒後に返還できないことが社会問題となっているのは確かである。一方、ヨーロッパ各国では「返さなくていい」場合が多いとされ、日本でも学生支援機構(旧育英会)では返還免除の割合をここ数年上げてきている。さらには、2020年に大学無償化がスタートし、低所得層の学費補助が始まった。日本政府がようやく手をつけ始めたというところなので、成果はまだ出ていない。よって、「奨学金返済」についての話は一部、的を得ているが、今後に希望がないわけではない。

2.時代

 時代の変化に合わせて教育にも変化をもたらす必要がある。しかし、20数年前に始まったインターネットは社会を大きく変化させ、教育がその変化についていけていない。子供の高校入学時に電子辞書を買うよう指示され、「スマホでいいのでは?」と思ったが、スマホは持ち込み禁止であった。ネットにより情報を容易に得ることができる現在、大学の存在意義が下がっていることは確かである。大学に行かずとも、オンラインサロンなどで人脈を広げ、得た情報からKindleで必要な書籍を購入して勉強することができるのなら、大学は不要かもしれない。しかし、日本の多くの高校がスマホ禁止となっており、ネットリテラシー教育を十分に受けていない高校生には無理な話である。

 インターネットが普及していない30年前の大学進学率は30%台であったが、現在は60%に迫るほど増えてきている。大学入学者数(60万人)はさほど変わらないので、少子化による18歳人口(母集団)の減少が影響している(200万人→100万人)。それでもOEDC加盟国の中では真ん中より下の順位であり、「日本の大学進学率は低い」というのが国際的な評価である。20年後の予想では18歳人口は80万人とされているので、75%の大学進学率となり、現在のアメリカや韓国と同程度になるだろう。高等教育においては両国に20年ほど遅れていると考えることもできる。オーストラリアやアイスランドは2012年の時点で90%超えている(留学生込みなので、もう少し低く見積もる必要がある)。世界の情勢から見ても、大学進学率が今後も上昇していくのは確実である。

3.教育の質

 では最後に、教育の質について考えてみる。大学で学ぶ内容は若者の時間とお金を費やすのに十分な対価となっているか、ということである。受験勉強という学問の本質から離れた訓練ばかりをしてきたティーンエイジたちが、いきなり誰からの指導もなく「学問」ができるかというと、それは不可能である。卒後も大学院へ行き、研究者の道を進むというなら学問は必要だけれども、そうでない人にとって学問など不必要。必要な知識や技術を自分で身につけれれば十分、社会で生きていける。という反論もあるだろう。確かにその通りである。おそらくこれからの大学は「学問の追求」と「就職予備校」の2つの役割を担わないといけなくなる。

 歯学部の基礎科目(生理学)教員をやっていると悩むことがある。CBTや国家試験に関する内容だけならわずかな授業コマ数でいいが、学問としての生理学を教授するには現在の授業時間では全く足りない。医学は常に進歩するものである。学問に基づいて新しいことを明らかにして医療をより良いものに変えていかなくてはならない。そのためには、一定数の研究者を輩出していく必要があり、学生の中に存在する潜在的研究者を発掘することは大学講義の醍醐味である。しかし、多くの学生は研究者になることよりも、歯科医師国家試験に合格することが目標である。歯学部歯学科で6年過ごして国家試験に合格できないのであれば、何のための大学生活であったかということになる。ゆえに、公的試験の攻略といった予備校的講義も必要となってくる。予備校的授業に否定的な教員は少なからず存在するが、社会がそれを要求している。九州歯科大学は国公立大学歯学部で最も偏差値が低く、国家試験の合格率が上位である非常にコスパの良い大学だが、教員の実情としては結構大変である。歯科医師国家試験の難化という別問題が存在してさらに大変であるが、乗り越えるべき課題である。

 いずれにせよ、既に「就職予備校」的活動に本格的に取り組んでいる私立大学だけでなく、国公立大学も取り組みを始めてくると思われる。そうなってくると大学に行く価値は確実に上がってくる。

まとめ

 「大学に行く意味がない」という指摘は、現在の大学実情と照らし合わせると決して的外れな指摘ではないことがわかる。奨学金を借りてまで進学する必要があるのか、自分の努力とアイディアで大学に行かずとも目標を達成できないか、大学は本当に自分の目標達成を助けてくれるのか、といった重要な示唆を与えてくれる。実際に私が自分の子供と大学進学について話すとき、「大学に行かなくてもできないか?」という話を初めにしている。そこから話を始めないと「大学受験のモチベーション」は生まれない。

 一方で、注意しないといけない点もある。資金面に関しては、国が既に動き始めている。ネットリテラシー教育は現在の高校教育ではまだ不十分であると言わざるを得ない。大学進学率が今後も上がり続けるのは周知のことである。そして、就職予備校としての大学機能の充実化が予想される。現在は過渡期であり、「大学に行く意味がない」は現実性を帯びているが、今後ずっとそうであるかはわからない。1大学人として、非常に鼓舞される指摘であったと感じている。

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