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ルネッサンス医学を支えることになる二人のアラブ系医師:歯科医療の歴史(アラビア医学②)

 前の記事(アラビア医学①)にて、ラーゼス(アル・ラーズィー)について語りました。彼は925年に没したとされます。その11年後に、現在のスペインでアブルカシスが生まれ、55年後に現在のウズベキスタン近辺でアヴィセンナが生まれる。この二人のアラブ系医師の歯科医療について概説する。(小野堅太郎)

 イスラム帝国ウマイヤ朝は7世紀から北部アフリカへの領地広げ、さらに海を渡ったイベリア半島まで勢力を伸ばします。ウマイヤ朝はアッバース家による革命に敗れ、アッバース朝が誕生します。命からがら逃げたウマイヤ朝生き残りは何とかイベリア半島で再興します(後ウマイヤ朝の誕生)。ですので、アブルカシス(アブー・アル=カースィム・アッ=ザフラウィー)がコルドバの西メディナアザハラで生まれたときは、ヨーロッパ・スペインというイメージではなく、イスラム圏であったわけです。

 アブルカシスの正確な生まれ年や詳細な生い立ちは、実は明らかではありません。ですので、936年に生まれたと書きましたが、本当かどうかはわかりません(日本のWikipediaには明記されています)。ただ、一生をコルドバで過ごし、没する1013年まで、外科医として臨床と教育に捧げた人生を送ったようです。膨大な量の外科手術器具を考案しており、メスや縫合針などは今でも使われています。猫腸から作った生体吸収性の縫合糸も使用しており、現代の外科さながらです。自殺で喉にナイフを突き刺した少女を診た際に、血管に傷がないこと、気管から息が漏れていることに気づきます。そこで、気管を縫合したところ回復したことから、「気管切開は危険ではない。」と書き残しています。当時の医学が経験の蓄積による実践的医療であったことがわかるエピソードです。さて彼が残した全30巻「解剖の書」は中世ヨーロッパ、特にフランスで絶賛され、ルネッサンス期を超えて500年間ほど外科のバイブルとして愛用されます。その中に歯科に関するものがあるのわけですが、手術器具や材料開発が得意な彼らしく、歯周病、歯科補綴、歯科矯正に関して驚きの素晴らしい内容があるので紹介します。

 歯周病は、歯の根元(歯茎の縁)に溜まった歯垢(プラーク)が蓄積して炎症を起こし、歯と歯茎の間にできた隙間に溜まった歯垢が歯石となってさらに増悪させてしまう病気です。歯を支える歯茎の骨が溶け(吸収され)、より歯がグラグラして抜けてしまうわけです。アブルカシスは「歯石をとれば予防・治療に繋がる!」となって、歯石を除去する器具(スケーラー)を開発します。加えて、グラグラしている歯を金と銀でできたワイヤーを使用してしっかり根付いた歯と連結して固定します(暫間固定)。現在の歯周病治療では、まず「歯磨き指導(プラークの機械的除去)」を行って患者さんがきれいにちゃんと歯磨きする習慣がついたら、歯石除去を行います。グラグラした歯はレジンという接着剤のようなもので連結したりします。これを基本治療というのですが、1000年前にアブルカシスにより歯周炎の基本治療は始まっていたわけです。

 基本治療後に、歯を支える骨(歯槽骨)の再生をしたりするのが現代の治療手順ですが、当時は当然できません。残念ながら、ポロリと抜けてしまったり、抜いてしまわないといけない歯も多いわけです。そこで彼は、歯をもう一度埋め込んで固定したり、歯がないなら牛の骨で作った人工の歯を使って差し歯のようなものを作っています。歯科補綴です。

 さらに、「歯並びが悪くて人に不快感を与えるような場合は、抜歯すればよい。歯がくっついている場合は(癒合歯?)、数日かけて少しずつインドの鉄鋸で切除する。」とある。インドの鉄と言えば、ダマスカス鋼(ウーツ鋼)である。紀元前の古代インドで開発され、美しい波縞模様を持ち、鉄の鎧も切り裂くと言われた、硬くてよく切れる鋼材。現代でいう、歯科矯正、審美歯科にも興味を持っていたようです。

 980年、アヴィセンナ(イブン・スィーナー:全名アブー・アリー・アル=フサイン・イブン・アブドゥッラーフ・イブン・スィーナー・アル=ブハーリー)が中央アジアで生まれます。アブルカシスとは半世紀程ずれます。この地域はアッバース朝に忠誠を誓うサーマーン朝が支配している地域でしたが、ちょうど北方のカラハン朝から南下侵攻を受け始めた時期でした。アヴィセンナは幼くして数々の学問を習得した神童で、サーマーン朝君主の病気を治したりして十代で医者としての信任を得る。しかし、999年に仕えていたサーマーン朝がカラハン朝の攻撃により滅亡、父の死もあり生活苦に陥り、22歳から放浪の人生を歩む。現在のイランに入り、ラーゼスの故郷レイに滞在したり、いろいろ不器用な経過をたどりながらハマダーンを経てイスファハーンに移住する(詳細はWikipediaで)。40歳の時に医学書「医学典範」を書き上げ、後に哲学・数学科学書「治癒の書」をまとめる。1037年、57歳で没する。

 アヴィセンナの歯科医療は、あまり新しさがありません。これまで紹介した人たちの内容の繰り返しが多いです。「歯磨き粉は鹿の角がいい」とか、面白くないです。意味不明な間違いもあり、「歯は伸び続ける」とか「萌出中の歯があるときは歯肉マッサージして、歯が出てきたら耳に油を垂らす」とか意味が分かりません。とはいえ、アヴィセンナの残した「医学典範」は後にラテン語に訳され、中世ヨーロッパの医学書として長い間教科書として採用されます。

 アブルカシスとアヴィセンナ、この二人のアラビア医学は西洋医学の中に流れ込んでいきます。イタリアで始まるルネッサンス期を迎え、解剖学の復活により医学は更なる発展を遂げます。とはいうものの、医学という学問の飛躍的進歩に対して、残念ながら医療技術自体は大した進歩はしません。18世紀くらいまで、歯科医療についてもあまり特筆することがありません。

 というわけで、このシリーズ、次に始まるときは日本の平安時代から始めようかと思っています。では、また。

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