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とあるカフェにてモーニングを食べながらビービー泣いた件について

石川県の金沢で
高校の文化祭とライブハウスでのライブを終えて
車でえっちらおっちら帰ってきて、
朝、
私が以前、
20年家族で住んでいた場所の近くのカフェが開いていたので
普段朝は食べないけど
モーニングをいただくことに。

ここのカフェは
息子が小学時代、中学時代、高校時代、そして
私の母の余命を告げられたとき、
そして家で介護をしているとき、
亡くなっったとき、
父が一人になったとき、
父が余命を告げられたとき、
この先どうしようって思ったとき
色々な話を仕事の相棒であるゴローさんと
してきたカフェでもある。


ちょうど、その直前に
父が80歳過ぎてもコーラスの指導をして
楽器やスピーカーなどを車に積み込んで
あちこち行ってた話をしてて
「じィに会いたいなあ」と思っていた。


カフェは土曜日だったのでかなり満員だったけれど
一つだけテーブルがあいていたので
そこに座ることにした。

ここのサンドイッチは母が作るサンドイッチに
味が似ているんだな。
いつも母がサンドイッチを作るときに
ここの食パンを買ってきていたので
そのパンのもっちり感と味が懐かしかった。


ふと気がつくと、隣の席のおじいさんが
その隣の若い二人に話しかけているようだったのだけれど
その若い二人は怪訝な顔でおじいさんを見ていた。
どうしたのかなあ?と耳をピクリとそばだてると
おじいさんは、一人で何かを話しているようだった。


「こんな年になって、一人でいると
おかあちゃんのありがたみが今更ながらにしてよくわかります」
という話から始まったので

「おいくつですか?」ときくと
「90になります」
ということだった。

そしてそのおじいさんは
「いつも明るく楽しくいてんとあきまへん。
この年になってね、恐い顔しておったら誰も相手もしてくれへんから
元気よく挨拶して明るく楽しくしてんと」
と、色々話しを始めてくれた。


私は、さっきじいちゃんに会いたいなあと思っていたので
そのおじいさんから出てくる言葉一つ一つが
じいちゃん(父)からのメッセージのように聴こえてきて
気がつくとポロポロと涙が出てきた。


「今はね、ともかく動こうと思って朝の空気を吸って散歩して
ここでコーヒー飲んで、でも年金暮らしなんで贅沢できまへんけどな。
で帰って洗濯や掃除して、ちょっと花やら育てて水やったりして
体動かしてますねん。せやからこんなに元気や。
まあ、しかし、今更ながらに、おかあちゃんのことが忘れられへんで
ありがたかったなあ。と思いますねん。遅いねん!と一人で
つっこんでますけどな。ほんまにありがたかったですわ。
今もな。おかあちゃんのこと忘れられへんでな
こうやって毎日持ってますねん」
と、写真を出して見せてくれた。


明るくて元気そうなおかあちゃんの写真の下に
11年何月何日と日付けが記されていた。

「人生は色々ですなあ。色々なことありますわ。
そやけどね。明るく楽しく笑っておらんとあきまへん。
一人で掃除も洗濯もできるようになって時々おかあちゃんに
がんばってるやろ!と一人ごと言うことありますねん。
こうやって、お話ができるというだけで、ぱーーっとなって
一日が、嬉しくなりますなあ。」


少し痴呆も入ってきてはるようで
何度も何度もおかあちゃんへの感謝の言葉と
体を動かすことと、
自分がレスキューで表彰されたことや
人生色々だけれど、明るく楽しく笑って過ごさなあきまへん
が、ループしていた。
でも、何度同じ話しをきいてもそれはとても清々しく
とてもあたたかくて、重みがある言葉だったので
私はいつしかポロポロからビービーに変わっていた。

ずっと涙が止まらなくなってきて
今もその口調を思い出すと泣けてきてしまう。


なんかね、ほんとにじいちゃんからのメッセージなんじゃないかなあ。


ときに人間というものは
その外見や振る舞いなどで自分にとって必要不必要を判断することがある。
だけど、あちらからのメッセージというものは
時として、そういう形で降りてくることがあるんだと思う。


私は、たぶん、そのおじいさんが
泣きたい気持ちを代理していたんじゃないかなあ。
どれだけ寂しいだろうか?
大変だっただろうか?

「何事も経験ですなあ」と笑ってはったけど
笑えるようになるまで
どれだけ時間がかかったんだろう?


いろいろな思いが胸一杯になり
そして父からのメッセージだと思うと
ありがたさで一杯になった。

友達や家族と当たり前のように話ができていた若いうちは、
そんなこと思いもしなかったけれど
54歳の私でさえ
日々の何気ないことがとても大切に思える。

ちなみに、おじいさん、ゴールド免許を見せてくれたけど
昭和6年生まれだった。まだ88歳。
うちのじいちゃんも83歳なのに85歳って言ってたなあ。


そしておじいさん
「楽しそうにお話をされているところ
こんな年寄りがはいって、ほんますんまへんなあ。
こうやって話しができるだけで
一日が嬉しくなります」
と言って帰っていかはった。


そのあともしばらくビービー泣いて
まるでゴローさんに泣かされているかのように
見えていただろう。笑

おじいさんが
「今更ながらに、おかあちゃんのことが忘れられへんで
ありがたかったなあ。と思いますねん。遅いねん!と一人で
つっこんでますけどな。ほんまにありがたかったですわ。」
と言っていた言葉が
頭の中に何度もこだまする。


もっと親孝行したかったなあ。
みんな大切な人が亡くなって初めて
ありがたさがわかるものだと思う。
そして後悔して
もっとしておけばよかったなあって思う。

私も両親に対して
精一杯のことはできたと思うけど
もっともっといい思いをさせてあげたかった。
後悔してもそれこそ
「遅いねん!」だけれど
その分、まわりの人たちに
お返ししていきたいと思う。

時々、そうやって
「大切なメッセージ」が
偶然を装って
何かしらの形でやってくる。

それは自分が傲慢でいると見逃してしまうこともある。
もっともっと慎重に見極めることができるように
全てのことがらを丁寧に受け取りたい。


Love× Laugh→Peace


大変大変感謝申し上げます