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浪江町・双葉町を訪れて(2022年3月24日)

震災から11年目。
「双葉郡のいま」を知るために、春休み初日の子どもたちを連れて訪問してきました。

私の住む福島市では、学校や公園などに設置されたモニタリングポストを除いて、被災の爪痕はほとんど感じられない日常を取り戻しています。
しかし、福島の復興はまだ終わっていません。

「いつまで福島を応援とか言ってるの?」
「福島にどれだけ税金を使うのww」
なんて声もネット上では聞こえてきます。
声には出さなくても、心のどこかで思う人も多いのではないでしょうか。
福島県民ですらそんな雰囲気を感じる場もあるのですから、他県から見たらなおさらでしょう。

でも、だからこそ、そんな人にこそ、読んでもらいたい。
そして、可能であれば現地を訪れていただきたい。

  • 前編:浪江町 請戸地区

  • 後編:双葉町 原子力災害伝承館
    の構成でお伝えします。

道の駅なみえ

福島方面から訪れるとまず最初に目を引くのが、2020年8月にオープンした「道の駅なみえ」です。
とても広い駐車場とキレイな建物、子どもたちが喜ぶキッズスペースやラッキー公園もあります。

浪江町の復興シンボルとして、買い物・食事・休憩処として多くの人で賑う場所です。
地域の方はもちろん、遠方から訪れても丸一日過ごせそうなボリュームでしたよ。

請戸地区

続いて、道の駅なみえから車で20分ほど移動すると、津波の被害を受けた請戸地区へ。
移動中の車窓には「ここまで津波が来たんだな」とはっきり分かるほどの平野が広がります。

道路は新しく舗装され、跡地も草が生えるのみのきれいな状態でしたが、ここまで整えるのに膨大な人手と時間がかかったであろうことは、容易く想像できますね。

震災前は数多くあった町内の水産加工業者も、現在は1社のみだそうです。
この辺りは原子力災害の影響による「帰還困難区域」のため、住宅は1軒もありません。

港にも立ち寄りましたが、何もありませんでした。
南方には、福島第一原発が小さく視界に入ってきます。
震災前の漁港を知っている人が見たら、ゾッとする光景なのではないでしょうか…。

震災遺構 請戸小学校

港からすぐ近くには、当時の惨状を伝える震災遺構「請戸小学校」があります。
おそらく、海まで徒歩数分の位置。
それでも奇跡的に全員が助かった、地域のシンボル的な場所です。

しかし”近くの山に避難して助かった”と聞いていたのですが、現地に着くと付近にそれらしき山は見当たらず。
今は平野となってしまった町を抜けた2キロ先に、その山はありました。

「全然近くないじゃん」というのが正直な感想です。
震度5以上の余震が続くなか、80人以上の子どもと教員が、1時間も経たずに到来する津波から逃げるために移動した。
家族の安否も分からない状態で歩き続けるのはなかなか大変なことだったのではないでしょうか。

学校建物で最も海側にあるこの建造物(名前が分かりません)で、海水に浸ったのが2階の半ばほどまで。
同行者から「屋上とかに逃げてても助かったかもしれないね」という声も上がりましたが、どうでしょうか。

後に地元の方に「可能なら水平避難、無理なら垂直避難」ということを教えていただきました。
とはいえ、大津波がいつ・どこまで届くのか分からない状況ではどちらを選ぶか決めかねてしまいそうですよね…。
日頃からの意識や想像力、そして知識が災害時の明暗を分けるのだろうと強く感じました。

※震災遺構内部の写真については、枚数が多くなるため別にまとめさせていただきました。

双葉町へ

請戸地区からまた車で数分ほど移動すると、お隣の双葉町です。
道中には、11年前からそのままに残された家屋がいくつも目に入ってきました。
なぜなら、今回の私のように気軽に誰でも立ち入れるようになったのは、つい2年前のことだから。
双葉町は大津波の被災だけでなく、原子力災害の影響も強く受けている町の一つなのです。

帰り路には双葉駅前へも足をのばしましたが、そちらも”誰も帰らない家”がひっそりと、たくさん建ち並ぶ状況でした。

ぱっと見は人が住んでいそうにも見える、不思議な光景でした。
「ちょっと避難するだけ」「すぐに戻れるだろう」という気持ちで避難した人が多かったことが、うかがえますね。

原子力災害伝承館

福島第一原子力発電所へ向かって進んでいくと、遠くに大きな施設が建っています。
周囲には他に建物がないので、ここだけどこかから運んできたような、なんともいえない雰囲気。

そして、すぐ隣には県内の除染作業で出たフレコンバッグを仮置きしておく「中間貯蔵施設」があります。
ちなみに、中間貯蔵施設の広さは東京ディズニーランドと同じくらい。
関東圏の電気を作っていた原子力発電所のゴミは、最終的にどこへ処分されるのでしょうね。

伝承館内には、福島第一原子力発電所や地域の歴史、原子力災害後の人々の暮らしなどが展示されていました。

私自身、福島市で被災し、1歳と0歳の子どもを連れて自主避難するか否か悩み、放射線に怯えながら暮らしていた過去があるので、なんとも言えない気持ちで展示を見てきました。

当時の様子を語り部さんが伝えてくれる講話も一日4回行っています。

また、展示の最後には復興・ゼロからの町作りに関する展示もありました。
震災直後は節電やクリーンエネルギーに関心のあった人も、徐々に気持ちが薄れてきているのではないでしょうか?
そんな虚け者の一人である私にとっても、改めて考え直すキッカケになりました。

あとがき

まだまだスタートしたばかりの原発周辺地域の復興。
直接的に手助けをすることは難しいですが、少しでも多くの方に現状を知ってもらい、興味を持ってもらうことが今の私にできることだと考え、このnoteを書かせていただきました。

2022年夏には避難指示解除、つまり町民の居住が11年ぶりに再開されます。
住民の戻ってきた地域が今後どのように復興していくのか。
ぜひ、少しでも多くの人に訪れていただき、直に五感で接してほしいです。


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