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溢れる想いをnoteにのせて、「じぶんらしさ」を取り戻した話。


今年4月。「童心に返るライター」として、わたしはnoteを始めた。
文章を書くことは得意ではない。むしろ苦手だ。


けれど、大学生のときの「素直なじぶんを伝えられた」という想いが、わたしを突き動かした。この想いは、「文章が書けない」という苦手意識に勝った。


「書く」こと以上に「話す」ことが、わたしはもっと苦手。考えをまとめてから話せず、「結局何が言いたいの?」とよく言われる。とっさに意見を求められたときは、よく沈黙してしまう。言葉が出てこないあの間は、すごく怖くて。言いたいことを言えなかったときは、すごく悔しくて。


でも小学生のころから変わらず、じぶんの心の奥底に、あふれる想いがたくさんあるのは確かで、どこかに声を大にして伝えたかった。そんなわたしを受け入れてくれるのがnoteだった。


この記事は、今まででいちばん正直で、今まででいちばん「じぶんらしい」文章になった。

これから、わたしが「童心に返るライター」としてnoteを書く理由を綴ってみる。


得意なことばかりの小学生だったが……


自分で言うのもなんだが、小学生のころは取り柄しかなかった。


運動会ではリレーの選手になり、合唱会ではピアノの伴奏を任され、演劇部で役になりきれば一躍有名人。

今思えば、気持ちが良すぎるぐらい何でもできた。わたしはこの先も順調な気がしていた。しかし、人生そんなにうまくはいかなかった。


人とまともにコミュニケーションが取れない。わたしが当時抱えていた弱点だった。

友だち、先生、家族の行動や言動ひとつひとつに、自分の感情が高ぶって、どうにもこうにもおさえきれず、怒ったり泣いたりすることがよくあった。

人からバカにされたと思って手を出してしまったり、授業を止めて先生とバトルして泣きわめいたり。言葉で自分の気持ちを出せたら良かったのに、言葉にするとうまくまとまらず、相手に伝わらない。だから、行動として表れてしまったのだろう。

幸いクラスの友だちや先生が優しくて、小学生のころは許されていた。でも、わたしは、このままではいけないと思った。6年生のころ、他のクラスでいじめが原因で不登校になった子が出たからだ。そのクラスでは陰湿ないじめが起きていて、少しでも周りから外れた行動を取った子は次々と標的にされていたそう。


感情丸出しなじぶんは、今のクラスから離れたら、どうなってしまうのだろう。中学へ行くのが怖くなった。


話すことができず、すべての才能がつぶれた中高生


新たな環境になり、感情を丸出しにするのはやめた。

そんな日々を過ごしているうちに、どんな些細なことでも、わたしは感情をおさえることに慣れてしまった。


運動が大好きだったのに、運動会へのやる気がどんどんなくなっていった。
音楽が大好きだったのに、次第に情熱を失って惰性で続けていくようになった。
演技が大好きだったのに、高校の演劇会では役者に手を挙げることもできなかった。

もう、小学生の時のような「何でもできるわたし」とは、ほど遠くなった。


運動が得意でも、
音楽が得意でも、
演技が得意でも、
伝える力がなければ、すべて、ぶち壊れていく。

悔しかった。


わたしは何が好きなのか、何が楽しいと感じるのかもよくわからなくなり、何事にも素直になれないわたしは、どんどん自己嫌悪に陥っていた。

いじめられることはなかったけれど、そのうち「何を考えているのかわからない、ふしぎキャラ」として確立してしまった。好きなことだって、伝えたいことだって、山ほどあるのに、いつだって理性で感情をおさえてしまうのがとても悔しかった。


ふしぎキャラが強みになった大学生


「大人しいけど、内に秘めた情熱があるのが魅力だと思う」


大学時代の陸上部で、先輩からの手紙に書かれていたこと。ずっとずっと、おとなしいじぶんが嫌だったけど、このままでもいいのかもしれない、と思った。

先輩は、わたしが書いた練習日誌を見て、熱い気持ちを汲み取ってくれたそう。練習やミーティングで発言できないわたしは、「書く」ことに力を入れていた。拙い言葉だったかもしれないが、誰よりもじぶんの反省から部活全体がより良くなるようにしたいという想いまで、たくさん書いた。

「話す」ことが苦手だからこそ、じぶんの考えを「書く」ことで伝えるのは、とても気持ちが良い。


「書く」ことで、本当のじぶんでいられる。
「書く」ことで、本当のじぶんを知ってもらえる。

そう確信した。


noteに書くことで、じぶんらしくいると決めた今のわたし


社会人になって1年。今は「書く」ことに関係する編集者としての仕事ができて、それなりに満足している。でも、「本当のじぶん」をおさえているのが現状だ。

わかってはいたけど、編集の仕事はじぶんの想いを「表現」する場ではない。どちらかというと、書いた文章を添削する方になるか、書くとしても媒体に合わせた文体で書くことを求められるし、細かい文章ルールを気にしなければならない。


大学の時みたいに、もっとじぶんの想いを自由に表現する場がほしい。せめて仕事以外では、「書く」ことで「本当のじぶん」でいたい。Twitterだと140字では物足りないし、長文で書ける居場所が必要だった。


どうやらnoteが流行っているらしい、ということでのぞいてみると、「表現したい」「伝えたい」という想いで長文を書く人たちがたくさんいた。文章が決して上手くない人でも、だれもがのびのびと自由に表現している姿がそこにはあった。わたしも、そんな自由に羽ばたける場所で、本当のじぶんらしく書きたい。そう思ってnoteを始めた。


でも、「書く」ことも決して楽じゃなかった。長らく「じぶん」をおさえてきた過去があるから、じぶんらしく「書く」ことに、とても時間がかかっている。

それでも、書きたい。いろんな人の「じぶんらしい」noteを読んでいると、そんな気持ちが湧き上がってくる。「書く」ことで、本当のじぶんでいたい。子どもみたいに、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと言えるようになりたい。そんな想いを持ったわたしは、「まなえもん」の名前のあとに「童心に返るライター」とつけ加えた。


「本当のじぶんでいる」ということは、「オンリーワンなじぶんでいる」こと。じぶんは、ほかの誰とも違う。この文章だって、じぶんにしか書けない。特にこのnoteは、本当にじぶんらしさが溢れた文章になった。

ゆっくりだけど、「書く」ことによって、じぶんの想いを正直に言える生き方をしていきたい。

だから、わたしは書き続ける。今日も、明日も、この先もずっと。

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