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最強?カープ打線の哲学的考察

今年の広島カープはふるわない。圧倒的な強さを見せつけていた時代がもはや懐かしい。あの強かった時のカープってどんなんやっけ?ということで、今後のカープ再興のためにも、ちょっと振り返ってみたい。

王者時代のチームを牽引していたのが、相手チームを震え上がらせるほどの強力打線。2017年の得点数は12球団の中でもダントツのトップで、チーム打率も突出していた。

印象的なのは全員が「次の打者につなぐ意識」を強調していたこと。選手のヒーローインタビューをいくつかひろってみると、こんな感じである。

「とにかくあんまりがっつかないように、繋ぐ意識でいきました」(安部選手)

「自分が絶対に返すというより、後ろに新井さんという偉大な打者がいるので、新井さんにつなぐんだという気持ちで打ちました」(丸選手)

「自分で決めようとすると力が入ると思ったので、後ろに繋ぐ意識で打席に入りました」(鈴木選手)

4番打者の鈴木誠也選手までもが「後ろに繋ぐ意識」で打席に入っているというのだから、その浸透具合はかなりのものだ。もちろんそれは偶然ではなく、チームの方針として貫かれているのである。

2017年にカープの打撃コーチだった石井琢朗さんは、打線にとって大事なことについて次のように語っている。

「何が大事かというと、いかに後ろにつなげられるか、後ろに、後ろにどんどん回していくことだと思っています。〔中略〕そこから選手に意識してもらったのが『つなぐ』こと」(石井琢朗『タク論。』)

ここでの「つなぐ」というのは、必ずしもヒットやホームランを打つことではないという。

「状況によっては内野ゴロでも1点入るケースがある。外野フライはもちろん、満塁だったらフォアボールでも1点が入る。そういう状況判断のもと、まず最高の結果を求めて打席に立つんじゃなくて、マイナスなところから入る。一番しちゃいけないことは何なのか、何も起こらないことは何なのか。そう考えて打席に立ってほしい、と」

もちろんヒットやホームランが出れば百点満点だが、「(そういう)気持ちが強すぎて逆に失敗していたんじゃないか」「だって凡打でも得点できる場面というのはたくさんあるわけですから」と彼は言うのである。確かに凡打でも1点は1点である。カープの得点力の秘密はここにあったのだろう。

だが、不思議なことがある。ヒットやホームランよりも、凡打を含めた「つなぐ」打撃に徹すれば、数字としての打撃成績は落ちそうなものである。ところが、カープの成績を見ればわかるように、むしろ個人の打撃成績も上がっている。石井コーチはこの不思議な結果についてこう述べる。

「おもしろいのは、これが実は最高の結果を出すためにプラスに働くんです。マイナスから入ることで打席の中で気持ちに余裕ができて、最低限が最高の結果になったりするわけですよ。そんなシーンは、それこそ昨年たくさん見てきました」

野球は数字のスポーツと言われる。だから選手個人の評価も、多くの場合その選手が残した成績=数字によるところが大きい。だから、石井コーチが言うような「つなぐ」打撃は、いい数字を残したい選手にとってはマイナスに働きそうなものだ。しかし、これが実際にはプラスに働いている。いったいなぜなのだろうか。

僕はその理由のひとつに、「自分の役割の明確化」があると思う。このことによって、「自分はチームに役立っている」、あるいは「自分はチームに必要な存在だ」という感覚が強まり、自分の存在意義もまた明確化される。そこから生まれてくる自己肯定感のようなものが、選手のパフォーマンスを最高に引き出しているのではないだろうか。

唐突に思われるかもしれないが、この原理は私たちが普段暮らしている社会にもあてはまるような気がする。人が生き生きと健やかに生きられるのは、自分の役割を感じることができたり、誰かに必要とされていることを実感できているときだろう。

そして「つなぐ」という言葉は、そのまま「次の世代へつなぐ」ことに置き替えて考えられる。別にホームランのような百点満点はいらない。それを狙って最悪の結果で終わるよりも、凡打による確実な1点を積み重ねていくことを大事にする。これは社会で言えば、一時的な経済発展などを目指して結果的に社会を破壊するのではなく、次の世代を見据えながら「一番しちゃいけないことは何なのか」を考えることである。

石井コーチは、「マイナスから入ることで打席の中で気持ちに余裕ができて、最低限が最高の結果になったりする」と言ったが、これがまさに「つなぐ」ことの効用だろう。次につなぐことに意識を向ければ、必ずしも自分自身が結果を出す必要性はないのだ、ということに気づく。そうすると、むしろ気持ちに余裕ができて、最高の結果を生み出したりする。

今の社会は、誰もが「自分が結果を出すこと」に汲々として、余裕を失ってしまっているように見える。大事なのは「つなぐ」ことであり、結果が出ないこと以上に恐れなければならないのは、次の打者が打席に立てなくなってしまうことである。

「次世代につなぐ」と言うと、子どもを生み育てることがまず思い浮かぶが、「つなぐ」ことへの貢献はそれだけではない。いろんなモノや作品をつくって次世代に残すこともそうだし、後の世代が少しでも楽になるように、小さな工夫を積み重ねていくこともそうだろう。あるいは人間にとっての「よりよい生き方」を模索し、その精神を伝えていくこともできるかもしれない。

王者時代のカープでは、このような世代をこえた「つなぎ」も大事にされていたように見える。引退した黒田博樹投手は、その投球術だけではなく、偉大な投手が持つ「魂」のようなものもしっかりつないでいってくれたのではないか。以降の広島投手陣の活躍、特に若手の活躍には、そのことが大きく貢献しているように思える。

さらに昔にさかのぼれば、「炎のストッパー」と呼ばれた津田恒実投手の存在も浮かび上がってくる。「カープの投手は、投球前に必ずプレートに触れていく」(ウィキペディアより)と言われる津田プレートは、広島市民球場からマツダスタジアムへ移った今もしっかり残されている。そしてなにより、若手とベテランが見事に融合した当時のカープは、まるで僕たちが目指すべき社会を象徴的に表しているようにさえ見えるではないか。

まさか広島カープに、目指すべき社会のあり方を見出すとは自分でも思わなかったが(笑)、ここはいちカープファンの戯れ言と思って許していただきたい。

【引用・参考】ベストタイムズ「石井琢朗『タク論。』」

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