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小6娘と、ないものねだりの不足感の先

外出も自由にならない時期に入ってから、我が家に導入されたゲームに夢中の小6の娘。

ああ、早く〇〇ちゃんとゲームしたい。
大きくなったらオンラインでいろんな人と一緒にゲームしたい。
早くスプラトゥーン3が発売されないかな。

あの、、、先日「マリオカート8」が我が家にやってきたばかりなのですが。
その時、話し合いましたよね?
読書や絵を描く、映画を観る、音楽を聴くなどのクリエイティブな時間を、ゲームの犠牲にしないように心がけようねと。

頭の中、ゲームでいっぱいではないかい!

いやまあ、この問題はさておいて、私がとても引っかかったのは、「今すでにあるものには目を向けずに、足りないものにばかり意識が行ってしまっていること」だった。

今、自分が手にしているものの中に、楽しいこと・嬉しいことを生み出すものがあるはずなのに、手にしていないものにばかり意識を取られていて、不足感でいっぱいになってしまっている。

娘に言った。
「たぶんね、そういう考え方だと、いつまでたっても幸せにはならないの。いつも、あれがない・これが足りないと悲しい気持ちになっている。その繰り返しになっていってしまうから。」

話していて、これはとても重要なことだと感じたから、五月蠅そうに私を見る娘の表情は無視して、話を続けた。

「何かを手に入れるために何かを頑張るっていうことは良いと思う。でも、ちゃんと自分が手にしたものがステキだと感じていないと、それはすぐに色あせてしまって、次のものが欲しくなる。きちんと自分が手にしているものを愛でなくちゃ。」

うう、伝え方が難しい。
どんどん抽象的な言い方になっていく。
しかし続けた。

「これはとても難しいことなの。大人でもできていない人がいる。ママだって完ぺきにできているわけではないから、よく自分に言い聞かせていることなの。でも、とても大切なことだと思うの」

娘は眉間に皺を寄せ
娘「ううーん、よくわからない。ゲームの文句を言っちゃダメってこと?」
私「じゃあね、あつ森をもう消しますって言ったらどんな気持ち?」
娘「それはいや。10月にアップデートされるし」
私「でもさ、あつ森が楽しい!っていう話って、今はほとんどしないよね」
娘「そんなことないもん・・・」

一度、仮にでもいいから、「失う辛さ」を想像してみてもいいのかなと思ったので、この会話になった。
本当は、そんな思いをしなくても、気づくことができるのであればいいのだが、それは結構難しい。

しかし、「あれが手に入れば幸せになれる」という欲望が、スケールを大きくすると今の環境問題にもつながっているのではないかと思ったりするので、たとえ今は難しい話題であっても、しっかり話しておきたい内容だった。

どこまで伝わったかな。
きっと根気が必要な案件だ。

いや、何はともあれ、ゲームはしばらく買わないぞ。

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