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まずは打席に立たないと始まらない。

今日は、読んでて「確かにそうだよなあ」と思いながら、
ちょっぴり勇気ももらえたこの記事のご紹介から。

何か新しいことを始めた時、なかなか芽が出ないことや、すぐに結果につながらないことってすごくたくさんあると思う。

そんな時「果たしてこのやり方は合っているんだろうか」ってすごく不安になる。

努力の方向性を間違えると意味のないことに時間を使ってしまうことになるけれど、正直この方向が正しいのかどうかなんて、結果の出ていない時になんか分かりっこないよね。

私自身は、文章がうまくなりたい、とか、ライターになりたい、とか、
そういう願望はあんまりなくて、
ただただ自分の思考のアウトプットとしてnoteを書いているので、
自分の思考がちゃんと言語化できた!ってスッキリできるかどうかがひとつの重要な基準なのだけれど、
でもこうやって誰かの目につく場所に書いているからには、一人でも共感してくれる、同じ思い・感情を持ってくれている人がいたらいいな、ということはやっぱり思っていて。

でも、毎日毎日書いてると、正直気分が乗らない日もあるし、
もう今日が終わるどうしよう何書こう…!って焦って駄文を生み出した日だって数えきれないほどある。
そして、ときどき「自分の文章への納得度」が高い文章を書けたとしても、
それが必ずしもたくさん「スキ」をもらえるとも限らなくて。
(過去、ありがたいことに3桁の「スキ」をいただけた記事が2つあるけれど、どちらも「これは自信作!」というよりかは、結構思ったことをパッと書いたものだったので、どちらも結構意外だった)


自分でも
「毎日とにかく書くって本当に意味あるんだろうか…?」
ってことは、それこそ始めた当初は度々考えたことで。
毎日更新にこだわるあまり、むりやり駄文をひねり出すくらいなら、その時間で次の日ちゃんとしたものを書くようにしたほうがいいのでは…?ということも、確かに何度となくよぎったし、それで「今日はもういいや」って諦めてしまった日も何日かはあったはず。

でも、1年間、毎日じゃないにしても330日ぐらいは何らか書いて出した、
そんな中でひしひしと感じたのが、
「時間をかけたって、必ずしもいいものが書けるとは限らない」
ということで。
むしろ、時間をかけただけ、思考が迷宮入りしてしまう、なんてこともあるから、かえって短時間であまりこねくり回さず思考を吐き出したほうがよいこともあったり。

毎日まいにち休まずに打席に立ち続けてヒットを1本打てるかどうかのわたしが、気まぐれにバッターボックスに立ったところでヒットを打てる確証なんて無い。ふいにやってくるチャンスでヒットを打てる保証なんて、どこにもない。
それならば、雨の日も風の日も地道に打席に立ち続けて、バッドを振り続けるのが、結局は一番の有効な手段なのだと思っている。

私だって、もともとしっかり時間をかけたところで、
低い「打率」が多少でも高くなる、なんてことはないのだから、
だとするならば、とにかく打席にたくさん立つこと。
これは確かに真理だなあ、と思います。
極端な話、100打数1安打より、300打数2安打のほうが、打率は低いかもしれないけれど、きっと意味があるのだろうなあと思います。

昨日書いたことにも共通するけれど、
「続けていく」ということは、それだけで大変なことで、
何にしたってそれだけでも十分価値がある。
だからこそ、今日もこうやって書く。積み重ねる。
積み重ねたその先に、何があるか、それは未来にならないとわからない。
けれど、だからこそ、一日一日、今あるものを積み重ねていくこと。
そんなことが大事なのかなあ、と、改めて感じています。

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