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「断定したくない」症候群。

「三点リーダー症候群」なる言葉があることを、ちょっと前に知ったのですが、これ完全に私のことですね…。
(↑言ってるそばからさっそく使っている)

なにかと、断定する物言いのほうが説得力を増すとか、
誤解を招かずに済むとか、
「…」を使わないほうがいいというような風潮があるのはなんとなく理解できるところではあるものの、
それでもやっぱり、状況を問わず多用してしまっています。
特にTwitterでは、ほぼすべてのツイートに「…」がついてるんじゃないかなあ…。

それと、「…」に加えて多用しがちなのが「〜かなあ」「〜だなあ」みたいな語尾。
(↑これもひとつ前の段落の最後にさっそく使っていた)
こちらもTwitterでの使用率が高い気がします。
これがnoteだと、「〜な気がします」「〜と思います」とかに変わります。

特にTwitterという文字数制限がきつい媒体では、
わざわざ「…」使ったり語尾をぼかすために文字数が増えたり、そんなことしなくてもいいじゃん!となりそうなものですが、
文字数が少ないからこそ、あえて断定的な表現を避けたい、というのもあるんですよね。
断定する、強く言い切るほどのことでもないというか、
そこまできっぱりと主張したいわけではない、というか…。

もともと、Twitterの使い方として、
何か突発的に強い感情に突き動かされたときとかにツイートしてもあまり良いことはない、と思っている節があって、
感動とか喜び、嬉しさとか、そういう突発的な感情は思わずツイートするときもあるけれど、
そうじゃないとき、特にあまりポジティブじゃない感情を覚えたときには、まずは一旦感情が沸点から下がるまで、とりあえず落ち着こう、ということを心がけています。
そしてそうすると、大抵は別にツイートするほどのことじゃないな、となるんですよね。

それでも溢れてくる、染み出してくる感情があれば、それはツイートすることもあるけれど、ただ既に心は落ち着いているし、
なにより、自分が本当にその感情を心の中に宿しているのか?ということは、自分自身を一歩俯瞰して見てみると、なんだかそれすら疑わしいな、と思えてしまうことも多くて。
そうすると、しみじみと振り返るような書きぶり、自然と「…」とか「〜だなあ」みたいな文法を多用するような書き方になります。

表現としてはマイルドになるのだけれど、
結局何を言いたいの…?ってなる、表したい感情が薄まる、というデメリットもあって、
ただ私の場合、Twitterにはほとんどリアルな知り合いはいないから、
そのくらいでもちょうどいいのかな、という気もしています。
むき出しの強い感情をぶつけることは、誰かに刃を向けてしまうリスクと常に隣り合わせで、そこに責任は負えないし、
自分が自分のために吐き出している言葉で誰かを不快にさせてしまう必要なんてないから、
しばらくはこういう表現方法を続けていくんだろうなあ、と思います。

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