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「外食しなくてもいい」暮らし。

小さい頃、マクドナルドは「ちょっとしたご馳走」でした。

マックに限らず、外食に行く頻度が我が家はそんなに多くなかったのと、
「お祝いごと=外食」という習慣もなかったので、
(誕生日の夕食とかもほぼ100%家だったなあ)
外食といえばまさに「非日常」の出来事でした。

もちろん誰か家族以外の人とごはん食べに外食することは普通にあるし、
一人暮らしになってからは、さすがに外食の頻度も増えたけれど、
齢30を過ぎた今だって、家族と外食に行くことは「ちょっとした非日常」、
なんだか心がわくわくしてしまいます。


閑話休題。

今暮らしている栗原というところには、
晩ごはんを食べられるお店があまりありません。

個人経営の食堂が多く、ランチができるところはそれなりに充実しているのですが、こういったお店はだいたい夜はやってないことが多く。
(やっていても夜は居酒屋スタイルになっている場合が多い)
晩ごはんを食べにふらっと入れるところ、というと、パッと思いつくのは、
ラーメン屋、牛丼屋、ファミレス、くらいでしょうか。

飲み屋はそれなりにあるのですが、さすがに一人でふらっと晩ごはんを食べに入るにはあまり手軽ではなく。
スナックの軒数も結構ありますが、もちろんごはんを食べに行く用途では使えません。


なぜ、晩ごはんを食べられるところが少ないのか?
それはひとえに「需要がない」ことに尽きるとは思うのですが、
「需要のなさ」というのは、人口が少ない、ということだけには限らないのだろうな、と思っていて。

外食する人が多い場所、というのは、どういうところなのか?
外食する=家でごはんを作って食べない、ということで考えると、
●独身である(つくってくれる人がいない、自分ではつくらない)
●仕事が多忙である(ごはんを自分でつくる余裕がない)
●経済的に余裕がある(外食できるだけのお金がある)
あたりが大きそうな気がします。

さらにいうと、
●家が狭い(冷蔵庫置いたり調理したりするスペースが少なく、自分でつくる気が起きない)
●食材が高い(自分でつくるより外食を利用したほうがかえって安上がり)
みたいな要素も、間接的には影響してくるかもしれませんね。

これらの要素が、(外食産業が大きい)都市部では大きく、
地方では小さい、という仮説で考えると、
あながち間違っていないような気がします。


じゃあ、外食できるところが少ない「田舎」は、都会と比べて「豊かではない」のか?
そんなことはない、と今は確信を持って言えます。
(移住してきた当初はちょっと不満だったw)

先ほど書いたことと被る部分もありますが、
「晩ごはんに外食できるところが少ない」
=「家で晩ごはんを食べる人が多い」ということ。

家に帰って晩ごはんをつくれる時間的・精神的余裕がある。
もしくは、ごはんを作ってくれる家族がいる。
食材が高くない。
冷蔵庫とか置いても不自由しないくらい家が広い。

こういった要素が暮らしの中に揃っているからこそ、
「外食をあまりする必要がない」=「外食できる店が少ない」街になる。

あと、「夜あいてる店が少ない」=「夜働かないといけない人が少ない」ということも言えますね。

資本主義的にいえば、これじゃお金が回らないので、イマイチ活気がない、よくない状態だということになりそうですが、
暮らしの「豊かさ」で考えると、個人的にはこっちのほうが良い環境なんじゃないかと思ってしまいます。

働きづめで外食するほかない、もしくはそれすら難しくてコンビニ飯が当たり前、という人が多い街。
家が狭すぎて、もはや家で料理する気が起きないような人が多い街。
それって、経済的には潤っているのかもしれないけど、一人ひとりの暮らしを見たときに、それは果たして「良い暮らし」と言えるのかどうか?

少なくとも私には、今の暮らしのほうが性に合ってるなーと感じています。


ちなみに、晩ごはん食べれる場所が少ないわりに、居酒屋やスナックはそれなりに多いのはなんでだろう?と考えると、
おそらく「娯楽の少なさ」が影響してるのだろう、とは思います。
これはまた、別の機会に。

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