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誰と戦って、生きていくか。

NHK-FMの #乃木坂三昧 を聴いていて、ずっと #熟成下書き になっていたこの投稿を完成させたくなったので、今日はこの話題を。

ちょうど去年の今頃、急速に乃木坂46というグループに興味が増していったのはなぜだろう?と考えると、
いくつかターニングポイントはあると思うのですが、
そのひとつは、去年の成人の日に放送されていた「乃木坂三昧」で聴いた、
「サヨナラの意味」のイントロに魅了された瞬間だったなあ、ということを、今日の放送を聴いていて唐突に思い出しました。

自分の中にあった「アイドルの曲」(当時は「AKBの曲」とほぼイコールだったでしょう)という固定観念をぶち壊してくれるような、
本当に美しいピアノの旋律で、思わず聞き入ってしまった、
そして聞き終わってすぐに、またこの曲が聴きたくて、
Spotifyのアカウントを登録した記憶があります。

そしてもうひとつは、いろいろなメンバーの方から垣間見える、
ちょっとした「影」のようなものに、どことなく共感を覚えた、ということも大きい気がしていて。

こちら↓の投稿が、完全に私の言いたいことの上位互換なので、是非こちらをまずはお読みいただきたいのですが、

AKBというアイドルグループは、今思えば、
他人と、そして世間と戦っていたようにも思えるのです。

総選挙、じゃんけん大会、組閣、文春砲……
様々なトピックを振りまき、ファンとアンチの両方を、まるでどんどん大きくなっていく雪だるまのように転がしながら、
世の中の注目度を、そして名声をどんどん高めていった。

一方で、乃木坂はというと、
総選挙もない。移籍もない(一瞬だけ交換留学制度はあったけど)。
ワイドショーが喜んで飛びついてくるような「ネタ」は、往時のAKBよりよっぽど少ない。

その代わりといってはなんですが、
乃木坂のメンバーは、常に「自分と戦っている」イメージがあります。
己の内なる弱さと常に対峙して、人知れずもがき続けている。

AKB系統のエースメンバーというと、
大島優子さん、指原莉乃さん、松井珠理奈さんなど、どこか泰然自若としていて、(本当のところがどうかは別としても)メディアの前では、自分に自信を持っている、「自分はやれる」というギラつき・強さを持っているようなイメージがあったのですが、
乃木坂には、そういうイメージの人が本当に見当たらないんですよね。

センターに立つ人ほど、自分に「自信がない」「取り柄がない」と語り、
苦しみをあらわにして、それでも立ち向かおうとしている。
その姿に心打たれるし、この方々が紡いでいくストーリーを見守り続けていきたい、と感じさせられる瞬間が、本当に多いなあと日々感じています。

誰しもみんな心のどこかに弱さを持っているものだと思うし、
日々その弱さや自分自身への絶望みたいなものと戦いながら、
どうにか毎日を必死に生きている。
それは、もちろん自分自身もそうで。

そんなときに、このグループから紡ぎ出される曲や物語を聞くと、
ちょっと勇気づけられたり、心があたたかくなったり、
一歩前に進むためのエネルギーをもらえている気がします。

上述の記事に挙げられていた「君の名は希望」や「シンクロニシティ」は言うまでもないし、
最近の曲でいうと、高山一実さんの卒業ソロ曲「私の色」とか、
山崎怜奈さんの初センター曲「錆びたコンパス」とか、
(先程まで放送されていた「乃木坂三昧」でのリクエスト第1位、おめでとうございます!)
そういう思想性というか、物語を感じる曲が多いと感じるし、
私自身もそういう曲に自然と惹かれていったなあ、と思います。

日々生きている中で、向き合うべきことは無数にあるけれど、
まず向き合わないといけないのは、なにより自分自身だから。
まず内なる自分と戦って、このひとつしかない人生を、できるだけ良い方向にドライブしていきたい。
そんなことを考えたときに、傍らに浮かんでくる歌詞が、旋律が、この1年でずいぶんと増えました。


時代も、グループも、時が流れれば絶えず変わっていくものだけれど、
私はもう少しこの物語の続きを見守っていたいなあ。そう思います。

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