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狭い世界で生きているあなたに伝えたい


ちょっと間が空きました
毎日投稿する、という目標はあるけど
それで自分を縛るつもりもなく

できないときがあっても良いよね
と完璧じゃない自分も受け止めます

言い訳、合理化


もしそうだったとして
何が悪いの??

自分がそれで良いと思っていれば
他人がどう感じようと、どう言おうと
そんなの関係なくない??


他人にどう思われるか


その思考を手放さない限り、
あなたの人生が豊かに幸せになることはない


逆にいうと、
その思考から解放された瞬間に
あなたの人生が大きく変わるってことよね


私たちの思考、発言、行動に
正解も不正解もなくて


そのすべてにその人なりの
意味や背景があるわけで


私、勝手に自分のなかの常識とか
自分の感覚、物差しではかって
物事を見るひと、指摘する人がこの世で一番嫌い


そもそも「常識」って何ですか?


「常識」って万人に共通した認識じゃないよ


「当たり前」がないように
この世に「常識」なんてものは存在しない


「挨拶するのは常識でしょ!!!」


え?自分が挨拶されて当たり前と思ってるん?
がめつい。醜い。


挨拶してくれることに感謝
決して当たり前じゃないです


目上の人には敬意を払って当然とか言うけど


敬意を払うのは「目上の人だから」じゃないよ


自分より年齢や立場が上の人って、
自分よりも多くを経験していて
人間として成熟している可能性が高い


だから比較的目上の人って
敬意を払いたくなることが多い


ってただそれだけです


自分の歳や立場にふんぞり返って
私に敬意を払いなさい、ってやってるだけで
実力も人間力もない人たっくさんいます


そんな人に敬意なんて払う必要ないでしょ?

そゆこと。


「常識的に考えて~」
「当然のことでしょ~」


それってあなたの中の
狭い世界の話であって


この広い宇宙では通用しないです


この世の全部に感謝するべきです


命を授かったこと

また明日が来ること

隣に大切な人がいてくれること


そんなスケールのことから

もっと小さいこともそう。


たとえば、

今日も綺麗に服が畳まれていること

ごはんを食卓に並べてくれること

会社の共用部分がきれいに整頓されてること

電気、ガス、水道が使えること

近所の人が挨拶してくれること


この世のすべてが当たり前じゃなく
その物事には感謝するべき部分が隠れている


今私がミルクティーを飲みながら作業していて

このミルクティーが私の手に渡るまでたくさんの人が関わっていて

このPCもそしてその電源もどこかの誰かのおかげで使えている

正直キリがないです


この世のすべてに対する見方が変わりません???


屋根のある温かいおうちがあること

気に入った衣服を身に付けられること

隣ですやすやと天使(息子)がお昼寝してること


もう全部にありがとうです


欲しいものはもっとたくさんあるかもしれない
それが手に入らない悲しみ、悔しさもあると思う


でも私たちはもうすでにたくさんのものを受け取ってます


足りないと感じるものがあるから
人が手に入れようと気力が湧くし、行動する


それが生きるということ


そして、「常識」を捨てた人から飛躍します


「常識」の型にハマっている間は「凡人」止まりです


みんなと同じ

一般的


そういう枠から飛び出さないと
桁違いの幸せを手に入れることはできないです


つまらない人生で終わるよ


80歳、90歳まで時間はあるだろうし
焦らず自分のペースでとか思ってる人はもう本当にがめつい。


私は「明日は来ない」という生き方をしてます



だって明日が来るのって当たり前じゃないよ
それ無意識に「当たり前に」明日は来るって思いこんでる


あなたの明日が来るのは奇跡であって
人生はその奇跡の連続です


「奇跡よ起これ!」とか思ってる人に言いたい


毎日あなたに奇跡は起きてます


奇跡や運命を自分のものにできてる人は
何事にも感謝してる人


気付いたあなたはラッキーね✨


最後まで読んでくれたあなたに
心からの感謝を送ります


ありがとうございます


また次の記事もお楽しみに!


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